黒揚羽の夏 (ポプラ文庫ピュアフル)
父と母の不仲を契機に、主人公の少年と妹弟が祖父の住む東北地方のかつての炭鉱の町でひと夏を過ごす。
町で過去にあった忌まわしい少女殺人事件と現在の事件がリンクし、
炭鉱の町に眠っていた忌まわしい記憶が徐々に紐解かれていく。
この作品の秀逸さは、単なる謎解きミステリーにとどまらず、
東北地方のさびれた炭鉱の町と田舎の夏の風景描写を丁寧に書き上げている点だ。
眼を閉じると、アスファルトの照り返しと草いきれの匂い、熱気の中に立つ廃工場、夕立、夜の田園に響く蛙の音…、夏の風景をありありと作中に感じ取ることができる。
14歳の子供から大人への過渡期の視点で語られるひと夏の冒険譚。
思春期特有の性の悩み、
長く疎遠だった祖父と孫の関係、
事件を探るために地元の美人姉妹との共闘など、
この時期にしか体験できない夏がどこかS.キングの「スタンド・バイ・ミー」を彷彿とさせる。
ノスタルジックな夏の雰囲気を背景に、冒険、ミステリー、オカルトなど存分にエンターテイメントとして楽しめる。
幻想博物館 新装版 (講談社文庫 な 3-9 とらんぷ譚 1)
アンチ・ミステリの大作「虚無への供物」で著名な作者の連作短編集。「虚無への供物」のイメージが強いが、本来は本作のような幻想性・夢幻性に満ちた短編が本領とされる。13の短編が収められている。澁澤龍彦氏の解説も楽しめる。
各々の短編は一応独立しており、それぞれに趣向が凝らされているが、緩やかな連鎖がある。登場人物達の言動の虚実の見せ方、時間の遡行等の手法が巧みに使用され、単にオチが良く出来ていると言うレベルを越え、読む者を幻惑感で包む。「地下街」を初め、妙にノスタルジックな印象を与える作品が多いのも特徴。なお、この「地下街」は澁澤氏が「この作品について、なにも語りたくない」と褒め言葉を放っている程、錯綜感と懐古趣味が入り混じった秀作。澁澤氏も述べているいる様に、一作一作を紹介するのは野暮な内容で、兎に角読んで見て下さいと言うしかない作品揃い。
深い理知に基づいて書かれていながら、読む者を幻想と錯誤の世界に引き込む佳品。
きのこ文学名作選
不思議な本だった。主役はきのこ。きのこを題材にした古今の文学作品を集めた本だ。狂言や今昔物語などの古典からいしいしんじまで16編が並ぶ。
うっそうとした薄暗い林間にひっそりと生えるきのこたち。色とりどりに美しいきのこはもしかしたら毒を持っているかも知れず、食べられそうな地味なものでもどことなくあやうさやはかなさを伴っている。この本に登場する作品はそれらきのこの特徴をうまく捉え、ときにはエロティックに、ときには滑稽にきのこを描く。どれも小編でありながら楽しめた。個人的なお勧めは加賀乙彦の「くさびら譚」。
そしてなにより特筆すべきはこの装丁。なんという豪華な本だろう。何ページにも渡って文字のない真っ黒なページが続いているかと思うと、実は少しずつ紙質が変化していて手触りだけがその変化に気づく。ときには本をぐるりとひっくり返さなければ文章が読めなかったり、光にかざしてようやく文字が読み取れる作品もある。ボール紙のような分厚いページが続いたかと思うとわら半紙のようなざらりとした質感のページに変わっている。フォントもレイアウトも統一性がない。けれども楽しい。きのこのように怪しく美しい本の中に入り込むうちに、自分が薄暗い木の下闇のなかできのこにたぶらかされているような気持ちになってくる。
虚無への供物 (講談社文庫)
故中井英夫氏は生涯で唯一のミステリでミステリの全てをやってのけてしまった。
話の主軸となるのは、一応4つも出てくる密室と意表をつくアリバイ・トリックである。これだけでも十分凄いが更に圧倒されるのはその間に展開される眩暈を起こしそうな絢爛たるペダントリーの世界である。この作品に影響され、模倣した作品も数多いがあまり話には関係のない、作者が自分の知識をひけらかしているだけのものが殆どである。しかしこの作品は次元が違う。一見荒唐無稽なペダントリーが事実に基づいたものであり、実にわかり易く描かれその断片が見事結末に集約する。文章も練り練られてうまい。
ミステリであることを忘れてしまうような思わず笑ってしまう描写も数あり、作品の長さを感じさせない。どこかに妙な親近感を抱かさせれ、青春小説ともとれそうな雰囲気さえある。
また生き生きとした登場人物達もこの作品の大きな魅力である。殺人事件がありながら登場人物のキャラクターと卓越した文章力でもって話の残虐性はあまり感じられずこの大作は一気に読めてしまうだろう。
多分ミステリビギナーでもすんなり受け入れられそうなところがこれまた脅威である。
中井氏の作品は他にも読んだが物凄い筆力を持った本当に凄い人だったと思う。
とにかく読むしかない。
私はこの作品を読破したした後、暫くは他のミステリはつまらくてしかたなかった。
中井英夫全集 (3) とらんぷ譚
この品格。
「華麗なる幻戯の王国」とはよく言ったもの、なんだかひれ伏したい気分になる。
正直神々しすぎて鼻につかないこともない。
とはいえ「トランプ」になぞらえ展開されるこの54の短編、
一生かけてさまざまな角度から何度でも酔いしれよう。