闇の左大臣―石上朝臣麻呂 (集英社文庫)
時代小説はあまり読まないのだけれど、ミステリアスなタイトルに惹
かれて買いました。
若い時のずば抜けた体力と狡猾さを併せ持った麻呂も、年をとって、
体力も衰え、性格も穏やかになった麻呂も共に好きです。
年をとった麻呂は穏やかながらも、どこか哀愁が漂って物悲しい感じ
がもともに好きです。
自分が面倒を見ていた藤原不比等に次第に年寄り扱いをされていき、
麻呂もそういった状況を受け入れている。
元明天皇には長年の功績をねぎらわれて、もう引退してはどうかと言
われる。最後には自ら役職を退き、この当時としては異例ともいえる
77年の天寿を全うする。
なんか、切ないなあ、と思いました。
読者として若いころを知っているからなお更です。
一人の人物に焦点を合わせた大河小説として、本当に見事で味わい深い
小説です。
ぜひ、歴史に少しでも興味があるなら読んでほしい小説です。
闇の左大臣 石上朝臣麻呂
石上麻呂は、石上氏を物部氏の本宗とし、物部守屋大連が蘇我馬子大臣に滅ぼされてから衰退していた物部氏を復興したと言って良い人物である。物部氏はただの豪族ではない。皇室以前、大和の大王家であった家柄でり、現在も宮中祭祀に残る鎮魂祭など、神道は元々物部氏より発しているといっても過言ではない。また、金属のエキスパートであり、鉱山・鍛冶の技術指導を行い、全国に開拓団よろしく、多くの同族を送り出した。それは、流通・情報・宗教のネットワークとなり、隠然たる勢力を擁した。
その巨大ネットワークがある以上、物部氏は、まさに『闇』と部外者から思われる側面を持っていた、とも言える。さらに、守屋大連に加勢した一族の多くが奴婢とされ、四天王寺を初め、特殊任務に就かされたことから、より話はややこしくなった。物部の名をあえて表に出さない者も居たであろう。その内、本人たちも物部のネットワークという意識が無くなってしまったことも考えられる。七転び八起きの一族。人間とは悪戦苦闘して生きねばならないのだ。作者絶筆にふさわしい、人生の一面を抉った力作だ。
しかし、死ぬ直前の大友皇太子が麻呂に饒速日尊を揶揄する様な事を言うが、これはおかしい。物部氏と同様、皇室にも饒速日尊の血が濃く入っているし、いや、入っているからこそ皇室になれたのだと考えられるのに、自分の祖先を他人事のように言うはずがない。
石上大神は、子孫である皇室と物部氏を、光と闇の一族として継続させることで、人々に、人間の生きる道を教えているのかもしれない。
麻呂の子孫であり、闇の伊勢神宮?である石上神宮の宮司さんや社家の方々を見る限り、闇の左大臣の狡猾なイメージは浮かばないのだが・・・。