大天使のように
ヤプーズのアルバムの中では、わりとテーマが伝わりにくく、楽曲も緊張感はあるもののハジけたところが少ないストイックなつくり。懊悩を歌った2とか4がわりと戸川純っぽい世界で聞きやすい。他の曲は、なんだかピントがどこに合ってるのか、ぼくにはよくわからないのです。
もしかして世間に理解されやすいポップ・ロックを目指したのかな? なんて勘ぐってしまいます。音的にはクオリティ高いですしね。しかし、ぼくには方向が定まらない迷走に見える。それでも10は圧倒的なイメージで聴く者の心臓をわしづかみにすることでしょう。
DADADA ISM
これを毎日聴くのが日課になりつつある。
12階の一番奥はフレンチポップス風の可愛い曲。
しかし詩は鋭い。
ダダダイズムは林檎のストイシズムの元ネタでしょうねえ。
そっくり。
NOT DEAD LUNAは僕のテーマソング。
詩に共感とか馬鹿っぽいからめったに言わないけどこればかりは参りましたといわざるをえないくらい泣ける。
てかジムオルークが愛情たっぷりに解説してるのが笑える。
家畜人ヤプー〈第1巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)
既存の価値観ないし常識を、清々しいまでに覆してくれます。著者の中でのユートピア小説ということになるでしょうか。
「そこまでこじつけるか」とも思いますが、言葉遊びも楽しませてくれます。自然科学的な整合性は随所で破綻していますが、全く気にはなりません。
構想力と発想の柔軟性が勝利した作品と言えるでしょう。
HYS
椎名林檎の「無罪モラトリアム」に4年先駆けてあられもない思春期の現実を切り取ったアルバム。
「無罪モラトリアム」では、物語は少女が博多と思しき地方都市から東京へ出てきたところから始まって、ある晴れた日の(別れの後の)一人暮らしの脱力感で終わる。CDは絶頂から始まり、あとは全部エピローグ。比較的短期間の日常。
「HYS」もまた、様々なシチュエーションに仮託して思春期の感情のゆらぎを描き(タイトル曲の1のみ思春期とは関係のない日常)、最後は別れの後の一人暮らしの脱力感で終わる。両者に共通するのは泣きはらした後の脱力感と若干の開き直り。「HYS」にのみ満ちているのは自分に欠落しているものへの渇望感。
「無罪」ではリアルタイムであるが故の疾走感が若い人たちの共感を呼んだが、「HYS」では振り返る視線で思春期の感情のゆらぎを描写したが故に、歌詞はより残酷で、歌は演劇性を含み、時間は圧縮され、「無罪」に共感した若い人たちの共感を呼ばない。
4. では「バーバラ・セクサロイド」と同じ世界を使いながら、唄っている内容といえば明るくない未来に向かってすら人は生きざるを得ないという現実、否、生き延びるのだという決意。「オーロラ・B」に似た内容の8. でも、主人公を苛むのは寂しさではなく肥大しパンクしそうな自我。「ヤプーズ計画」のエロ・グロ・イノセンスのようなキャッチーなコピーは似合わないし、戸川純のエキセントリシティからパンキッシュな曲を期待すると肩すかしを喰らう。実に真っ当な変幻自在の戸川純風味ロックアルバム。
TOGAWA LEGEND SELF SELECT BEST&RARE 1979-2008
最高です。改めて戸川純の偉大さに感動しております。
このレジェンドで終わることなく永遠によき歌をぜひお願いいたします。
「神聖ムウ帝国亡国歌 」 「青銅の軟体」 「恋のコリーダ」
等々 すべての楽曲との出会いに感謝する次第です。
歴史は1人の天才で変えられると言いますが、まさに彼女の存在は
その独自の世界観からも歴史上の奇跡と言って過言ではないと思います。
「どんなジャンルの音楽がお好きですか?」と聞かれたら
「戸川純」と答えられる確かな世界がここにはあります。