百人斬り裁判から南京へ (文春新書)
昭和二三年一月二八日、向井敏明少尉と野田毅少尉は、南京大虐殺に関連するBC級戦犯として南京の雨花台で処刑された。「百人斬り」の証拠が新聞記事一枚という不公正な裁判だった。二人は遺書にこう書いている「我々の死が中国と日本の楔となり、両国の提携の基礎となり、東洋平和の人柱となり、ひいては世界平和が到来する事を喜ぶものであります」(野田少尉)「我が死を以って中国抗戦八年の苦杯の遺恨流れ去り日華親善、東洋平和の因ともなれば捨石となり幸です」(向井少尉)。
「我々の死を犬死、徒死たらしめない様に」望んだ二人の少尉は、七〇年たった今も南京大虐殺の象徴とされ、中国のプロパガンダに利用されている。二人の写真は南京大虐殺記念館の花形であり、「日本人将校の鬼畜にも劣る蛮行」は中国の小学校の国語と社会の教科書に載せられ、日本の小学校で教えられるケースまである。二人の写真が「虐殺者」として世界中に流され続けるこの状況を何としてでも変えなければならないと立ち上がったのが衆議院議員の稲田朋美氏である。
本書は平成一八年一二月二二日、最高裁で棄却された「百人斬り訴訟」の三年半におよぶ闘いの記録である。結果は敗訴であり、遺族の人権侵害権は認められず、本多勝一の「中国の旅」は今も書店に並んでいる。だが、本書が一人でも多くの人に読まれる事が二人の名誉回復につながると考えたのは正しい。戦争に関して一般的な知識しかなかった稲田氏は、李秀英裁判に関わる過程で歴史認識を新たにしていった。朝日新聞がその強大な情報収集能力を駆使して提出した証拠が、二〇〇以上も致命的間違いのある私家本「私の支那事変」であった事、「新聞に真実を報道する法的義務はない」と開き直った毎日新聞、一度も法廷に出て来なかった本多勝一。このような人々によって戦後の日本人の歴史認識は作り上げられてきたのである。現代の荒廃は彼ら無責任なジャーナリストによってもたらされたのではないか。
私は日本を守りたい
「『道義大国日本』を創らんとする福井のおっかさん」かつ「アメリカ派でも中国派でもなく、『日本派の真正保守』政治家」である稲田朋美自民党議員の言論集大成。
全編で「民主党が行う選挙対策のためだけの『不道徳』かつ『利益誘導政治』、及び推し進める各種闇法案」を徹頭徹尾批判する一方「自民党の、保守の立党の精神や党是『戦後レジームからの脱却』を忘れたかのような姿勢」も叱咤激励する。
彼女の強みは「何を語るにも背骨が一本通っている」事。
つまり本書で語られる憲法法律問題や経済政策、民主党や自民党への批判全てに「道義」という視点があるのだ。
また法制度や経済、ひいては政治はあくまで「国民全体が安心して暮らせるようにするための手段」という本質も繰り返し主張される。
この点「たちあがれ日本」平沼赳夫氏代表なみの安定感、信頼感がある。
勉強になったのは第三章の各種闇法案への反駁。
憲法や法律の趣旨、民主党各種議員との国会答弁、新聞や論文抜粋等で平易かつ多角的に論じられる。
一方「日本の法制度のベースには日本の文化や伝統や価値観が深く浸透している」という啓発があり、「日本国において『家族』とは何か」という認識がこの章で大きく固まった。
この章は日本国民全員に読んでほしいと勧めたくなり、同時に著者が家族をこの上なく大事にする暖かい姿勢が感じられ、尊敬の念を抱いた。
経済政策はデフレ環境下の今に小泉内閣の構造改革、つまりインフレ対策を主張したりと突っ込みどころや不見識が散見される。
が、「自民党内の構造改革推進派と反対派で徹底議論すべき」という結論ゆえ大きな問題ではない。
最終章の七つの提言では「村山談話、河野談話の破棄」が謳われており、それを主張する政治家を待っていた!と一人膝を打った。
彼女なら管総理が発表した売国談話も破棄してくれるでしょう。
日本的道義を再確認したい方、真正保守政治家を知りたい方にお勧めの名著。
日本を弑(しい)する人々−国を危うくする偽善者を名指しで糾す
非常に素晴らしい本でした。東京裁判自体が国際法無視の報復儀式で、その後アメリカの7年の占領政策でいわゆる「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」が行われ、まんまと洗脳された人々が日本をだめにしていることをより痛感しました。