ピアノピース 坂本龍一 戦場のメリークリスマス (ピアノ・ピース)
まず「ピアノピース379 戦場のメリークリスマス/坂本龍一」というのが同じくピアノピースから発売されてますが、商品寸法を見たところ同じ物ではないようです。
私が持っているのはこちらのほうなんですが、店頭に行けば今でも普通に売られてます。私が購入したのも発行日が2009年なので、アマゾンでは更新されてないみたいですね。
このピアノピースは表紙が黒く光沢があり、曲名の部分も金色で光っているので見た目が立派だし、この曲しか入っていないので薄く扱いも手軽です。
私も購入するとき散々迷ったのですが、オリジナルバージョンとはどういう意味かってことです。
坂本龍一さんが直接監修した楽譜は「アヴェクピアノ」と「coda」に収録されたバージョンの二つなんですが、どちらもyoutubeで検索すれば聞けます。
私が一番気に入っているのはチェロとバイオリンのトリオ演奏によるバージョンで、これは「1996」というタイトルが付いています。できればこのバージョンをピアノで弾きたかったのですが、トリオ演奏なのでピアノ部分だけ抽出した楽譜というのがありません。
それで上記のアヴェクとcodaのバージョンは1996と聴き比べると迫力に欠ける印象があったので、しかもピアノピース525円と比べて値段がかなり高いので、こうなりゃこれでいいかと思い購入しました。
1996と比べてこのピアノピースはちょっと違うなと思う所もあるのですが、演奏時間はだいたい4〜5分かかるので量は他のバージョンと比べても同じです。これにはイージーバージョンも付属してますがどうせやるならオリジナルでしょう。イージーとオリジナルは似てるとは言っても違う楽譜であることに代わりはありませんから最初からオリジナルのほうをやるべきです。
盛り上がりの部分「じゃっじゃっじゃっじゃ じゃっじゃっじゃっじゃ・・・」は右手指を全て使うので迫力あります。両手ともフラットが5個ついているので慣れるまでは大変だと思いますが、メロディは共通した部分が数多くあるので根気強くやりましょう。
私が最終的に弾けるようになったのは購入してから3ヶ月ぐらい経った後だと思います。
ちなみに☆4にしたのは上述の通り1996が理想だからです。
TAB譜付スコア 押尾コータロー STARTING POINT
一般のバンドスコアノレベルが中だとすると、これはまさしく上!
でも、そんなんだから余計弾きたくなる。
押尾コータロー氏が弾くくらいキレイに弾けたら、
なんて素晴らしいんだろうと思う。
アコギが好きな人なら、是非買って試みて欲しいです。
もし、日本という国がなかったら
著者の意図するところは素晴らしいと思う。つまり、アメリカとイラクの戦いを宗教戦争と位置付け、非宗教的な日本こそが世界平和に貢献できるという主張である。(287ページ)
しかし、誠に惜しいことに、戦前の日本に対しての著者の理解はいかにもアメリカ人的な一面的なものに見える。
たとえば「どの国の若者も、両親や祖父母や、それより前の祖先たちの犯した罪の責任をとる必要はありません。」という舌の根も乾かぬうちに、「そのような犯罪を二度と起こさないようにすることです。(中略)(植民地主義や貧困などに苦しめられてきた国の人々には、必要とあらば手厚い支援もして)、過去の悪行を償うことです。」(155ページ)というのだ。
また、「若い人たちは、(中略)学校で軍国主義的、国粋的な教えを刷り込まれてことを恨んでいました。」(24ページ)とか、
「戦時中の日本の男に対して世界が持っているイメージといえば、容赦のない残虐行為と、敵とみなした相手への同情の完全な欠如、といったものです。もちろん、当時の日本軍の蛮行や非情さの記録を見れば、非日本人がそう考えるのも無理はないでしょう。」(258ページ)といっているが、これは日本軍に対するアメリカ人の恐怖を裏返しにした全くの誤解と、アメリカ軍と中国国民党軍や中国共産党軍による逆宣伝の結果である。
著者もアメリカ人として、アメリカの国家的な洗脳に侵されているのではないのか、と思われてしまう。
著者はこのすぐ後の文で杉原千畝を称賛しているが、それは、以上のこと(日本軍の蛮行と非情さ)を決して否定してからいっているわけではない。(つまり著者も非日本人だから、そう考えている、というわけだ。)
また、286ページでは、「天皇というものも、1868年の王政復古で明治天皇が即位するまで、日本という民族国家、つまり、日本の民衆の実質的な統一者であったことは一度もないのです。」などといって、日本史についての知識のなさをさらけ出している。
著者が日本を好きで、宮沢賢治が好きだというのはわかるのだが、戦前の日本への理解のなさ、この辺が誠に惜しく、残念である。