Yohji Yamamoto
彼のシャツはいつも襟が美しい。彼のジャケットに袖を通すと、地球の重力がすこし小さくなった気がする。彼の洒落たイラスト入りのタイを締めると、ちょっぴり気の効いたジョークが言えそうだ。
だが問題は、どれだけ服にお金を使っても、それがどこからやって来たのか皆目分からないことである。
この本に眼を通しても、やはり分からない。分からないけれど、それが誰にも真似のできない仕事であることだけは了解している。
本書は2011年の初夏に、山本耀司のパリコレデビュー30周年を記念して出版された。同時期にロンドンで開催されたエキシビジョンにもリンクする。内容はヨウジヤマモトの服飾デザインを、デザイナーである山本自身へのインタビューと関係者のエッセイ、そして広範な写真で解明する試みである。
山本の創作を支える思想については、自著であるMY DEAR BOMBに詳しい。そちらがやや難解な面を持つのに対し、本書でのインタビューはより率直で分かりやすい言葉で語られている。また長年の協業者である二瓶マサオのエッセイと絵画作品も、ブランドの個性を知る役に立つだろう。
掲載された写真はブランド側からの提供が多く、90年代〜00年代のコレクションを収めたオフィシャルフォトが主体。おもに欧州の写真家を起用している(特にニック・ナイトの作品が多い)にもかかわらず、他のブランドとの肌触りの違いは明らかで、どの写真にもデザイナーの美意識が色濃く現れている。優れた服は着る人の品格を高めるが、山本の服はそこに時空を超えたアンドロジナスが薫る。
本書は服飾に興味を持つ人にも、人物写真を愛する人にも楽しめる内容だが、私にとって問題がひとつ。優雅な服とそれを着こなすモデルたちよりも、その間に挟むように置かれた山本のポートレートの方がずっと「イカして見える」ことだ。彼の音楽の趣味にはまったく共感できないが、やはり山本耀司は別格である。
たかが服、されど服 -ヨウジヤマモト論
この本で鷲田氏は、いつものように世界中の哲学者を引きながらも、かなり率直にヨウジの服と向き合っているように感じた。「わたしはなぜ、ヨウジヤマモトを着るのだろう?」という帯のとおり、少年っぽく含羞しつつも、「飼い馴らしにくい野郎」にこそふさわしい服だ、と書いているのだ。
また鷲田氏は、モードとはつねに世界をドライブし、すぐに古いと嘲笑するエフェメラルなものだと定義したうえで、ヨウジの服は「時間をデザイン」していると述べる。つまり、彼の服には別の時間軸があり、それを着ていても、外部から何かの役割分担を押し付けられない「自由」さがあるのだと。
と同時に、白洲正子氏の言葉「非風」つまり「正しくない型」を引き合いに出し、ヨウジの服は「いかがわしい服」だとも喝破する。それは、アシンメトリーな形や切りっぱなしの裾、ぶらさがる意味不明な布、というあのデザインからも明らか 。しかも色は「翳りの深さ」をも含めて「すべて包みこむ抱擁の黒」。
とりわけ、「女」という性に踏みこんだ「女性的なるもの、あるいは埋められぬ隔たり」の章は読みごたえがあった。ヨウジは背中からデザインしていくことで有名だが、彼にとって女性とは「通りすぎるひと、去ってゆくひと」だという。なるほどランウェイを歩くモデルのスナップ(最高の時期だったと言われる90年代中心で、118点の写真も大変見ごたえがある)は、圧倒的に後ろ姿が多い。
「たかが服、されど服」豪奢な王族の装束をまとった役者に、逸民の迫真性は演じられるか? 確かにヨウジヤマモト寄りの本ではあるが、身体とは、服とは何かという根源的なことを考える哲学入門書とも言えると思う。
THE SHOW Vol.4 yohji yamamoto collection music
山本耀司氏のTHE SHOWのための音楽をまとめたサントラ盤。暗号のようなタイトルのインスト曲が並んでいます。エレクトリックギターを多用したテクノっぽいサウンド。この手のサントラというとアンビエントを想像しがちですが、そこは高橋幸宏+鈴木慶一。あくまでポップで聴きやすい作品群です。
MY DEAR BOMB
『たかが服、されど服』でyohiji yamamotoの世界観に魅せられこの本を購入したが、とにかく深い深い・・・。
何回読んでも内容を完全に理解するのは無理なんじゃないかとも思った。
個人の理解にゆだねられる部分もあるとおもう。
とにかく、この世界観はすごい。。。息を呑む内容であった。
Music for Yohji Yamamoto Collection 1995 THE SHOW vol.7
このCDは有名ではなく流通量も少なそうだが、坂本龍一作品の中でも有数の燦然たる魅力を持っていると思う。
楽器はピアノだけ。(ただし冒頭のみプリペアドピアノ、またかすかに音響加工が入っている部分もある)
1曲のみ収録だが35分ある長大な曲。
構成自体は相当にミニマリズム的であり、長い曲にもかかわらずメロディーパターンが約4種類のみ。
いわばA、B、C、A、B... といった簡素で整然とした構成。
それらが非常に緩やかなニュアンスの変化を経て高まっていく演奏がなされており、薄闇の静寂のなか、悲哀を秘めたひそやかな吐息のような冒頭部から徐々に徐々に悲嘆が燃え上がるような後半に向かって高揚していく。
無駄な音符は一切ないミニマル性・抽象性でありながら、どこか東洋的な静けさと溢れるほどの切ない響きの情感を持つ。この情感は、ある意味平坦な、展開というものがない曲構造を、能う限りロマンティックに奏でた演奏によって生まれているのだ。
斯様に、坂本氏の作曲上の特性に加えてピアニストとしての技量も十二分に発揮されている。
ピアノ、ミニマル、簡潔さ、和声感、音響性、東洋的、瞑想的、モノクローム的、センチメンタル、メランコリックといった、坂本作品全般にみられる特徴が最高度の凝縮・結晶化を果たした一曲と言っていいだろう。
傑作の名に値する作品。
個人的には教授のなかで5位以内に入ります(^^)