ガリア戦記 (岩波文庫)
カエサルの戦争術を学べる本。
ガリア地方(南北約965km、東西約935km)を、3万前後の軍で征服したカエサルの戦争術を学べる。迅速な機動・兵力集中・各個撃破・政治力の活用・補給線の確保によって広大な地域をいかに征服するかの事実の総合的記録であり、地図上で地名・日時を押さえながら、軍をどのくらいの速度で移動させ、その意図は何だったか、そのためには何が必要だったか、技術的な限界はどこまであったかなどを知ることができる。
カエサルは、軍を迅速に移動させ兵力集中を実現し、各部族を各個撃破した。各個撃破するためには、敵部族の兵力集中を防止しなければならないが、カエサルは、それを1つには副官ラビエヌス軍による牽制、1つにはナポレオンが言うところの自軍の評判すなわち政治力による牽制によって実現した。
そうして、戦役初期には、カエサルが淡々と各部族を征服していく様が記録されている。そして、戦役中期には、ゲルマン地方・ブリタニア地方へも遠征し戦線を拡大していく様が記録されている。そして、戦役後期には、ガリア側にウェリキンゲトリクスという指導者が現れ、ガリア部族の意志統一・ローマ軍の補給線への攻撃・焦土作戦によって、カエサルを苦しめるのであるが、アレシアの戦いでカエサルが勝利する様が記録されている。
戦闘レベル・戦術レベルの知識は、近山金次氏の(注)・国原吉之助氏の(注)・塩野七生氏の著作によって知ることができる。カエサルが、ガリア戦役と同時に遂行した政治的野心の実現は、長谷川博隆氏、塩野七生氏の著作によって知ることができる。これらによって、カエサルが下した個々の決断の前提条件・背景がより立体的に把握できる。
あなたの犬は幸せですか
あなたの犬は幸せでしょうか?
愛情いっぱいに。でも、
本当にそれは犬が望んでいることなのでしょうか?
犬が犬らしくあるために。
私たちは犬とどう向き合っていけばいいのか。
シーザーはそれを教えてくれました。
全ての愛犬家の方に、是非読んで頂きたい1冊です。
ジュリアス・シーザー (光文社古典新訳文庫)
シーザーがブルータスたちによって暗殺され、暗殺者たちもアントニウスらに敗れ滅ぶ。歴史の流れは、この悲劇の中でも変わりありません。
したがって、なぜ(Why)ブルータスがシーザー暗殺を決意したのか、ひょっとしたら(If)シーザーが暗殺者の手から逃れるのではといったことは、中心的な話題にはなりません。
その代わり、シーザー死後の追悼演説を巡る群集心理の不安定さや恐ろしさ、ブルータスとカッシウスが交わす口論の熱さとシーザーの亡霊を前にしたブルータスを包む静けさなどが強く前面に出ています。
筋書きではなく、言葉の力で読ませるといっても良いでしょう。
ローマ人の物語〈13〉ユリウス・カエサル―ルビコン以後(下) (新潮文庫)
本書を読むと、ハンニバルの言葉『外的に成功しても、内臓疾患のように、内なる敵から蝕まれてゆく』が思い起こさせます。まさに歴史は繰り返すの堂々たる見本。それは稀代の創造的天才でも覆すことは出来なかったのです。
さて、本書の言葉を借りれば、『人間は見たいと欲する現実しか見ていない』アントニウスやブルートゥスとは資質を異にしたオクタヴィアヌスの登場で、カエサルの威光はこの養子に引き継がれてゆきます。このあたりの獅子奮迅する20歳前後の青年の行動は、爽快さよりもむしろ、恐怖感を与えます。20にして立つとは・・・。ひるがえって日本国。周りを見渡しても20にして立っている青年はいるでしょうか。
カエサル亡き後のローマの平和に向けて、オクタヴィアヌスの大事業の開始を告げる鐘が鳴り響きます。
J・A・シーザー 伝奇音楽集 鬼火 天井棧敷音楽作品集VOL.2
これまで表に出てこなかった音源はもちろん、シーザーや森崎偏陸氏のインタビューなども含めて凄まじい情報量です。これ程までの名作が30年間も埋もれていたなんてと愕然とするしかありません。
馴染みの曲が70年代後期のシーザーの編曲によって装飾されてるのは極めて興味深いですし、万有引力期の打ち込み音源でしか聴くことの出来なかった曲、それまで名前しか知らなかった曲、名前すら知らなかった曲など名曲が目白押しです。
シーザー歌唱の曲に関してはともかく良い曲だくらいしか言えないのですが、「子供遊戯七夜の祝」等の日本的な情念とロックが融合したスタイル、ペルシア・アラブ的なイメージから出来た「シルクロード」、シーザーがユーゴスラビアで出会った女性と同棲してたところを劇団に呼び戻されたエピソードから作詞作曲された「巴里寒身」など実に多彩な曲が収録されています。
どの曲を聴いても驚くのがその音楽的センスです。まったく古臭さを感じさせません。
そして今回注目度が高いと思われるのがDISC1に収録された「身毒丸」の原形、「せっきゃうしんとくまる」ですがまさしく原形です。
約25分ほどの作品ですが音楽的に見れば基本骨子はほぼ変わっていません。
「身毒丸」で感じた鬼気迫る迫力とは違い、独特の不気味さ、生々しさを感じることの出来る作品です。
次にDISC2に収録されている「草迷宮」ですが、「せっきゃうしんとくまる」とこの作品を組み合わせて拡大構成したのが舞台、「身毒丸」らしいです。ですがそれは物語構造的な話で音楽的には完全に別の作品です。約35分ほどの作品ですが「せっきゃうしんとくまる」と比べても台詞が多く、どちらかというと単独の音楽作品というよりは完璧に音楽劇の領域です。
その完成度の高さは音だけ聞く限りでは「身毒丸」に匹敵するレベルだと言えるでしょう。
「せっきゃうしんとくまる」と比べると対照的に幻想的な世界観です。
ただどちらの作品にも言えるのですが音質があまり良くないうえに上演台本発見ならずという事でブックレットに情報未掲載なので「身毒丸」や映画「草迷宮」などを知ってないと台詞、歌詞などわかりにくい部分も多いです。
同じくDISC2の組曲「怪人フー・マンチュー」ですが、コーラス主体のロックオペラ的な作品で、寺山的な怪しく胡散臭いイメージが炸裂した名作です。これは台詞が入っていても曲の中の一部のような構成で純粋に組曲形式の作品ですね。一部シーザーも歌っています。音質はそれほど良くありませんが歌詞は掲載されてます。
99年の万有引力の公演を見たことがある、またはビデオを持っている人はその時に使われた曲の約半分はバンド編成だったのが打ち込みに変わっただけでこの組曲の物とまったく同じだと気付くでしょう。
更にDISC3に収録された一時間を越える大作「十字架の蜃気楼」なんですがこれはちょっと凄いです。
島原の乱を題材にして、ナレーションや台詞も入り混じったシアトリカルロックというかロックオペラというか後のシンフォニックメタルに通じるような、79年の作品とは信じ難いかなり先進的な音楽センスを感じさせられる作品です。
馬渕晴子さんの脚本の影響だと思われますが、今までの寺山的世界観の基で作られた曲とは音楽的ニュアンスがだいぶ違います。
脚本や演出、構成によって出す音を変えてくる劇伴音楽家としてのシーザーの本領発揮ともいえる貴重な作品でしょう。収録された作品の中では録音も比較的良く、歌詞も掲載されています。
ナレーションや一部の台詞等は未記載ですが十分聞き取れる範囲内です。
また珍しい所では70年代後半以降のシーザー音楽には欠かせないメンバーであるチューバ奏者の石井弘二さんが何故かメインボーカルを採っているそうです。
上記に書いた一連の組曲系の作品は天井桟敷から根本豊さんや若松武さん、新高恵子さんなどの代表的な役者が参加していますが、その個性あふれる演技も作品に大きな彩りを与えています。
次はDISC4の75年のリサイタルで、これは極一部の抜粋になっているのですが特筆すべきなのが「人力飛行機のための演説草案」でしょう。
73年のリサイタルや過去の市外劇では昭和精吾さんが朗読していた詩ですが、今回は寺山修司氏本人の朗読です。
最初の挨拶から朗読後の拍手までが収録されているのですが、背後で不穏に鳴る音のなかで朗読される詩が妙な迫力を醸し出しています。
最後にDISC5の81年「蘭妖子コンサート」についてですが、これはもう本当に素晴らしいです。
もしかしたら今回の5枚組みCDの中でもベストな一枚かもしれません。
静かで情念的な曲、コミカルな曲、激しいロック的な曲、「惜春鳥」に代表されるジンタ系の曲など全てが素晴らしい。
絶頂期のシーザーによるバンド編成の編曲と蘭妖子さんの歌が組み合わさったこのCDはまさに奇跡的な一枚と言えるでしょう。音質も古いライブ音源としては良好です。
珍しい曲としては寺山ファンには強烈なエピソードがいくつか知られる寺山修司氏の母親、寺山はつさんが作詞でカルメン・マキの「時には母のない子のように」を作曲した田中未知さん作曲の「おど」、シーザーこんな曲書くんだ、と意外さを感じさせるジャズ調の曲「サムタイム・サラジェーン」等があります。
総評として言えるのは何が何でも買うしかないという事。
シーザー、寺山ファン以外にも、ハードロック、プログレ、ロックオペラ、シアトリカル、シンフォニック、日本的なロックなど、これらの単語に興味がある人は買いです。