屋根の上のヴァイオリン弾き
今では伝説となっている森繁久弥のテヴィエ、そして『屋根の上のヴァイオリン弾き』。ステージのライブ収録としては現在唯一の存在である。
森繁テヴィエの妙は“その語り口”と彼の醸し出す“雰囲気”にあった。三人の娘を嫁がせるにあって彼の直面した問題、そこには時代も国の違いもない。貧困・信条・信仰。ただそこにあるのは“幸せになってくれれば”との娘に寄せる父親の思いだけだった。
4人のテヴィエ(森繁久弥・上条恒彦・西田敏行・市村正親)はそれぞれに個性的な父親像を演じ、それに甲乙を付けることに意味はない。作品の底に流れるのは“異なった価値観と如何に共存していくか”の重い問いかけであり“人間への慈しみに溢れた眼差し”に他ならない。
目を閉じてこのCDを聴くとステージの模様が自然と浮かんでくる。娘と二人して会話する父親、はにかみながら妻に“愛しているかい?”と聞くと、妻も“女房だよ”とてれながら返す会話、そして終幕近くに発せられる司祭の言葉“また別の土地で主を待とう”“ここはまだアメリカじゃないんだよ”と子供達を諭すゴールデの悲しみに満ちた言葉の数々がこうした光景を彷彿とさせる。ミュージカルに託された“言葉としての台詞の意味”は“演劇にとって貴重な財産”でもある。
オリジナルは元々2枚組アルバムだった。
森繁テヴィエの妙は“その語り口”と彼の醸し出す“雰囲気”にあった。三人の娘を嫁がせるにあって彼の直面した問題、そこには時代も国の違いもない。貧困・信条・信仰。ただそこにあるのは“幸せになってくれれば”との娘に寄せる父親の思いだけだった。
4人のテヴィエ(森繁久弥・上条恒彦・西田敏行・市村正親)はそれぞれに個性的な父親像を演じ、それに甲乙を付けることに意味はない。作品の底に流れるのは“異なった価値観と如何に共存していくか”の重い問いかけであり“人間への慈しみに溢れた眼差し”に他ならない。
目を閉じてこのCDを聴くとステージの模様が自然と浮かんでくる。娘と二人して会話する父親、はにかみながら妻に“愛しているかい?”と聞くと、妻も“女房だよ”とてれながら返す会話、そして終幕近くに発せられる司祭の言葉“また別の土地で主を待とう”“ここはまだアメリカじゃないんだよ”と子供達を諭すゴールデの悲しみに満ちた言葉の数々がこうした光景を彷彿とさせる。ミュージカルに託された“言葉としての台詞の意味”は“演劇にとって貴重な財産”でもある。
オリジナルは元々2枚組アルバムだった。
屋根の上のヴァイオリン弾き
余りにも有名な、森繁さんの最大の当たり役となった名作ミュージカルの78年のスタジオ録音盤です。他に77年と81年のライヴ盤がありますが、このスタジオ録音は曲順を入れ替え、森繁さんの新たなモノローグを加え、アレンジも新しくなったレコード用の構成となっています。「我がセンチメンタルの碑」「ああ戦友」などの森繁さんの一連のコンセプト・アルバムに近くなっています。
中古のLPはよく見かけますが、CDが現在入手困難なのが残念です。森繁さんのCDは人気が高いので、一日も早い再発をEMIジャパンに望みます。
この作品は日本では「サンライズ・サンセット」がテーマソングのようになっていますが、欧米ではテヴィエのソロ・ナンバー「金持ちなら」のほうが人気が高いようです。この歌の"森繁節"も味わい深く、プロードウェイのゼロ・モステルやロンドンや映画のトポルとは違った個性が堪能できます。
中古のLPはよく見かけますが、CDが現在入手困難なのが残念です。森繁さんのCDは人気が高いので、一日も早い再発をEMIジャパンに望みます。
この作品は日本では「サンライズ・サンセット」がテーマソングのようになっていますが、欧米ではテヴィエのソロ・ナンバー「金持ちなら」のほうが人気が高いようです。この歌の"森繁節"も味わい深く、プロードウェイのゼロ・モステルやロンドンや映画のトポルとは違った個性が堪能できます。
屋根の上のバイオリン弾き (ハヤカワ文庫 NV 44)
ユダヤ人の苦境がよくわかる。主人公にはろくなことが起こらないけれど、前向きに生きているし良い父親でもある。小説自体も面白いけれど、ユダヤの教義やおかれている状況など、ユダヤ人を知る上でも良い参考になると思う。
牛乳屋テヴィエ (岩波文庫)
「屋根の上のバイオリン弾き」の原作です。
ショレム・アレイヘム先生にテヴィエが、独白する形で書かれています。
10編の連作短編集の形を取っており、牛乳屋テヴィエの一家が様々な試練に見舞われ、ついには住み慣れたウクライナの地からロシア人によって追い出されてしまうまでを描いています。
5人の娘と共に妻と7人暮らしをしているテヴィエの家は、決して豊かではありません。
でも、家族一緒に仲良く暮らしているのですが、娘たちはそれぞれ年頃になってきます。
長女は、親の思惑とは別に好きな人と一緒になり、子供も生まれ幸せに暮らしているかに見えますが、病気に斃れ子どもと共に残されてしまいます。
次女は、活動家を好きになり、逮捕された夫を追ってシベリアの地に追いかけてゆきます。
三女は、異教徒と一緒になり、勘当同然になりますが、ウクライナ追放の悲報に一緒に逃げるべく戻ってきます。
四女は、金持ちを好きになるのですが、格の違いを理由に相手の親戚から反対にあい、悲観して自殺をしてしまいます。
五女は、見合いで金持ちと結婚するのですが、事業の不振もあってアメリカに渡ります。
そうした中で妻の死があり、長女と三女それに孫と一緒にテヴィエは旅立ちます。
これだけの悲劇があっても、敬虔なユダヤ教徒であるテヴィエは、それらを試練と捉え、淡々と対応している様にも見えます。
それでも、先生に時々「神の不在」を嘆きます。
ユダヤ人に対する様々な弾圧の中で、彼らは集団となって耐えてゆきます。
この後起こるナチスの弾圧で、極限に到達するのですが、国土を持たないと言うことの大変さを改めて感じました。
ショレム・アレイヘム先生にテヴィエが、独白する形で書かれています。
10編の連作短編集の形を取っており、牛乳屋テヴィエの一家が様々な試練に見舞われ、ついには住み慣れたウクライナの地からロシア人によって追い出されてしまうまでを描いています。
5人の娘と共に妻と7人暮らしをしているテヴィエの家は、決して豊かではありません。
でも、家族一緒に仲良く暮らしているのですが、娘たちはそれぞれ年頃になってきます。
長女は、親の思惑とは別に好きな人と一緒になり、子供も生まれ幸せに暮らしているかに見えますが、病気に斃れ子どもと共に残されてしまいます。
次女は、活動家を好きになり、逮捕された夫を追ってシベリアの地に追いかけてゆきます。
三女は、異教徒と一緒になり、勘当同然になりますが、ウクライナ追放の悲報に一緒に逃げるべく戻ってきます。
四女は、金持ちを好きになるのですが、格の違いを理由に相手の親戚から反対にあい、悲観して自殺をしてしまいます。
五女は、見合いで金持ちと結婚するのですが、事業の不振もあってアメリカに渡ります。
そうした中で妻の死があり、長女と三女それに孫と一緒にテヴィエは旅立ちます。
これだけの悲劇があっても、敬虔なユダヤ教徒であるテヴィエは、それらを試練と捉え、淡々と対応している様にも見えます。
それでも、先生に時々「神の不在」を嘆きます。
ユダヤ人に対する様々な弾圧の中で、彼らは集団となって耐えてゆきます。
この後起こるナチスの弾圧で、極限に到達するのですが、国土を持たないと言うことの大変さを改めて感じました。