『
鋼の錬金術師』のために作曲された全3枚のCDを聴いて思ったのは、千住 明が、これからも大きく変化する可能性を秘めた、いまだ「発展途上」にある作曲家であるということであった。
今日、日本では、久石 譲を筆頭にして、岩代 太郎・大島 ミチル・渡辺 俊幸等の映像音楽の作曲家が活躍しているが、正直なところ、それらの作曲家は現段階において既にその個性と能力を完全に発揮しているように思われる。今後、彼等がわれわれを驚かせるような変貌を遂げるようにはあまり思えないのである。
しかし、千住 明の音楽を聴くとき、われわれはそこにさらなる可能性が秘められていることを直感することができる。少なくとも、今回『
鋼の錬金術師』のために作曲された音楽は、千住 明という作曲者の将来にわれわれの期待を高めてくれるような実に卓越した作品だと思うのである。
ただし、個人的には、大島 ミチルと千住 明という2人の作曲家により創造された『
鋼の錬金術師』を比較すると、大島氏の作品にやや分があると思う。千住氏の場合、音楽を構成するひとつひとつの要素が小さいために、ときとして、音楽そのものが細筆で書いたようなどこか神経質な印象をあたえてしまうことになる。これにたいして、大島氏の音楽は、本能の赴くままに太筆で書いたような思い切りのよさを感じさせるのである。また、それゆえに、大島氏の音楽には、大胆な旋律美が息づいており、それがいい意味での大衆性を生んでいるように思うのである。それと比較すると、千住氏はずっと頭脳明晰であり、その音楽には常に理性の制御がいきとどいている。そして、正にそれゆえに、音楽がそこはかとない線の細さを感じさせてしまうのだろう。
しかし、この『
鋼の錬金術師』という作品を聴くと、この作曲家の中には、いまだ十全に発揮されていない「凶暴さ」のようなものが潜在していることを直感することができる。そして、今後、それがその卓越した知性と技術と融合を果たしたときには、この作曲家を真に偉大な存在に高めるのではないかと期待させるのである。
この第3巻であるが、ワルシャワでワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団(Filharmonia Narodowa)と録音した楽曲を中心にして構成されており、第1巻と同様に非常に充実している。純粋に優れた管弦楽曲をたのしみたいというひとには是非推薦したい作品である。
正直なところ、こうした音楽が子供たちを対象としたTVのアニメのために作曲されているということは、正に驚くべきことだと思う。こうした良質の音楽が提供されることが、子供たちの感性にどれほど貴重な滋養をあたえていることだろうか……。