たいむすりっぷメガネ [DVD]
この映画、青春ファンタジーといえばそうとも見れるが、スケバン○カとか、ビー○ップハイスクールを意識したような、丈の長いスカートに竹刀を担ぐなど、昭和臭をプンプンと感じる作品で、役者さんみなさんがわざと泥臭さを出した演技をしている。時計の針を逆回しするというアナログ的な手法でタイムスリップを表現したり、劇中のアクションシーンはスピード感を出そうとしてCGを重ねるという手法を採用したのも狙いに違いない、つまり「コメディ」というジャンルに極めて近いと思う。しかし、単なる娯楽映画だと片付けてはいけない。映像(外側や表面的な部分)に対して、ストーリー(内側)は極めてシリアスで、どちらかと言えば、暗く重く、スローな展開なのだ・・・
親、兄弟、子供、友人、職場の同僚・・・人は多くの人の中でさまざまな関係を持ちながら生きている。この映画でのタイムスリップとは「偲ぶ」ことであり、それに「気が付く」というところにあるのだと思う。人生には巻き戻せる(振り返ってやり直せる=修復できる)過去もあれば、もう巻き戻せない(絶対に戻せない)過去もある、この「動と静」の関係を区別して表現しているという意味で、人生の経験を重ねた、大人向けの内容だと思う。ただ、幅広い年齢層を目的にしたためか、シーンによっては、表現的にかなり演出にくどさを感じた。こんなに噛み砕く必要があるのだろうか?映像をもう少しカットしても伝わるのでは?というのが率直な感想です。
脚本は鹿目けい子、主演は篠崎愛をはじめとするアイドルグループAellで、彼女らが活動の本拠地としている南アルプス市でのロケだそうです。
親、兄弟、子供、友人、職場の同僚・・・人は多くの人の中でさまざまな関係を持ちながら生きている。この映画でのタイムスリップとは「偲ぶ」ことであり、それに「気が付く」というところにあるのだと思う。人生には巻き戻せる(振り返ってやり直せる=修復できる)過去もあれば、もう巻き戻せない(絶対に戻せない)過去もある、この「動と静」の関係を区別して表現しているという意味で、人生の経験を重ねた、大人向けの内容だと思う。ただ、幅広い年齢層を目的にしたためか、シーンによっては、表現的にかなり演出にくどさを感じた。こんなに噛み砕く必要があるのだろうか?映像をもう少しカットしても伝わるのでは?というのが率直な感想です。
脚本は鹿目けい子、主演は篠崎愛をはじめとするアイドルグループAellで、彼女らが活動の本拠地としている南アルプス市でのロケだそうです。
忘れられぬ人々 [VHS]
戦争を生き抜いて、現代を過ごすおじいさん達。
その戦争を汚く使う、何も知らない若者の悪徳商法が、ホントに身を震わせるほど腹が立った!
もっと現代人が戦争について考えるには、この映画は大切なものを訴えてくれてると思う。切なさ&涙!
また、三橋達也さんの渋い演技が最高です!!中学生ながら惚れました!
その戦争を汚く使う、何も知らない若者の悪徳商法が、ホントに身を震わせるほど腹が立った!
もっと現代人が戦争について考えるには、この映画は大切なものを訴えてくれてると思う。切なさ&涙!
また、三橋達也さんの渋い演技が最高です!!中学生ながら惚れました!
記憶術
まず、はっきりさせておかなければならないのは、この本は今流行の「試験に役立つ簡単に何でも覚えられちゃう本」のような安っぽいハウツー本ではないということだ。
ギリシャ時代の詩人シモニデスが、記憶したい事柄と建築を結び付けたことに始まるという記憶術は、その後弁論家が弁論を覚えるために、宗教家が神の言葉を得るために、さまざまな応用・広がりを見せていく。しかし、その中心にあるものは「場」と「イメージ」を結び付けることであることに変わりはない。
記憶のための建築が時代によって変化していくとき、記憶術もその影響を受けざるを得ない。同様に記憶術の体系化の歴史は、場としての建築や芸術、イメージとしての宗教・思想の変化の歴史である。中世において記憶術の再編を行ったのはスコラ哲学で知られるトマス・アクィナスであり、この哲学がカトリック教会の公式神学となったことを考えても、そのことは明らかである。
宗教的道徳観、倫理観の理解・記憶の具体的な技術として、宗教画や宗教文学の技術が、記憶術のイメージとの関係で磨かれ、さらに記憶術の魔術化・秘術化がその後の科学的方法の確立にまでつながっていくことになる。
このように記憶術というものが、宗教、倫理、哲学、心理学、芸術、文学、科学的方法等々の歴史と重要な関連を持っていることを示すとともに、それらを俯瞰してみせるという第一級の名著。特に西洋思想・哲学に興味がある人は「読んでおいた方が良い」ではなく「読んでおかなければならない」本だ。
ギリシャ時代の詩人シモニデスが、記憶したい事柄と建築を結び付けたことに始まるという記憶術は、その後弁論家が弁論を覚えるために、宗教家が神の言葉を得るために、さまざまな応用・広がりを見せていく。しかし、その中心にあるものは「場」と「イメージ」を結び付けることであることに変わりはない。
記憶のための建築が時代によって変化していくとき、記憶術もその影響を受けざるを得ない。同様に記憶術の体系化の歴史は、場としての建築や芸術、イメージとしての宗教・思想の変化の歴史である。中世において記憶術の再編を行ったのはスコラ哲学で知られるトマス・アクィナスであり、この哲学がカトリック教会の公式神学となったことを考えても、そのことは明らかである。
宗教的道徳観、倫理観の理解・記憶の具体的な技術として、宗教画や宗教文学の技術が、記憶術のイメージとの関係で磨かれ、さらに記憶術の魔術化・秘術化がその後の科学的方法の確立にまでつながっていくことになる。
このように記憶術というものが、宗教、倫理、哲学、心理学、芸術、文学、科学的方法等々の歴史と重要な関連を持っていることを示すとともに、それらを俯瞰してみせるという第一級の名著。特に西洋思想・哲学に興味がある人は「読んでおいた方が良い」ではなく「読んでおかなければならない」本だ。
光村ライブラリー〈第3巻〉小さい白いにわとり ほか
自分は50絡みのおじさんです。しかし昔よんで「良かった」と思う気持ちは今も変わりません。最後に「小さい白いにわとりは、みんなにパンを分けました」って付け加えました。教科書はそう終わっていたような気がして仕方がない。