東京原発 [DVD]
本作品は2004年の作品であるが、まるでフクシマの原発事故を予期したかのような内容に感心する。それと同時に、なぜ、このような映画が自分を含めて世論の危機意識を喚起できなかったのか、今思うと、残念でならない。
この映画では、ハッとさせられるような天馬知事の発言が多い。
「国が責任取る訳ないであろう」
これまで、原発を推進してきた経産相の対応をまさに予期したかのような天馬知事の発言。
さらには、「国の政策を傍観するのは賛成しているのと同じだ」。フクシマの原発事故後には、この言葉はあまりに重い。
さらに、「この世に絶対なんてことがあってたまるか」という最後の言葉。それは、原発が「絶対」安全ですということの否定に繋がる発言であり、そのメッセージ性がしっかりと世間に届かなかったことは残念でならない。
とはいえ、また原発推進派がそぞろ動き始めた今、この映画を観ることの意味は大きいと思われる。原発推進、反対問わず、是非とも観てもらいたい良質なサスペンス映画である。いろいろと考えさせられます。
この映画では、ハッとさせられるような天馬知事の発言が多い。
「国が責任取る訳ないであろう」
これまで、原発を推進してきた経産相の対応をまさに予期したかのような天馬知事の発言。
さらには、「国の政策を傍観するのは賛成しているのと同じだ」。フクシマの原発事故後には、この言葉はあまりに重い。
さらに、「この世に絶対なんてことがあってたまるか」という最後の言葉。それは、原発が「絶対」安全ですということの否定に繋がる発言であり、そのメッセージ性がしっかりと世間に届かなかったことは残念でならない。
とはいえ、また原発推進派がそぞろ動き始めた今、この映画を観ることの意味は大きいと思われる。原発推進、反対問わず、是非とも観てもらいたい良質なサスペンス映画である。いろいろと考えさせられます。
戦艦大和 (角川文庫)
数か所に、クレームがついている。そこを確認したくて購読した。訂正はなされていなかった。
だから私はこれをフィクションと断定するが、吉田氏をはじめとする大和乗組員に感謝の念を忘れる者ではない。
だから私はこれをフィクションと断定するが、吉田氏をはじめとする大和乗組員に感謝の念を忘れる者ではない。
新編 - 特攻体験と戦後 - 〈対談〉 (中公文庫 し 10-5)
『出発は遂に訪れず』の島尾敏雄氏と『戦艦大和ノ最期』の吉田満氏の表題をめぐる対談集(対談日は1977年6月6日)。この時期、静かに味読したい一書であり、「極限をくぐりぬけた二人の作家」(帯より)のこの肉声は、実に多くの気づきと箴言に満ちている。(また、特攻体験の一般性と個別性についても種々考えさせられた。)歓迎すべきタイムリーな再刊(新装版)と云えよう。
「日本、あるいは日本人というものが持っていた優れた面と、非常にこの、なんていうのか、非常に片寄った面とがですね、大和の最期には、両方が極端に出ているような感じで」(70頁、吉田満氏の発言)。
「それはほんとうにあの時、戦中から戦後にかけて、日本人が苦しんだ、何のために、何を願って苦しんだのか、ということですね。あの時、終戦の混乱の中で、一ぺんに、いろんなことが全部捨てられた。日本人は世界の中でどう生きるのか、どんな役割を果たそうとするのか。そんな問題も、いっさい棚上げされてしまった。なにかそこに重大な欠陥があったんじゃないかという感じが、三十数年間続いているということなんです」(90頁、同)。
「その中からやはり水中花みたいな、非常にきれいな人間像が出てきたりなんかするんですね。・・・ そういう一見美しく見えるものをつくるために、やはり歪みをくぐりぬけることが必要というふうなことになると、ぼくはやはりどこか間違っているんじゃないか、という気がしますね。ほんとうはその中にいやなものが出てくるんだけど、ああいう極限にはときには実にきれいなものも出てくるんですね。そこがちょっと怖いような気がしますね」(112頁、島尾敏雄氏の発言)。
「三十年たったいまとなってみれば、それはそれなりに、面白いといったら語弊があるけれど、面白いところもあった体験だなあ、と、そういうことが分かってきた。いってみれば、そんなに深刻なことでもないという気持ですね。それは、やっぱり、違った形で日常の中にもそういうことはあるんであって、人間の体験ですからね。・・・ つまり異常は日常と繋がっているという認識ですかね。・・・ 僕の気持の中では、後生大事にそれしかないというんじゃなくて、戦争はその後もずっと起こっているわけなんです、自分にも周囲にも。ただ表面の形が、戦争状態でなければ戦争状態でないような状況を現わしていますけれど、もう本質のところは、似たようなことなんじゃないですか。もし神というものがいるとしたら、その神の目から見たら、戦争の状況も、このいまの状況もそう違わないんじゃないですか。そういう目から見たら、まあ人間どもがなんかやっている、というふうな」(148~9頁、同)。
「わたしは二十二年にカトリックの洗礼を受けたんです。・・・ やっぱりこういう特攻体験と戦後生活とかいう課題を背負っていますと、なにか自分が途中で妥協したり、結論を逃げたりしないためには、大きな、簡単にそう妥協を許さないようなでかいものが、どうしも相手にないとね。・・・ ある大きな実在みたいな、あるいは存在する実体みたいのがね。・・・ 戦争体験によってそういう大きな課題をあたえられたんだから、それを追求する無限のエネルギーみたいな、ちょっと妙ないい方ですけど無限の活力をあたえてくれるものがほしい」(152~3頁、吉田満氏の発言)。
「カトリックというのは、人間をよく知っている。実によく知っている・・・・・・。・・・ 知っていますよ。二千年間人間を調べ尽くしたんだから」(155頁、同)。
なお、本新版は旧版に、吉田満「島尾さんとの出会い」、橋川文三「戦中派とその「時間」」、吉本隆明「島尾敏雄-戦争世代のおおきな砦」と鶴見俊輔「吉田満-戦中派が戦後を生きた道」の四篇を新たに加え、加藤典洋氏の解説(百田尚樹『永遠の0』と対比して本対談を論じている)を付したものである。
「日本、あるいは日本人というものが持っていた優れた面と、非常にこの、なんていうのか、非常に片寄った面とがですね、大和の最期には、両方が極端に出ているような感じで」(70頁、吉田満氏の発言)。
「それはほんとうにあの時、戦中から戦後にかけて、日本人が苦しんだ、何のために、何を願って苦しんだのか、ということですね。あの時、終戦の混乱の中で、一ぺんに、いろんなことが全部捨てられた。日本人は世界の中でどう生きるのか、どんな役割を果たそうとするのか。そんな問題も、いっさい棚上げされてしまった。なにかそこに重大な欠陥があったんじゃないかという感じが、三十数年間続いているということなんです」(90頁、同)。
「その中からやはり水中花みたいな、非常にきれいな人間像が出てきたりなんかするんですね。・・・ そういう一見美しく見えるものをつくるために、やはり歪みをくぐりぬけることが必要というふうなことになると、ぼくはやはりどこか間違っているんじゃないか、という気がしますね。ほんとうはその中にいやなものが出てくるんだけど、ああいう極限にはときには実にきれいなものも出てくるんですね。そこがちょっと怖いような気がしますね」(112頁、島尾敏雄氏の発言)。
「三十年たったいまとなってみれば、それはそれなりに、面白いといったら語弊があるけれど、面白いところもあった体験だなあ、と、そういうことが分かってきた。いってみれば、そんなに深刻なことでもないという気持ですね。それは、やっぱり、違った形で日常の中にもそういうことはあるんであって、人間の体験ですからね。・・・ つまり異常は日常と繋がっているという認識ですかね。・・・ 僕の気持の中では、後生大事にそれしかないというんじゃなくて、戦争はその後もずっと起こっているわけなんです、自分にも周囲にも。ただ表面の形が、戦争状態でなければ戦争状態でないような状況を現わしていますけれど、もう本質のところは、似たようなことなんじゃないですか。もし神というものがいるとしたら、その神の目から見たら、戦争の状況も、このいまの状況もそう違わないんじゃないですか。そういう目から見たら、まあ人間どもがなんかやっている、というふうな」(148~9頁、同)。
「わたしは二十二年にカトリックの洗礼を受けたんです。・・・ やっぱりこういう特攻体験と戦後生活とかいう課題を背負っていますと、なにか自分が途中で妥協したり、結論を逃げたりしないためには、大きな、簡単にそう妥協を許さないようなでかいものが、どうしも相手にないとね。・・・ ある大きな実在みたいな、あるいは存在する実体みたいのがね。・・・ 戦争体験によってそういう大きな課題をあたえられたんだから、それを追求する無限のエネルギーみたいな、ちょっと妙ないい方ですけど無限の活力をあたえてくれるものがほしい」(152~3頁、吉田満氏の発言)。
「カトリックというのは、人間をよく知っている。実によく知っている・・・・・・。・・・ 知っていますよ。二千年間人間を調べ尽くしたんだから」(155頁、同)。
なお、本新版は旧版に、吉田満「島尾さんとの出会い」、橋川文三「戦中派とその「時間」」、吉本隆明「島尾敏雄-戦争世代のおおきな砦」と鶴見俊輔「吉田満-戦中派が戦後を生きた道」の四篇を新たに加え、加藤典洋氏の解説(百田尚樹『永遠の0』と対比して本対談を論じている)を付したものである。
戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫)
戦艦大和の最後の突撃の様子を実体験した筆者が、漢字とカナの文語体で書き上げたもの。はっきり言って読みにくいが、文語体では無理な悲劇の出陣の様子を荘重に、悲壮に語りあげる。
言うまでもなく、(今からすれば)無意味な特攻作戦であったが、当事者たちの国を思う気持ちと、残された家族を思う気持ちはあまりに純粋で、決して長くない作品を読むうち、なんども目頭が熱くなった。
戦闘シーンの描写は、悲惨そのもの。今回はじめて知ったのは、浸水によって傾いた艦を復元させるために、艦底の機関室にほとんど逃げる時間も与えず注水したこと。残った乗組員を守るため(それでも結果的には生き延びた乗員はごくわずかだが)、今までともに戦ってきた仲間を自らの手で葬り去るとは。戦争とはそうい!!うものなのか。
反戦でも、軍国主義でもなく、戦争の真実はこういうものだということを教えてくれる。
言うまでもなく、(今からすれば)無意味な特攻作戦であったが、当事者たちの国を思う気持ちと、残された家族を思う気持ちはあまりに純粋で、決して長くない作品を読むうち、なんども目頭が熱くなった。
戦闘シーンの描写は、悲惨そのもの。今回はじめて知ったのは、浸水によって傾いた艦を復元させるために、艦底の機関室にほとんど逃げる時間も与えず注水したこと。残った乗組員を守るため(それでも結果的には生き延びた乗員はごくわずかだが)、今までともに戦ってきた仲間を自らの手で葬り去るとは。戦争とはそうい!!うものなのか。
反戦でも、軍国主義でもなく、戦争の真実はこういうものだということを教えてくれる。
東京原発 TOKYO LEVEL ONE [役所広司]|中古DVD [レンタル落ち] [DVD]
普段邦画は観ませんが、評判の良い映画なので観て驚きました。
12年も前に、このような先見性ある映画が作られていたとは感動です。
原子力発電についての分かりやすい説明をストーリーの中に違和感なく盛り込み、
知事がなぜ東京に原発を誘致しようとしたのか、その真意が分かってくる。
テロリストによる脅威よりも、見て見ぬ振りや忘れることのほ方が恐ろしい。
12年も前に、このような先見性ある映画が作られていたとは感動です。
原子力発電についての分かりやすい説明をストーリーの中に違和感なく盛り込み、
知事がなぜ東京に原発を誘致しようとしたのか、その真意が分かってくる。
テロリストによる脅威よりも、見て見ぬ振りや忘れることのほ方が恐ろしい。