小説・新島八重 会津おんな戦記 (新潮文庫)
著者曰く、「山本八重にはいくつもの顔がある。故郷の会津若松ですごした娘時代、鶴ヶ城に
こもり、小銃をとり、あるいは大砲隊を指揮して新政府軍と戦った八重。……およそ三つの
時代に大別される八重の生のなかでも、女子の身でありながら、戊辰戦争を戦った時代が、
のちの二つの時代の生きざまを決定づけたのではないかと思う。……八重は戦死した多くの
生命のおかげで生き残った。戦死者は身代わりとして、すべての罪を背負って果て、
生き残った八重は救われた者として、その恵みにあずかったのである。救われた者であると
いう意識が、八重の後の生を決めたにちがいない、という作者の思い入れがある」。
男勝りのじゃじゃ馬、それでいて同時に、凛として理知的。
そんなキャラクターに「身をまもることと、戦うことはちがうのです」と敢然と諭されて、
湧き立たない理由が果たしてあろうか。
冒頭間もなくのこの掴み、素敵すぎる。
戦闘シーンについて冗長とみなす向きもあるいはあるやも知れぬが、各々のポイントに
きちんと見せ場が用意されており、バトルフィールド系フィクションにおけるヒロインと
みなしても、十二分に魅力的。
その溢れんばかりのエネルギーを推進力に、サクサクと読める一冊。
例えば本書における銃の持つ意味。
一つには、近代の戦においてはもはや無力化した「薙刀など何の役にも立ちませぬ」と、
それに代わる合理的な戦いの作法、理性的に事柄を判断できる八重の人格の象徴。
一つには、「わたしは砲術師範の娘ゆえ、戦は鉄砲でするものと心に決めておりました」、
そんな血族の宿命の象徴。
一つには、戦場に挑むにおいての男性性を補充するためのツールとして。
といった具合に、そもそもの骨格がきちんと整えられた一冊。
「萌える」ではなく、「燃える」。ひたすら「燃える」。
そんなヒロインを渇望されている方には、さぞやアガりまくれるだろう一冊。
こもり、小銃をとり、あるいは大砲隊を指揮して新政府軍と戦った八重。……およそ三つの
時代に大別される八重の生のなかでも、女子の身でありながら、戊辰戦争を戦った時代が、
のちの二つの時代の生きざまを決定づけたのではないかと思う。……八重は戦死した多くの
生命のおかげで生き残った。戦死者は身代わりとして、すべての罪を背負って果て、
生き残った八重は救われた者として、その恵みにあずかったのである。救われた者であると
いう意識が、八重の後の生を決めたにちがいない、という作者の思い入れがある」。
男勝りのじゃじゃ馬、それでいて同時に、凛として理知的。
そんなキャラクターに「身をまもることと、戦うことはちがうのです」と敢然と諭されて、
湧き立たない理由が果たしてあろうか。
冒頭間もなくのこの掴み、素敵すぎる。
戦闘シーンについて冗長とみなす向きもあるいはあるやも知れぬが、各々のポイントに
きちんと見せ場が用意されており、バトルフィールド系フィクションにおけるヒロインと
みなしても、十二分に魅力的。
その溢れんばかりのエネルギーを推進力に、サクサクと読める一冊。
例えば本書における銃の持つ意味。
一つには、近代の戦においてはもはや無力化した「薙刀など何の役にも立ちませぬ」と、
それに代わる合理的な戦いの作法、理性的に事柄を判断できる八重の人格の象徴。
一つには、「わたしは砲術師範の娘ゆえ、戦は鉄砲でするものと心に決めておりました」、
そんな血族の宿命の象徴。
一つには、戦場に挑むにおいての男性性を補充するためのツールとして。
といった具合に、そもそもの骨格がきちんと整えられた一冊。
「萌える」ではなく、「燃える」。ひたすら「燃える」。
そんなヒロインを渇望されている方には、さぞやアガりまくれるだろう一冊。