カフカ 《Classics in Comics》
カフカを漫画で表現したらどうなるか、
それを西岡兄妹が行ったということで購入した。
有名な「変身」は、原作を忠実に再現しているように思えた。
訳がそのままつかわれているせいかもしれないが、
どこを端折ったのか分からないくらいだった。
ただ、それですごく面白かというと、文字を追うのに
気が分散されてしまって物足りなくもあった。
絵だけで表現した「流刑地にて」は、原作を読んでない人は
どう解釈するのだろうか。
比較して読むと面白いのかもしれない。
それを西岡兄妹が行ったということで購入した。
有名な「変身」は、原作を忠実に再現しているように思えた。
訳がそのままつかわれているせいかもしれないが、
どこを端折ったのか分からないくらいだった。
ただ、それですごく面白かというと、文字を追うのに
気が分散されてしまって物足りなくもあった。
絵だけで表現した「流刑地にて」は、原作を読んでない人は
どう解釈するのだろうか。
比較して読むと面白いのかもしれない。
神の子供
私はどちらかというと、メジャーな少女・少年マンガしか読んできていませんでした。
それらにも感動、驚きはあったものの20後半の歳を聞いてくるとだんだん少年誌・少女誌のなかに
「共感」というものが無くなってきてしまい、読むマンガが無くなってきてしまい
そんな時「大人のマンガ紹介」的な本に出会い西岡兄妹を知り
この「神の子供」を読みマンガなのか、アートなのかそのような境界線が薄れている、いや垣根を越えた作品だと思えました。
ましてやミステリー・ホラーが混ざるとアート感がますのですね。
話の内容は確かに残忍で何の救いようもなく読んだ後の読後感は良いものではないと思います。
しかしこのようにしか生きられない人間もいると。
必ずしもうまく普通の人生を生きられる人間しかいないなんてウソだと思います。
この「私」が実は一番リアルに私たちいまの現代人を描いているのかもしれない。
この話は行き過ぎですが、こうして普通に生きる私もあなたも
快楽・絶望の部分を増幅して生きるとしたらこの主人公の「私」になってしまうかもしれない。
いつか、誰かの大切なモノを壊して、返り討ちに合うのかもしれない。
「神の子供」は実は私たち自身だと思っても過言じゃないのかも。
それらにも感動、驚きはあったものの20後半の歳を聞いてくるとだんだん少年誌・少女誌のなかに
「共感」というものが無くなってきてしまい、読むマンガが無くなってきてしまい
そんな時「大人のマンガ紹介」的な本に出会い西岡兄妹を知り
この「神の子供」を読みマンガなのか、アートなのかそのような境界線が薄れている、いや垣根を越えた作品だと思えました。
ましてやミステリー・ホラーが混ざるとアート感がますのですね。
話の内容は確かに残忍で何の救いようもなく読んだ後の読後感は良いものではないと思います。
しかしこのようにしか生きられない人間もいると。
必ずしもうまく普通の人生を生きられる人間しかいないなんてウソだと思います。
この「私」が実は一番リアルに私たちいまの現代人を描いているのかもしれない。
この話は行き過ぎですが、こうして普通に生きる私もあなたも
快楽・絶望の部分を増幅して生きるとしたらこの主人公の「私」になってしまうかもしれない。
いつか、誰かの大切なモノを壊して、返り討ちに合うのかもしれない。
「神の子供」は実は私たち自身だと思っても過言じゃないのかも。
審判 [Blu-ray]
悪夢そのものの展開は「イレイザーヘッド」よりも深くて重い。原作は全然映像的じゃなく、カフカが紡ぎだす不条理な論理の展開を追うには知的努力が要求され、一筋縄ではいかないが、この映像版では、ヨーロッパの思想・言語・宗教が構えている強固な体系が、諸様式の暗鬱な建築として象徴的に映像で表現され、そのあちこちに開いた扉や小さな穴から、隠された秘密(謎のままだが)が見えてくるという構造になっていると思う。
オーソン・ウェルズのような巨大な教養人でもある映像作家がこれを映画化している意味については、四方田犬彦「ハイスクール・ブッキッシュライフ」の丁寧な論考に教えられた(この作品を見る人は、ぜひ当該箇所を参照して欲しい)。それを読んだ時、四方田氏も言及していないあることに気づかされたので、ここに書いておきたい。それは、なぜウェルズは映画の最重要箇所「法の門」で、A・アレクセイエフの「ピン・スクリーン」技術を使ったのか、という理由だ。
ピン・スクリーンとは、大きな白いボードの上に穿たれた数千もの小さな穴全てに、黒く塗られた円錐形のピンをボードの裏から刺したものだ。それぞれのピンの高さを調節し、照明を当てることで、ボード上に生じるピン先の影には繊細な濃淡が生まれ、それによって版画のような画像が現れる。画像は線や色で描かれたものではなく、単なる影にすぎない。これは特殊な短編を除き、普通の映画には「審判」以外に使われたことがない、とんでもない奇想の技法である。
ピン・スクリーンで作成された「門」画像による小エピソードは、まずオープニングで紹介される。立派な門の向こう側に「法」を求める男が、どうしても中に入れてもらえないまま何年もの時が経ち、死ぬ、謎めいた話だ。そして映画の終結部で、ウェルズ自身が演じる弁護士が、Kに向けて同じ「門」のスライド画像を小型プロジェクターで映写し、「法」を頼りにはできない、Kに起きた出来事はすべてが必然であると説く。しかし、このスライド画をわざわざピン・スクリーンという面倒くさく制限の多い技術で描く必然性はない。おそらくウェルズは巨大なピン・スクリーンそのものを映画の中に登場させて、アンソニー・パーキンスをその前に立たせ、「法の門は影にすぎない、中には入れない」とやりたかったのだと想像する(それができずにスライドになったのは技術的困難?、予算不足?)。このスライド映写シーンは他のシーンの充実度に比べ、いかにも貧乏臭い。ウェルズ自身によるオープニングの「門」カット版が存在するということも、ウェルズにとっては不本意なものであったからと考えれば辻褄が合う。
この作品は、光と影を駆使し映像独自の論理を組み立てるという映画の原理を一貫して主張しているのだと思う。ピン・スクリーンはその象徴となっているのだ。多くの手の込んだ印象的な悪夢イメージの創造があり、映画好きならぜひ一度は見てほしい。ただ惜しいのは、肝心要のスライドショーのシーンにどうしても上記のような妥協を感じるからだ。巨大なピン・スクリーンの前でKと弁護士がやりあうシーンがあれば、ウェルズによる映画史への大きな貢献となったはずである。
オーソン・ウェルズのような巨大な教養人でもある映像作家がこれを映画化している意味については、四方田犬彦「ハイスクール・ブッキッシュライフ」の丁寧な論考に教えられた(この作品を見る人は、ぜひ当該箇所を参照して欲しい)。それを読んだ時、四方田氏も言及していないあることに気づかされたので、ここに書いておきたい。それは、なぜウェルズは映画の最重要箇所「法の門」で、A・アレクセイエフの「ピン・スクリーン」技術を使ったのか、という理由だ。
ピン・スクリーンとは、大きな白いボードの上に穿たれた数千もの小さな穴全てに、黒く塗られた円錐形のピンをボードの裏から刺したものだ。それぞれのピンの高さを調節し、照明を当てることで、ボード上に生じるピン先の影には繊細な濃淡が生まれ、それによって版画のような画像が現れる。画像は線や色で描かれたものではなく、単なる影にすぎない。これは特殊な短編を除き、普通の映画には「審判」以外に使われたことがない、とんでもない奇想の技法である。
ピン・スクリーンで作成された「門」画像による小エピソードは、まずオープニングで紹介される。立派な門の向こう側に「法」を求める男が、どうしても中に入れてもらえないまま何年もの時が経ち、死ぬ、謎めいた話だ。そして映画の終結部で、ウェルズ自身が演じる弁護士が、Kに向けて同じ「門」のスライド画像を小型プロジェクターで映写し、「法」を頼りにはできない、Kに起きた出来事はすべてが必然であると説く。しかし、このスライド画をわざわざピン・スクリーンという面倒くさく制限の多い技術で描く必然性はない。おそらくウェルズは巨大なピン・スクリーンそのものを映画の中に登場させて、アンソニー・パーキンスをその前に立たせ、「法の門は影にすぎない、中には入れない」とやりたかったのだと想像する(それができずにスライドになったのは技術的困難?、予算不足?)。このスライド映写シーンは他のシーンの充実度に比べ、いかにも貧乏臭い。ウェルズ自身によるオープニングの「門」カット版が存在するということも、ウェルズにとっては不本意なものであったからと考えれば辻褄が合う。
この作品は、光と影を駆使し映像独自の論理を組み立てるという映画の原理を一貫して主張しているのだと思う。ピン・スクリーンはその象徴となっているのだ。多くの手の込んだ印象的な悪夢イメージの創造があり、映画好きならぜひ一度は見てほしい。ただ惜しいのは、肝心要のスライドショーのシーンにどうしても上記のような妥協を感じるからだ。巨大なピン・スクリーンの前でKと弁護士がやりあうシーンがあれば、ウェルズによる映画史への大きな貢献となったはずである。
審判 HDマスター[DVD]
学生時代、カフカにはまっていました。
映画版VHSも購入し、いい感じにすさんでいましたが、いつの間にか紛失していました。
今、ふと思い出して検索していたらHD化されているものを発見し、即座に購入しました。
さすがにビデオとは違い、画質が良い感じがしました。
映画版VHSも購入し、いい感じにすさんでいましたが、いつの間にか紛失していました。
今、ふと思い出して検索していたらHD化されているものを発見し、即座に購入しました。
さすがにビデオとは違い、画質が良い感じがしました。
審判 Blu-ray
映画「審判」は、不条理小説(こんな言い方が通用するか分からないが)で名高いカフカの原作を基に、オーソン・ウェルズによって映像化された。
原作では、銀行員がある日突然起訴され罪状すら分からないまま裁判に掛けられ死刑が確定、執行されてしまうまでの顛末が描かれているらしい。
映画の方も、確かに主人公のアンソニー・パーキンスのもとに、ある朝刑事がひとりまたひとりと訪問し、逮捕するので同行願いたい旨を手を変え品を変え迫るオープニングから、全編不条理なシークエンスが続く。
パーキンスが行き交う世界は、どれも不安と疑念、焦燥に凝り固まった彼の妄想なのか、それとも悪夢の如きものなのか、現実世界と微妙にリンクしながらもそれは徹底的に歪んでいる。
彼の周りを次々と現れては消える人物たちもみな奇妙でグロテスク。
しかも、各人はそれぞれ決められたパートでしか登場せず、記号的な役割しか与えられていない。
であるにも拘わらず、それらのひとりとして出てくるジャンヌ・モロー、ロミ―・シュナイダー、エルサ・マルティネリらヨーロッパの名花のなんて艶めかしいことか。
不条理の迷宮に入り込んでしまったトリップ感をさらに増幅させるのが、悪魔的装置と呼ぶべき美術セットの数々。
ドイツ表現主義主義を意識させる造形と光彩、エッシャーの騙し絵のような目眩まし。
最初は当惑しながらも、この奇妙で寓話的な物語を追ううちに、この舞台装置に目を奪われ惹かれていく。
個性的な映画だけに当然好き嫌いは分かれる筈だ。
文句なくお薦め出来そうなのは、(1)カフカ、またはカフカ的小説のファン (2)オーソン・ウェルズ、またはウェルズ的映像魔術のファン の方々。
次にお薦め出来そうなのは、(3)ブレヒト劇がお好きな演劇ファン (4)アート・フィルム ファン (5)カルト・ムービー ファン の方々。
といった処だろうか。
さらに、(6)ロミー・シュナイダー ファンの方であれば、押さえておいてよろしいかも。
ノー・メイクながら、コケティシュな魅力に溢れた彼女に逢える。
ただし、出演していると言っても、ジャンヌ・モロー ファンの方にはどうか。
なんせ、登場シーンは僅か数ショットだから、ね(笑)。
佐々木秀一著の労作「ロミー」には、今作の撮影秘話が掲載されている。
それによると、ロミーはかねてから俳優ウェルズに対してほのかな想いを抱いており、ウェルズからの出演依頼は大変嬉しいものだったようだ。
ロミーの役柄は、重要な役処の弁護士の専属看護師にして愛人。
監督ウエルズはこの役をチャールス・ロートンかジャッキー・グリースンに振りたかったようだが叶わず、配役が決まらないまま読み合わせが始まったが、その最中、ロミ―は台詞を止め、一度ならずニ度までもウェルズ自身が弁護士役を演じるべきだと口説いたらしい。
ウェルズは苦虫を噛みしめながらもそれに同意、こうしてウェルズの出演が決まった。
ロミーは、この時の“進言”で受け取ったギャラ1ドルは、自分が今まで仕事で得た報酬の中で最も価値あるものだったと回想したという。
原作では、銀行員がある日突然起訴され罪状すら分からないまま裁判に掛けられ死刑が確定、執行されてしまうまでの顛末が描かれているらしい。
映画の方も、確かに主人公のアンソニー・パーキンスのもとに、ある朝刑事がひとりまたひとりと訪問し、逮捕するので同行願いたい旨を手を変え品を変え迫るオープニングから、全編不条理なシークエンスが続く。
パーキンスが行き交う世界は、どれも不安と疑念、焦燥に凝り固まった彼の妄想なのか、それとも悪夢の如きものなのか、現実世界と微妙にリンクしながらもそれは徹底的に歪んでいる。
彼の周りを次々と現れては消える人物たちもみな奇妙でグロテスク。
しかも、各人はそれぞれ決められたパートでしか登場せず、記号的な役割しか与えられていない。
であるにも拘わらず、それらのひとりとして出てくるジャンヌ・モロー、ロミ―・シュナイダー、エルサ・マルティネリらヨーロッパの名花のなんて艶めかしいことか。
不条理の迷宮に入り込んでしまったトリップ感をさらに増幅させるのが、悪魔的装置と呼ぶべき美術セットの数々。
ドイツ表現主義主義を意識させる造形と光彩、エッシャーの騙し絵のような目眩まし。
最初は当惑しながらも、この奇妙で寓話的な物語を追ううちに、この舞台装置に目を奪われ惹かれていく。
個性的な映画だけに当然好き嫌いは分かれる筈だ。
文句なくお薦め出来そうなのは、(1)カフカ、またはカフカ的小説のファン (2)オーソン・ウェルズ、またはウェルズ的映像魔術のファン の方々。
次にお薦め出来そうなのは、(3)ブレヒト劇がお好きな演劇ファン (4)アート・フィルム ファン (5)カルト・ムービー ファン の方々。
といった処だろうか。
さらに、(6)ロミー・シュナイダー ファンの方であれば、押さえておいてよろしいかも。
ノー・メイクながら、コケティシュな魅力に溢れた彼女に逢える。
ただし、出演していると言っても、ジャンヌ・モロー ファンの方にはどうか。
なんせ、登場シーンは僅か数ショットだから、ね(笑)。
佐々木秀一著の労作「ロミー」には、今作の撮影秘話が掲載されている。
それによると、ロミーはかねてから俳優ウェルズに対してほのかな想いを抱いており、ウェルズからの出演依頼は大変嬉しいものだったようだ。
ロミーの役柄は、重要な役処の弁護士の専属看護師にして愛人。
監督ウエルズはこの役をチャールス・ロートンかジャッキー・グリースンに振りたかったようだが叶わず、配役が決まらないまま読み合わせが始まったが、その最中、ロミ―は台詞を止め、一度ならずニ度までもウェルズ自身が弁護士役を演じるべきだと口説いたらしい。
ウェルズは苦虫を噛みしめながらもそれに同意、こうしてウェルズの出演が決まった。
ロミーは、この時の“進言”で受け取ったギャラ1ドルは、自分が今まで仕事で得た報酬の中で最も価値あるものだったと回想したという。