新宿中村屋 相馬黒光
新宿の中村屋には時々行く。創業者は中村愛蔵と黒光(星良)。
時代を先駆的に生きた黒光は,戊辰戦争に敗れ朝敵呼ばわりされ,辛酸を嘗めた仙台藩士の娘。
伯母の艶をたよりにフェリス女学院に入学するも失望し,明治女学校に入学。22才で穂高で養蚕を営む愛蔵と結婚,1901年に上京,東大前に中村屋を開店。以後,新宿に店を移転し,経営は順調に進んだ。
登場する人物群像が凄い。巌本善治(黒光の命名者),島崎藤村,清水紫琴,萩原守衛,国木田独歩,野上弥生子,市川房枝,羽仁もと子,島崎藤村,水谷八重子,秋田雨雀。
そしてインド独立運動の志士で,日本に潜伏していたボースを匿った(ボースは長女俊子と結婚)。また,盲目の吟遊詩人エロシェンコ,三・一運動に関わった朝鮮人林圭,朴順天を預かった。
自由民権運動に共鳴しながらも,右翼の大物,頭山満に心酔したばかりに大東亜共栄圏をもちあげたこと,若かりし頃基督教の洗礼を受けたが,晩年は仏教に傾倒,帰依したことなどに見られるように,思想性に一貫性を欠いたが,自立した気概ある女性として激動の大正,昭和を生きぬいた。
著者は記録文学作家。
時代を先駆的に生きた黒光は,戊辰戦争に敗れ朝敵呼ばわりされ,辛酸を嘗めた仙台藩士の娘。
伯母の艶をたよりにフェリス女学院に入学するも失望し,明治女学校に入学。22才で穂高で養蚕を営む愛蔵と結婚,1901年に上京,東大前に中村屋を開店。以後,新宿に店を移転し,経営は順調に進んだ。
登場する人物群像が凄い。巌本善治(黒光の命名者),島崎藤村,清水紫琴,萩原守衛,国木田独歩,野上弥生子,市川房枝,羽仁もと子,島崎藤村,水谷八重子,秋田雨雀。
そしてインド独立運動の志士で,日本に潜伏していたボースを匿った(ボースは長女俊子と結婚)。また,盲目の吟遊詩人エロシェンコ,三・一運動に関わった朝鮮人林圭,朴順天を預かった。
自由民権運動に共鳴しながらも,右翼の大物,頭山満に心酔したばかりに大東亜共栄圏をもちあげたこと,若かりし頃基督教の洗礼を受けたが,晩年は仏教に傾倒,帰依したことなどに見られるように,思想性に一貫性を欠いたが,自立した気概ある女性として激動の大正,昭和を生きぬいた。
著者は記録文学作家。
相馬黒光―黙移 (人間の記録 (26))
新宿・中村屋を夫、愛蔵と共に創業した女性・相馬黒光の自伝です。
しかし、歴史的には中村屋というよりは美術史上の「中村屋サロン」の女主人といった
ほうが有名でしょうか。中村ツネ、荻原守衛(二人ともこの時代の作品が後に重要文化財に
指定)ら天才作家たちを支援しています。また、インドの革命闘士ボースをかくまい、
それどころか娘・俊子が嫁いでいます。(ちなみにこの俊子さんも中村ツネのモデルとなり、
傑作が生まれています)そのほかにも、松井須磨子や島村抱月ら演劇人や
ロシア文学を学ぶ人たちも集っていたのです。
そんな普通の人たちの何倍もの人生を過ごした人ですが、
自伝を読む限り、教養ある落ち着いた謙虚な女性というイメージです。しかし、
明治時代に女学校へ通い、(しかも退学を繰り返し)教養を身につけ、
結婚後は商売を行いつつ、自分の情熱のまま生きた方です。
また結婚した愛蔵氏が素晴らしい方だったのでしょう。個性の強い黒光氏と協力しあって
生活をしています。当時、こんなに女性に理解あるすぐれた男性も珍しかった
のではないでしょうか。
やはり黒光氏と、彼女をとりまく方々についての記述がとても面白く、
明治に生きる活気あふれるやりとりがとても印象に残ります。
しかし、歴史的には中村屋というよりは美術史上の「中村屋サロン」の女主人といった
ほうが有名でしょうか。中村ツネ、荻原守衛(二人ともこの時代の作品が後に重要文化財に
指定)ら天才作家たちを支援しています。また、インドの革命闘士ボースをかくまい、
それどころか娘・俊子が嫁いでいます。(ちなみにこの俊子さんも中村ツネのモデルとなり、
傑作が生まれています)そのほかにも、松井須磨子や島村抱月ら演劇人や
ロシア文学を学ぶ人たちも集っていたのです。
そんな普通の人たちの何倍もの人生を過ごした人ですが、
自伝を読む限り、教養ある落ち着いた謙虚な女性というイメージです。しかし、
明治時代に女学校へ通い、(しかも退学を繰り返し)教養を身につけ、
結婚後は商売を行いつつ、自分の情熱のまま生きた方です。
また結婚した愛蔵氏が素晴らしい方だったのでしょう。個性の強い黒光氏と協力しあって
生活をしています。当時、こんなに女性に理解あるすぐれた男性も珍しかった
のではないでしょうか。
やはり黒光氏と、彼女をとりまく方々についての記述がとても面白く、
明治に生きる活気あふれるやりとりがとても印象に残ります。