TO SIR WITH LOVE
前に見たときには台詞が日本語だったが、今回は字幕でみた。
いつみても良い作品だと思う。自分の教員人生初は教育委員会
がえらいペコペコしてると思ったら下町の教育困難校だった。
先輩の先生は後輩を援助する余裕はなく、自分のクラス運営
で手一杯で、生徒の声にいつもビクビクしていたように思う。
やはり教師(特に高校)には生徒に自分の学んでることの
専門的知識の先を示す知識も重要だが、それを圧倒する
人生経験、人間性が必要だとも思った。
黒人教師が主役だが差別とか偏見を超えた何かがあるような
気がした。DVDも販売しておりいつか永久保存版として
買いたい。
やっとDVDが安くなったが、然し、VHSと違って日本語
字幕は無く、日本語吹替えでもないとのことで、英会話の
勉強にはいい。VHSの感想について参考にしていただいた
方が2名もいたのはうれしいです。
いつみても良い作品だと思う。自分の教員人生初は教育委員会
がえらいペコペコしてると思ったら下町の教育困難校だった。
先輩の先生は後輩を援助する余裕はなく、自分のクラス運営
で手一杯で、生徒の声にいつもビクビクしていたように思う。
やはり教師(特に高校)には生徒に自分の学んでることの
専門的知識の先を示す知識も重要だが、それを圧倒する
人生経験、人間性が必要だとも思った。
黒人教師が主役だが差別とか偏見を超えた何かがあるような
気がした。DVDも販売しておりいつか永久保存版として
買いたい。
やっとDVDが安くなったが、然し、VHSと違って日本語
字幕は無く、日本語吹替えでもないとのことで、英会話の
勉強にはいい。VHSの感想について参考にしていただいた
方が2名もいたのはうれしいです。
いつも心に太陽を [VHS]
ラルフ・ネルソン監督の「野のユリ」で史上初めてアフリカ系アメリカ人でオスカーを受賞したシドニー・ポワティエ(姓はフランス系だがニューオーリンズ出身なのか?)が教師に扮した忘れられた佳作。舞台はロンドンだがシドニーはR・ブルックの「暴力教室」では逆に不良少年を演じた。今度は先生。だが暴力は振るわない。ロンドンの不良はアメリカのクソガキみたいな凶暴なタイプはいないがまあ悪いことは悪い。原題は「先生に愛をこめて」当時の(1966年)のアイドル「ルル」も出演。知らないのでどの娘かわからない。日本でもアメリカでも忘れられた佳作。教育に携わる人は見ておいたほうがよい。ポワティエ先生みたいになれるかは別として。日本だと「きんぱち先生」でその差が大きい。教育者の質。日本ではそうでもないがアメリカ、英国は公立学校の教師は安月給で生活が大変だとか。性豪=スティングは小学校の国語の教師。ブライアン・フェリーは高校の美術の教師。給料が安いので芸能界に。SM作家の団鬼六は神奈川県の女子高で英語を教えていた。真面目な先生だったらしいな。あんまり真面目だと反動でSMになるんだよ。不真面目でも困るが。小生、可愛い子ばかりのミッション系女子高で英語を教えるのが夢でした。嘘。
1960年代のロンドンの中等学校を舞台に、真面目なアフリカ系アメリカ人
の男性教師と1クラスの生徒達との愛すべき葛藤を描く名作。
こんな映画が上映されていた時は、「貧しいことから生まれる無知の悪態」
で心が荒くれていた青少年を真剣に向かい合うことで結束されていくことも
理想とされた。担任を任されたクラスは全員が集中力に欠け授業もままならず、
終いに教師は抑えていた気持ちを爆発させある事を試しみた。
これが思いのほか効果をあげて、いつのまにか生徒との間に必要不可欠の
絆が生まれる。この映画のシドニー・ポワチエの表情少なめな演技が功をなし、
モッズの匂いが強い若者の喜怒哀楽と相成って非常に見ていてまとまりがよい。
今更逆行して作品をみるとなんてことは無いかもしれないが、大人だけでなく、
子供たちも映画を見て一度自分の足つかずな虚勢を見直しては?
の男性教師と1クラスの生徒達との愛すべき葛藤を描く名作。
こんな映画が上映されていた時は、「貧しいことから生まれる無知の悪態」
で心が荒くれていた青少年を真剣に向かい合うことで結束されていくことも
理想とされた。担任を任されたクラスは全員が集中力に欠け授業もままならず、
終いに教師は抑えていた気持ちを爆発させある事を試しみた。
これが思いのほか効果をあげて、いつのまにか生徒との間に必要不可欠の
絆が生まれる。この映画のシドニー・ポワチエの表情少なめな演技が功をなし、
モッズの匂いが強い若者の喜怒哀楽と相成って非常に見ていてまとまりがよい。
今更逆行して作品をみるとなんてことは無いかもしれないが、大人だけでなく、
子供たちも映画を見て一度自分の足つかずな虚勢を見直しては?
いつも心に太陽を (角川文庫 緑 422-6)
8つの作品が収録された短篇集です。後に長篇小説となる「弟よ!」(角川文庫。以下同)や「青春かけおち篇」のベースになったものも収録されていました。もしかしたら「ヒモのはなし」も後に「ストリッパー物語」としてバージョンアップされたのかも知れません。初期の作品集ということで、後年見られるような爆発力のある不条理性には若干欠けているきらいがありました。つかこうへいの小説は会話でどんどん押していく印象があるのですが、本作では地の文の方が多かったような印象を受けます。つかこうへいの世界を開拓し始めたばかりなので、他にも短篇集があるのか、はたまた最初で最後の短篇集なのかは、後日の調査報告をお待ちください。
いつも心に太陽を [VHS]
1967年の作品、もはや学園ものの古典と言える作品
黒人教師サッカレイは大学を卒業したものの本来なりたかった技師の職をなかなか見つけることができず、白人が主の高校に教師として着任する。その高校は自由教育を謳っているが、実態は生徒への制御が効かない状態で荒れ果てていた。その中でもサッカレイが担当することになった卒業間近の3年生のあるクラスは、前の先生が手を拱いて逃げ出してしまったほどの悪童揃いで、周りの先生もほどほどでいいんですよ、あまり頑張らないでとアドバイスする。
しかし、サッカレイは人格者であり、決して上から目線で生徒に物を言うことはなく、静かに冷静に語りかける。生徒の話にはきちんと耳を傾けるが、一方で自分の話もきちんと聞くように要求する。単なる物分りの良い先生ではなく、きちんとした判断基準に基づいて生徒に接していく。そして毎回、それは正しいか?、受け入れられるか?と生徒に真正面に問いかける。時には、正しくてもこちらがいったん引かなければならないことがあることが社会のリアリティであるということも教える。それが本物であるがゆえ、生徒は次第にサッカレイに心を開いていく。
サッカレイの毅然とした公平な態度は学園の世界だけではなく、実社会でも十分に有益な示唆を与えてくれる。サッカレイは自省できる人間であり、素晴らしい。
黒人教師サッカレイは大学を卒業したものの本来なりたかった技師の職をなかなか見つけることができず、白人が主の高校に教師として着任する。その高校は自由教育を謳っているが、実態は生徒への制御が効かない状態で荒れ果てていた。その中でもサッカレイが担当することになった卒業間近の3年生のあるクラスは、前の先生が手を拱いて逃げ出してしまったほどの悪童揃いで、周りの先生もほどほどでいいんですよ、あまり頑張らないでとアドバイスする。
しかし、サッカレイは人格者であり、決して上から目線で生徒に物を言うことはなく、静かに冷静に語りかける。生徒の話にはきちんと耳を傾けるが、一方で自分の話もきちんと聞くように要求する。単なる物分りの良い先生ではなく、きちんとした判断基準に基づいて生徒に接していく。そして毎回、それは正しいか?、受け入れられるか?と生徒に真正面に問いかける。時には、正しくてもこちらがいったん引かなければならないことがあることが社会のリアリティであるということも教える。それが本物であるがゆえ、生徒は次第にサッカレイに心を開いていく。
サッカレイの毅然とした公平な態度は学園の世界だけではなく、実社会でも十分に有益な示唆を与えてくれる。サッカレイは自省できる人間であり、素晴らしい。