珠玉の短編集であり、素晴らしい読書の時間を過ごせたのは他のレビュアーと同意見なのですが、最後の満願だけは、元
弁護士として看過できない部分がありましたので、星を一つ下げさせて頂きました。
以下、表題作『満願』のネタバレになりますので、未読の方はご注意ください。
1 検察官について
『返済を逃れるために殺人を犯した』というのは、強盗殺人(二項)の動機です。自ら殺人罪で起訴しておきながら、このような動機を主張する検察官は、あまりにも愚かです。また、検察官が被告人質問で述べた異議も、実際の裁判ではありえないと思います。主人公を有能に見せるために検察官を愚かにしたのでしょうが、こんな人は修習で検察志望しても落とされるんじゃないかなあ。そもそも司法試験に受かるんだろうか。
2 主人公について
主人公も本番ぶっつけで、被告人質問をしているようですが、これは相当駄目な弁護人です。
弁護人は、起訴後、訴訟に関する書証や証拠物を閲覧、謄写することができます。
また、冒頭陳述の時点で検察官が証拠によって証明しようとする事実は分かります。ですので、仮に裁判前に証拠の閲覧謄写をしないダメダメ弁護人であったとしても、冒頭陳述の時点で、検察が犯行現場を特定するための証拠として掛け軸を出すことは分かりますから、それに基づいて、被告人質問を組み、事前に被告人に手渡し、リハーサルを行わなければいけません(本件は殺人罪であり、動機に争いもありますので、冒頭陳述から被告人質問に至るまでは、かなりの期間があったはずです。主人公は何回接見したんだだろう?)。
3
弁護士について
なにより許せないのが、312頁『検察の見解に真っ向から意を唱える。これは勇気のいることであり〜』の部分です。
犯行が計画的であったか、偶発的であったか、という点で、検察側の弁護側が争うのは日常茶飯事です(新人だろうと、初めての殺人罪であろうとそれは変わりません)。
被告人が、襲われたからやむをえず殺したと、偶発的犯行を主張しているのに、それを黙殺し、検察側の計画的犯行説を認める弁護人は懲戒ものです。
ありえません。
にもかかわらず、『複数の同業者から「藤井君、若いうちはもう少しおとなしく出た方がいいよ」と忠告を受けた。』とあるのは、ちょっとひどすぎるんじゃないのか、と思いました。
これも主人公の頑張りぶりを際立たせるための、記述だとは思われますが、本作は小説としては素晴らしいだけに、感銘を受けた読者の方が、誤った
弁護士像を抱く恐れがあるため、大いに危惧を抱きました。
弁護人とは被告人の味方なのです。
仮に心の中では「こいつ有罪だな」と思っていても、被告人が無罪主張するならば、弁護人も無罪主張しなければなりません。もちろん検察と戦わなければいけません。
それが弁護人の使命です。
もちろん世の中には、普通の
弁護士なら弁護人に絶対なりたくないような凶悪犯人がいますが、それでも誰かは弁護人になります。
なぜなら、一方的な裁判では、無辜の者を罰する恐れがあることを歴史が証明しているからです。
まるで一般的な
弁護士が検察をおそれ、迎合しているような、『満願』の描写には、不満を憶えました。
検察に迎合しているのは裁判官であって、弁護人ではありません。