コンサート・イン・パリ [DVD]
高校生の頃校舎に彼女の「アイドルを探せ」が流れていた。それを彼女と屋上で聞いていた。言葉はフランス語で分からないけど、BGMとしては良かった。
若い頃の歌歌唱力はあまりないが彼女は魅力に富んでいた。彼女にもいろんな出来事があった。年月が過ぎ、数年前TVで彼女の「あなたのとりこ」が流れた。
勿論昔に吹き込まれた物。実は彼女の発売された曲全部持っている。ジャーたまにはDVDでも,と購入。幼きアイドルは最高のエンタテェイナー、歌手に変身していた。彼女に起きた悲劇乗り越えて。エクサレント!!
素敵な女性に乾杯!!
若い頃の歌歌唱力はあまりないが彼女は魅力に富んでいた。彼女にもいろんな出来事があった。年月が過ぎ、数年前TVで彼女の「あなたのとりこ」が流れた。
勿論昔に吹き込まれた物。実は彼女の発売された曲全部持っている。ジャーたまにはDVDでも,と購入。幼きアイドルは最高のエンタテェイナー、歌手に変身していた。彼女に起きた悲劇乗り越えて。エクサレント!!
素敵な女性に乾杯!!
ベスト・オブ・シルヴィ・バルタン
まだ封も開けていませんが、題名だけでワクワクします。シングルレコードのジャケットでしか見ていないので、こんなに可愛い子だったけかなーと思い出せない。でも歌は良かった。CMで流れた時は鳥肌が立ちましたね。いい歌は昔も今も変わりませんね。今風の変な米語が入った歌よりぜんぜんいいね。歳のせいかね?ミッシェルポルナレフとならんでフランス語の歌もなかなかよいかもよ。聞いたことが無い若い世代の方でも。お薦めします。CMで昔の歌やいい歌をつかうのは、そのぐらいの世代が出世してきたのかな?英語だったらアメリカとか日本人歌手の千昌夫のもと妻ジョンシェパードとかまだまだいい歌手がいるんですよ、ロック好きならディープパープルなんかもいいかもね。ボストンでもいいよ。軽トラックの荷台いっぱいのレコードもったいないことをしてしまった。
あなたのとりこ~60s ベスト
1960年代、フランスのロック世代が創りだした「イエ イエ」。
これは、アメリカンロックの英語のかけ声「YES,YES」をフランス語読みにしたものでしたが、若者の文化を総称して「イエ イエ(Y'e y'e)」と
呼ばれました。
60年代はヌーヴェルバーグ(新しい波)やファッション革命が次から次へと押し寄せ、大人のフランス文化から若者のフランス文化へと変革
した時代でした。
そのような中、1963年にミッシェル・ポワロン監督により公開された映画「Cherchez l'idole(アイドルを探せ)」の中で、オランピア劇場で歌う
シルヴィ・ヴァルタンの一シーンが一躍注目され、同年9月にアメリカ、ナッシュビルのRCAスタジオで録音された中の一曲が「La plus belle
pour aller danser」でした。
「一番きれいになって踊りに行くわ」、「踊りに行く一番の美女」と訳される、この「La plus belle pour aller danser」は、映画「Cherchez
l'idole(アイドルを探せ)」の大ヒットと共に1964年にオランピア劇場でビートルズと協演したコンサートで彼女の人気は一躍世界に注目され
ることになりました。
今夜は 一番きれいになって 踊りに行くわ
あなたが愛した娘たちを忘れるほど
今夜は一番スウィートになるわ
欲しかったあなたからの 愛の囁きを聴くの
最初の愛の喜びを知るのは 永遠の恋人だけ
今夜一番きれいになって 踊りに行かなくちゃ
一番きれいになって踊りに行くわ・・・
我が国では、「La plus belle pour aller danser」が映画の題名そのままに「アイドルを探せ」として大ヒットしましたが、歌声だけにとどまら
ず1965年の来日ではTVを通して動くフランス人形、洗練されたファッションと美貌、日本の若者達にとっても「イエ イエ」のニューウェイブが
浸透していきました。
我が国では既に1961年から小林亜星が作曲したレナウンのTV-CM「ワンサカ娘」が流れていましたが、1965年からシルヴィ・ヴァルタンが
登場したことや、ちゃっかり、中尾ミエが「アイドルを探せ」を日本語で歌ったことで、日本の若者にはすっかりフランス文化が受け入れられま
した。
これを機に、フランスの代表格であったエディット・ピアフ、ダリダ等から、シルヴィ・ヴァルタン、フランソワーズ・アルディ、フランス・ギャル、ダ
ニエル・ビダル、ミッシェル・ポルナレフ等によるフレンチ・ポップスというジャンルが確立され、若者ファッションも変革していきました。
シャルル・アズナブールと義弟のジョルジュ・ガルバランツにより作詞・作曲され、シルヴィ・ヴァルタンによって歌われた「La plus belle
pour aller danser」、世界中から愛され永遠に光り輝き続けることでしょう。
これは、アメリカンロックの英語のかけ声「YES,YES」をフランス語読みにしたものでしたが、若者の文化を総称して「イエ イエ(Y'e y'e)」と
呼ばれました。
60年代はヌーヴェルバーグ(新しい波)やファッション革命が次から次へと押し寄せ、大人のフランス文化から若者のフランス文化へと変革
した時代でした。
そのような中、1963年にミッシェル・ポワロン監督により公開された映画「Cherchez l'idole(アイドルを探せ)」の中で、オランピア劇場で歌う
シルヴィ・ヴァルタンの一シーンが一躍注目され、同年9月にアメリカ、ナッシュビルのRCAスタジオで録音された中の一曲が「La plus belle
pour aller danser」でした。
「一番きれいになって踊りに行くわ」、「踊りに行く一番の美女」と訳される、この「La plus belle pour aller danser」は、映画「Cherchez
l'idole(アイドルを探せ)」の大ヒットと共に1964年にオランピア劇場でビートルズと協演したコンサートで彼女の人気は一躍世界に注目され
ることになりました。
今夜は 一番きれいになって 踊りに行くわ
あなたが愛した娘たちを忘れるほど
今夜は一番スウィートになるわ
欲しかったあなたからの 愛の囁きを聴くの
最初の愛の喜びを知るのは 永遠の恋人だけ
今夜一番きれいになって 踊りに行かなくちゃ
一番きれいになって踊りに行くわ・・・
我が国では、「La plus belle pour aller danser」が映画の題名そのままに「アイドルを探せ」として大ヒットしましたが、歌声だけにとどまら
ず1965年の来日ではTVを通して動くフランス人形、洗練されたファッションと美貌、日本の若者達にとっても「イエ イエ」のニューウェイブが
浸透していきました。
我が国では既に1961年から小林亜星が作曲したレナウンのTV-CM「ワンサカ娘」が流れていましたが、1965年からシルヴィ・ヴァルタンが
登場したことや、ちゃっかり、中尾ミエが「アイドルを探せ」を日本語で歌ったことで、日本の若者にはすっかりフランス文化が受け入れられま
した。
これを機に、フランスの代表格であったエディット・ピアフ、ダリダ等から、シルヴィ・ヴァルタン、フランソワーズ・アルディ、フランス・ギャル、ダ
ニエル・ビダル、ミッシェル・ポルナレフ等によるフレンチ・ポップスというジャンルが確立され、若者ファッションも変革していきました。
シャルル・アズナブールと義弟のジョルジュ・ガルバランツにより作詞・作曲され、シルヴィ・ヴァルタンによって歌われた「La plus belle
pour aller danser」、世界中から愛され永遠に光り輝き続けることでしょう。
あなたのとりこ~シルヴィ・バルタン・ベスト・コレクション
「あなたのとりこ」「アイドルをさがせ」はピンとくる人が多いほどの有名曲。
私の生まれる前から活躍している人のようだ。
フラッシュダンス、悪女、ききなれたカバー曲もうれしい。
張りのある声がGOOD!ポップス聞くとなぜか元気になる。
私の生まれる前から活躍している人のようだ。
フラッシュダンス、悪女、ききなれたカバー曲もうれしい。
張りのある声がGOOD!ポップス聞くとなぜか元気になる。