戦艦ポチョムキン [DVD]
サイレント映画は始めてみたのですが,断片的に挟まるト書きにいらいらすることも無く,ごく普通のスペクタクル映画として見ることが出来ました。
ストーリー紹介厳禁という方は以下は読まないでください。
腐った肉のスープをあてがわれる戦艦ポチョムキンの水兵たち。
上官からの不当な扱いはとどまるところを知りません。
時は革命前夜,水兵たちは反逆ののろしをあげます。
反乱は成功し,寄港したオデッサでは市民がその成就を祝い,犠牲者に深い哀悼の意をささげます。そして,平和な数日間が過ぎ・・・・・・
普段はネタバレレビューがきらいなので,筋はあまり書かないのですが,本作の見所は筋よりも「映像」「映像」「映像」なので,あえて紹介をさせていただきました。
引き込まれるカメラワークに,悲劇が強烈に迫ってきました。
そのせいか,見た翌日は腹が差し込んでしくしくして困りました。
悲劇にひぃぃぃと胃が痛んでいます。
ストーリー紹介厳禁という方は以下は読まないでください。
腐った肉のスープをあてがわれる戦艦ポチョムキンの水兵たち。
上官からの不当な扱いはとどまるところを知りません。
時は革命前夜,水兵たちは反逆ののろしをあげます。
反乱は成功し,寄港したオデッサでは市民がその成就を祝い,犠牲者に深い哀悼の意をささげます。そして,平和な数日間が過ぎ・・・・・・
普段はネタバレレビューがきらいなので,筋はあまり書かないのですが,本作の見所は筋よりも「映像」「映像」「映像」なので,あえて紹介をさせていただきました。
引き込まれるカメラワークに,悲劇が強烈に迫ってきました。
そのせいか,見た翌日は腹が差し込んでしくしくして困りました。
悲劇にひぃぃぃと胃が痛んでいます。
戦艦ポチョムキン CCP-184 [DVD]
1925年の「革命映画」で、アメリカ公開版をDVD化したもの。
白黒映画だがポチョムキン号に揚がる赤旗だけは、カラーである。
無声映画で、バックにはオーケストラが流れる。
One for all. All for one.
どこかで聞いたことのある字幕も出てくる。
Wikiによれば、
内容が共産的だということで、日本での一般公開は1967年だそうだ。
「オデッサの階段」と呼ばれる場面は映画史上有名なシーンの一つだそうで、様々なオマージュやパロディを生んでいるという。
後の映画人への影響や映画芸術への貢献で非常に重要な作品だそうなので、
見ておいて損はないと思う。
ストーリーは「白」「黒」はっきりした構成で、極めてシンプルではあるが、引き込まれる。
ただ、現代の映画を見慣れている者にとっては、少し物足りないかも。
個人的に面白かったのは、映画から読み取れる「革命の作り方」だ。
堤未果は「戦争を作り出すステップ」として、
「凶悪な敵」「被害者意識」「愛国心」をあげている*が、
「革命の作り方」も基本的に、ほぼ同じだ。
*「社会の真実のみつけかた」岩波ジュニア新書
余談:
腐った肉に「犬も食わないぜ!」の水夫のセリフは、中国語では「狗不理」とも翻訳できるか。
ちなみに、「狗不理」は中国で有名な包子専門店の店名。
(もっともこの店の方が映画よりも70年ほど先輩らしい)
そんなことを考えると、本映画が30年代の中国映画に与えた影響にも興味がひかれる。
白黒映画だがポチョムキン号に揚がる赤旗だけは、カラーである。
無声映画で、バックにはオーケストラが流れる。
One for all. All for one.
どこかで聞いたことのある字幕も出てくる。
Wikiによれば、
内容が共産的だということで、日本での一般公開は1967年だそうだ。
「オデッサの階段」と呼ばれる場面は映画史上有名なシーンの一つだそうで、様々なオマージュやパロディを生んでいるという。
後の映画人への影響や映画芸術への貢献で非常に重要な作品だそうなので、
見ておいて損はないと思う。
ストーリーは「白」「黒」はっきりした構成で、極めてシンプルではあるが、引き込まれる。
ただ、現代の映画を見慣れている者にとっては、少し物足りないかも。
個人的に面白かったのは、映画から読み取れる「革命の作り方」だ。
堤未果は「戦争を作り出すステップ」として、
「凶悪な敵」「被害者意識」「愛国心」をあげている*が、
「革命の作り方」も基本的に、ほぼ同じだ。
*「社会の真実のみつけかた」岩波ジュニア新書
余談:
腐った肉に「犬も食わないぜ!」の水夫のセリフは、中国語では「狗不理」とも翻訳できるか。
ちなみに、「狗不理」は中国で有名な包子専門店の店名。
(もっともこの店の方が映画よりも70年ほど先輩らしい)
そんなことを考えると、本映画が30年代の中国映画に与えた影響にも興味がひかれる。
戦艦ポチョムキン【淀川長治解説映像付き】 [DVD]
古典的名作ということで、十数年ぶりに買って見なおしました。若いときは分からなかったのですが、単なるモンタージュ映画の教科書的存在というだけではなく、画面そのものに映り込んだ「顔」の数々に見惚れてしまいました。彼ら彼女らが名のある役者さんだったのかどうかは分かりません。けれども時代や歴史を感じさせる「顔」が消え失せつつある最近の映像作品やメディアの文法と比べると、モブシーンとクローズアップの交錯とともにわき起こってくる圧倒的なリアリティは、追随を許すものではありません。一人一人の手や足、顔や声が、歴史を作るはず。今は亡き淀川氏の解説も、味わい深く、導入に最適です。
戦艦ポチョムキン
今までとは違ったアルバムでしたが、もともとニールテナントがやりたがっていたサウンドトラックを遂に実現させたという感じを受けました彼が好きだと言っていたエンニオモリコーネの影響も現れているとも個人的な感想ですが思います。私もエンニオモリコーネが好きなので素晴らしい出来だとおもいました。petshopboysのファンの方たちは意見が別れるとは思いますが真のファンでしたらきっと納得出来るアルバムだと思います。
戦艦ポチョムキンの生涯 1900‐1925
エイゼンシュテインの映画『戦艦ポチョムキン』の日本公開は1967年であった。この映画が日露戦争中に起きた叛乱事件を取り扱ったものでオデッサの階段での虐殺シーンが有名なことなどについては知っていたが、「なぜ当時有力な戦艦であったポチョムキンがバルチック艦隊と日本回航をともにしなかったのか?」、「ペテルブルクで起った「血の日曜日事件」がなぜオデッサなのか?」などについて疑問があった。
本書を読んで疑問がすべて氷解した。また、著作権が切れたということで映画『戦艦ポチョムキン』をネットで鑑賞することが出来た。1925年制作の『戦艦ポチョムキン』はドキュメンタリー映画ではなく、ロシア革命の先駆けとして位置付けたプロパガンダ映画という位置づけになるのだろう。
戦艦の「ポチョムキン」という名は、エカチェリーナ2世の寵臣で軍港セヴァストーポリと黒海艦隊の創設者であったポチョムキン公爵の名に因むものである。副題にあるように戦艦ポチョムキンは1900年に進水している。映画となったヴァクレンチュックらの叛乱は日露戦争中の1904年に起きている。映画には描かれないがポチョムキンは叛乱鎮圧後、数奇な運命をたどる。そしてロシア革命後の1919年、セヴァストーポリに放置されていたポチョムキンは英国海軍によって処分された。映画『戦艦ポチョムキン』が完成したのは1925年である。
本書の映画と違うポチョムキンの実像を追うストーリィに興味が惹かれるが、簡潔なロシア史、あるいはロマノフ王朝史としても意味がある。我々日本人にとって、特にロシアの南ロシア・黒海方面へ進出についての知識は疎いものである。また、戦艦の歴史についても簡潔に紹介されており、この方面に興味のある方には読む価値がある。
本書を読んで気になったのは、東ローマ帝国滅亡後もコンスタンチノープルの表記が一貫して使われていることである。ロマノフ王朝は東ローマ帝国を継承したという建前から今でもロシアでは表記を変えていないのだろうか?
もうひとつ、読了後に読んだ「あとがき」である。「私が描きたかったのは「解釈」だった。(中略)それは私の「解釈」であり、「真相」でも「真実」でもない。」
このようにいわれてしまうと、読者はこの本の「解釈」をどう理解したらよいのだろうか?悩んでしまう。
本書を読んで疑問がすべて氷解した。また、著作権が切れたということで映画『戦艦ポチョムキン』をネットで鑑賞することが出来た。1925年制作の『戦艦ポチョムキン』はドキュメンタリー映画ではなく、ロシア革命の先駆けとして位置付けたプロパガンダ映画という位置づけになるのだろう。
戦艦の「ポチョムキン」という名は、エカチェリーナ2世の寵臣で軍港セヴァストーポリと黒海艦隊の創設者であったポチョムキン公爵の名に因むものである。副題にあるように戦艦ポチョムキンは1900年に進水している。映画となったヴァクレンチュックらの叛乱は日露戦争中の1904年に起きている。映画には描かれないがポチョムキンは叛乱鎮圧後、数奇な運命をたどる。そしてロシア革命後の1919年、セヴァストーポリに放置されていたポチョムキンは英国海軍によって処分された。映画『戦艦ポチョムキン』が完成したのは1925年である。
本書の映画と違うポチョムキンの実像を追うストーリィに興味が惹かれるが、簡潔なロシア史、あるいはロマノフ王朝史としても意味がある。我々日本人にとって、特にロシアの南ロシア・黒海方面へ進出についての知識は疎いものである。また、戦艦の歴史についても簡潔に紹介されており、この方面に興味のある方には読む価値がある。
本書を読んで気になったのは、東ローマ帝国滅亡後もコンスタンチノープルの表記が一貫して使われていることである。ロマノフ王朝は東ローマ帝国を継承したという建前から今でもロシアでは表記を変えていないのだろうか?
もうひとつ、読了後に読んだ「あとがき」である。「私が描きたかったのは「解釈」だった。(中略)それは私の「解釈」であり、「真相」でも「真実」でもない。」
このようにいわれてしまうと、読者はこの本の「解釈」をどう理解したらよいのだろうか?悩んでしまう。