ポゼッション デジタルニューマスター版
鬼才アンジェイ・ズラウスキー監督が、80年初頭に手掛けたジャンル分類不能な異色ホラーである(1980年、仏蘭西=西独逸合作)。
灰色の荒涼とした廃墟の様な街並みと、東西ドイツの民族分断の象徴ベルリンの壁が映し出され、先鋭的なレア・グレーヴの戦慄的で、且つ不気味な音楽と共に幕開け。東西に引き裂かれていたドイツの抱える苦悩と背反の様相は、其のまま主人公マルクとアンナの夫婦関係に直結するかの如く退廃的な情景である。丸で、これから起こる夫婦解散の前兆を示唆する冷ややかで無機質的な映像だ。
アンジェイ・コジンスキーによる冒頭のテーマ曲は、過去に彼が担当して来た様々な音楽の分野が重なる集大成とでも言うべき研ぎ澄まされたスコアであり、不穏な緊迫感を醸し出している。(何度聴いても飽きさせない硬質な響きが素晴しい。)
夫の長い単身赴任期間中に妻が不倫をしていたことから、激しい夫婦喧嘩が起り、絶望的な愛憎物語が幕を開ける。
ズラウスキー監督の持つ独特の妄想が、現実の世界を凌駕する。突飛で異常な光景や観念と思想が渦巻く超現実的な映像が、次々と展開されていく。その狂乱的な世界は、観る側には難解であり、観る人の解釈も異なってしまう。が、其処にはポーランドの悲劇的な歴史の象徴や屈折した愛情の犠牲が根底に描かれている。
〜ここから、ネタバレ含むのでご注意。〜
まず、マルク(サム・ニール)の七変化振りに注目である。最初に痙攣パフォーマンスを披露して呉れるのだ。
アンナ(イザベル・アジャーニ)とレストランで口論から激怒し、椅子を蹴散らし喧嘩別れする。ホテルの部屋に3週間閉じこもり、無精髭を生やしたまま錯乱が始まる。電話を掛けるが、言語障害が生じ話せない。ジレンマに陥りベッド上でゴロゴロ転がり、震え出す。更に癲癇発作の様に痙攣を起こす。軈て今度は、室外の廊下を目が血走ったまま徘徊した挙句、我に返る。何と、彼は精神疾患寸前のところで踏み止まり、子供の様子を見る為、家に向かうのである。序盤からクライマックス場面のような勢いがある描写が続く。
マルクは家庭を遣り直すため、アンナを説得するものの結局、間男の元に通ってしまう彼女に再三、憤慨して追い詰める。
が、逆切れした彼女に平手打ちを一発食らい、自制心を失ってしまう。家族の為に一生懸命働き、帰って来た途端の妻の不倫による別居生活に追い遣られたマルクの蓄積した鬱憤が爆発する。スローモーションを効果的に使った往復ビンタの過激な描写、愛情の裏返しのドメスティックバイオレンス光景が炸裂する。開き直って家を飛び出すアンナを呆然と見送るマルクであった...。
夫を追い込んだアンナの悪女振りが新たな暴走を開始する。ニールを超越するアジャーニの痙攣パフォーマンスが待っているのである。
その語り継がれる地下道での尋常でない狂乱演技の詳細は敢えて触れないでおく。
それよりもその前後にある病根の映像。平手打ちを食らいながら不敵な笑みを浮かべ、車への発作的な飛び込み自殺(未遂)、台所で自ら自動ナイフで首を掻き切り(自殺未遂)、軈て殺人マニアに変貌するくだりが凄まじい。常に自律神経が崩れた焦燥感を漂わせ、時には悲痛な表情を浮かべ、また躁的で攻撃的な微笑みを見せ、過剰で露悪的で常軌を逸した演技力を遺憾無く発揮している。
登場人物は曲者ばかり。妻子と別居状態で、過保護な母親と暮らす拳法使いの間男ハインリッヒ(ハインツ・ベネント)。
アンナの友人で不在中に息子の世話をするマージ(マルギット・カルステンセン)は、矢鱈とマルクを誘惑する。
意外と間抜けで悲惨な最期を遂げる同性愛者を思わせる探偵コンビ。アンナと生き写しだった息子の小学校の三つ編み女担任教師ヘレン(アジャーニの一人二役)の魅惑的な存在。マルク自体も国家機密の潜入捜査官(?)だ。
私の中で悪が勝ったと言う、憑かれた女アンナと、対照的なヘレンは純真その物...と言いたいが、筆者の所感では否。
それは表面的であり、子供を利用してのマルクとの不倫関係が、魔性の女を物語っている。瞳が緑色の彼女も真面な人物ではないのである。ラストで彼女が見せる表情は、尋常では無く、魔性の微笑みなのである。これは、新たなる訪問者に対してのズラウスキー流「どんでん返し」なのだと思う。ヘレンも曲者としてズラウスキーは描いているのだ。
本編の最大な難解部分。アンナが飼っている秘密の愛人である。
ある老朽建物の一室に出入りするアンナ。マルクが雇った探偵がその部屋で見た物とは...。
葛飾北斎の艶画「蛸と海女」(二匹のタコから性的快楽を受けている女)を参考にしたと言われている(映画雑誌等)、唐突で異様な光景。
特殊効果担当カルロ・ランバルディによる奇妙な触手を持ったヌルヌル、グニョグニョ、モゾモゾ感覚溢れるグロテスクな怪物が登場、得体の知れぬ不気味さと、生理的嫌悪感高い物恐ろしさを兼ね揃えた造形である。当時、予備知識無しで鑑賞した筆者は余りの生々しい描写と突飛な展開にトラウマ級の衝撃を受けてしまった。
怪物の全貌をはっきり見せず(「エイリアン」と同じ効果)、また時間経過と共に人型に成長していく姿が見所である。
従来のモンスター映画の様に人間を直截襲撃する事はないが、終盤に恐るべき高等戦術を見せて呉れるのだ。本作は、曾て無かった妄想が具現化した異種異形の新感覚モンスター映画としての一面も持つ。
怪物化した、何かに取り憑かれた、狂信的な女性を登場させ、現実逃避と性交渉的な隠喩が社会に混乱を引き起こすといった一面もあり、それはズラウスキーの作家自身の不安の投影である作風と、解釈も出来る。
自分と瓜二つの他人が出現する事により、自己同一性感覚が危機になる。自分が一体何ものなのか、錯乱状態から人間性の崩壊を冷徹に描いた心理劇でもあり、又、主人公マルクとアンナが殺人マニアと変貌し、血の惨劇を巻き起こすというサイコ・ホラーとしての見方も可能なのだ。まさにジャンル分類不能な映画である。
サム・ニールは、狂気と正気の危険な境目を彷徨う鬼気迫る人間を熱演。イザベル・アジャーニは、形振り構わず、本当に狂っているかの様な迫真の演技。この二人が最後に血塗れでキスする螺旋階段の情景は、絶望的な様相の中にも一種の次元を飛び越えた「究極の愛」を感じさせてくれる。
デビュー作「夜の第三部分」(71)や「悪魔」(72)よりは、ユーモア要素がある。が、根底にある黙示録的な悪夢は不変であり、原始的な感情表現は矢張り力強い。撮影担当はブリュノ・ニュイッテン(本作の製作前79年にイザベル・アジャーニとの間に男児をもうける)なのでカメラワークが巧かった訳(特に生き生きした魅力的なアジャーニの映し方)である。語る事に尽きないズラウスキー監督の最高傑作の1本。
灰色の荒涼とした廃墟の様な街並みと、東西ドイツの民族分断の象徴ベルリンの壁が映し出され、先鋭的なレア・グレーヴの戦慄的で、且つ不気味な音楽と共に幕開け。東西に引き裂かれていたドイツの抱える苦悩と背反の様相は、其のまま主人公マルクとアンナの夫婦関係に直結するかの如く退廃的な情景である。丸で、これから起こる夫婦解散の前兆を示唆する冷ややかで無機質的な映像だ。
アンジェイ・コジンスキーによる冒頭のテーマ曲は、過去に彼が担当して来た様々な音楽の分野が重なる集大成とでも言うべき研ぎ澄まされたスコアであり、不穏な緊迫感を醸し出している。(何度聴いても飽きさせない硬質な響きが素晴しい。)
夫の長い単身赴任期間中に妻が不倫をしていたことから、激しい夫婦喧嘩が起り、絶望的な愛憎物語が幕を開ける。
ズラウスキー監督の持つ独特の妄想が、現実の世界を凌駕する。突飛で異常な光景や観念と思想が渦巻く超現実的な映像が、次々と展開されていく。その狂乱的な世界は、観る側には難解であり、観る人の解釈も異なってしまう。が、其処にはポーランドの悲劇的な歴史の象徴や屈折した愛情の犠牲が根底に描かれている。
〜ここから、ネタバレ含むのでご注意。〜
まず、マルク(サム・ニール)の七変化振りに注目である。最初に痙攣パフォーマンスを披露して呉れるのだ。
アンナ(イザベル・アジャーニ)とレストランで口論から激怒し、椅子を蹴散らし喧嘩別れする。ホテルの部屋に3週間閉じこもり、無精髭を生やしたまま錯乱が始まる。電話を掛けるが、言語障害が生じ話せない。ジレンマに陥りベッド上でゴロゴロ転がり、震え出す。更に癲癇発作の様に痙攣を起こす。軈て今度は、室外の廊下を目が血走ったまま徘徊した挙句、我に返る。何と、彼は精神疾患寸前のところで踏み止まり、子供の様子を見る為、家に向かうのである。序盤からクライマックス場面のような勢いがある描写が続く。
マルクは家庭を遣り直すため、アンナを説得するものの結局、間男の元に通ってしまう彼女に再三、憤慨して追い詰める。
が、逆切れした彼女に平手打ちを一発食らい、自制心を失ってしまう。家族の為に一生懸命働き、帰って来た途端の妻の不倫による別居生活に追い遣られたマルクの蓄積した鬱憤が爆発する。スローモーションを効果的に使った往復ビンタの過激な描写、愛情の裏返しのドメスティックバイオレンス光景が炸裂する。開き直って家を飛び出すアンナを呆然と見送るマルクであった...。
夫を追い込んだアンナの悪女振りが新たな暴走を開始する。ニールを超越するアジャーニの痙攣パフォーマンスが待っているのである。
その語り継がれる地下道での尋常でない狂乱演技の詳細は敢えて触れないでおく。
それよりもその前後にある病根の映像。平手打ちを食らいながら不敵な笑みを浮かべ、車への発作的な飛び込み自殺(未遂)、台所で自ら自動ナイフで首を掻き切り(自殺未遂)、軈て殺人マニアに変貌するくだりが凄まじい。常に自律神経が崩れた焦燥感を漂わせ、時には悲痛な表情を浮かべ、また躁的で攻撃的な微笑みを見せ、過剰で露悪的で常軌を逸した演技力を遺憾無く発揮している。
登場人物は曲者ばかり。妻子と別居状態で、過保護な母親と暮らす拳法使いの間男ハインリッヒ(ハインツ・ベネント)。
アンナの友人で不在中に息子の世話をするマージ(マルギット・カルステンセン)は、矢鱈とマルクを誘惑する。
意外と間抜けで悲惨な最期を遂げる同性愛者を思わせる探偵コンビ。アンナと生き写しだった息子の小学校の三つ編み女担任教師ヘレン(アジャーニの一人二役)の魅惑的な存在。マルク自体も国家機密の潜入捜査官(?)だ。
私の中で悪が勝ったと言う、憑かれた女アンナと、対照的なヘレンは純真その物...と言いたいが、筆者の所感では否。
それは表面的であり、子供を利用してのマルクとの不倫関係が、魔性の女を物語っている。瞳が緑色の彼女も真面な人物ではないのである。ラストで彼女が見せる表情は、尋常では無く、魔性の微笑みなのである。これは、新たなる訪問者に対してのズラウスキー流「どんでん返し」なのだと思う。ヘレンも曲者としてズラウスキーは描いているのだ。
本編の最大な難解部分。アンナが飼っている秘密の愛人である。
ある老朽建物の一室に出入りするアンナ。マルクが雇った探偵がその部屋で見た物とは...。
葛飾北斎の艶画「蛸と海女」(二匹のタコから性的快楽を受けている女)を参考にしたと言われている(映画雑誌等)、唐突で異様な光景。
特殊効果担当カルロ・ランバルディによる奇妙な触手を持ったヌルヌル、グニョグニョ、モゾモゾ感覚溢れるグロテスクな怪物が登場、得体の知れぬ不気味さと、生理的嫌悪感高い物恐ろしさを兼ね揃えた造形である。当時、予備知識無しで鑑賞した筆者は余りの生々しい描写と突飛な展開にトラウマ級の衝撃を受けてしまった。
怪物の全貌をはっきり見せず(「エイリアン」と同じ効果)、また時間経過と共に人型に成長していく姿が見所である。
従来のモンスター映画の様に人間を直截襲撃する事はないが、終盤に恐るべき高等戦術を見せて呉れるのだ。本作は、曾て無かった妄想が具現化した異種異形の新感覚モンスター映画としての一面も持つ。
怪物化した、何かに取り憑かれた、狂信的な女性を登場させ、現実逃避と性交渉的な隠喩が社会に混乱を引き起こすといった一面もあり、それはズラウスキーの作家自身の不安の投影である作風と、解釈も出来る。
自分と瓜二つの他人が出現する事により、自己同一性感覚が危機になる。自分が一体何ものなのか、錯乱状態から人間性の崩壊を冷徹に描いた心理劇でもあり、又、主人公マルクとアンナが殺人マニアと変貌し、血の惨劇を巻き起こすというサイコ・ホラーとしての見方も可能なのだ。まさにジャンル分類不能な映画である。
サム・ニールは、狂気と正気の危険な境目を彷徨う鬼気迫る人間を熱演。イザベル・アジャーニは、形振り構わず、本当に狂っているかの様な迫真の演技。この二人が最後に血塗れでキスする螺旋階段の情景は、絶望的な様相の中にも一種の次元を飛び越えた「究極の愛」を感じさせてくれる。
デビュー作「夜の第三部分」(71)や「悪魔」(72)よりは、ユーモア要素がある。が、根底にある黙示録的な悪夢は不変であり、原始的な感情表現は矢張り力強い。撮影担当はブリュノ・ニュイッテン(本作の製作前79年にイザベル・アジャーニとの間に男児をもうける)なのでカメラワークが巧かった訳(特に生き生きした魅力的なアジャーニの映し方)である。語る事に尽きないズラウスキー監督の最高傑作の1本。
ポゼッション [Blu-ray]
WOWOで、放送していたものを録画して、観賞しました。
内容は安定した見やすい作品です。
血がたくさん出るようなグロいシーンは有りません。せいぜい、歯が抜けるぐらいです。
グロい作品が嫌いな人でも、観賞出来る程よいホラーでしょう。
内容は安定した見やすい作品です。
血がたくさん出るようなグロいシーンは有りません。せいぜい、歯が抜けるぐらいです。
グロい作品が嫌いな人でも、観賞出来る程よいホラーでしょう。
ポゼッション [VHS]
1980年/西ドイツ・フランス合作の本作は、ホラーやSFのカテゴライズの一筋縄でくくれるものではありません。イザベル・アジャーニ主演/75年作「アデルの恋の物語」や83年「殺意の夏」などで、狂気の演技には定評ある彼女ですが、この作品などその真骨頂が味わえます。美貌のみならず卓越した演技力を備えているとは、天は二物を与える事もあるようです。彼女の才能は、演技派という技巧すら鼻に付かない迫真であり、これは演技論がどうののレベルでは無く才能の成せる技でしょう。技というより「業」すら思わせるのである。本作の様に、SFXのハッタリに頼らず、演技だけで怖い映画はそうあるものではありません。コケおどしのホラーにいい加減食傷してしまったあなたに、是非どーぞ。
サーヴァント ポゼッション 男性用フェロモン香水
正直、この商品扱うのが難しいっす(ーー;)
買えば分かると思いますが、効果は絶大です。ただし、持続性がありすぎるのと、逆に消すのに手間がかかります。
ただ、効果はそこらへんの媚薬よりもあるはずです。事実、俺はもう1人GETで。
購入して気をつけて欲しいのは大量使用かな笑
買えば分かると思いますが、効果は絶大です。ただし、持続性がありすぎるのと、逆に消すのに手間がかかります。
ただ、効果はそこらへんの媚薬よりもあるはずです。事実、俺はもう1人GETで。
購入して気をつけて欲しいのは大量使用かな笑