シューマン:クライスレリアーナ
以前このCDの評で「鬼才アファナシエフがシューマンの狂気に迫る!」というのを見たことがある。たしかに今まで聞いたアファナシエフの演奏からすればこのようなコピーをつけるのも納得できるのだが、このCDに関してはこういった評価はあまり当てはまらないような気がする。
まず、テンポ感が違う。たしかに全体を通すとテンポは遅いのだが、極端に遅いわけではないし、「遅い」ということを意識させられることもない。また、ムソルグスキーの作品集(『展覧会の絵』ほか)にあるような重々しさや恐々しさもあまり感じない。それが一番よくわかるのは「クライスレリアーナ」の冒頭(CDの最初)で、普通この部分はペダルを効果的に使って波がうねるような演奏を聞かせるのだが、アファナシエフは左手のリズムに合わせて短くペダルを踏むだけで、あっさりと、しかも勢いよく弾ききっている。
アファナシエフの演奏の中では異色なものだと思うが、ほかの演奏者と違う部分には「さすが」と思わされる。好き嫌いは分かれるだろうが、ここに収められた2作品は近年CDが多くリリースされている注目株なので、ぜひ色々と聞き比べてほしいと思う。
まず、テンポ感が違う。たしかに全体を通すとテンポは遅いのだが、極端に遅いわけではないし、「遅い」ということを意識させられることもない。また、ムソルグスキーの作品集(『展覧会の絵』ほか)にあるような重々しさや恐々しさもあまり感じない。それが一番よくわかるのは「クライスレリアーナ」の冒頭(CDの最初)で、普通この部分はペダルを効果的に使って波がうねるような演奏を聞かせるのだが、アファナシエフは左手のリズムに合わせて短くペダルを踏むだけで、あっさりと、しかも勢いよく弾ききっている。
アファナシエフの演奏の中では異色なものだと思うが、ほかの演奏者と違う部分には「さすが」と思わされる。好き嫌いは分かれるだろうが、ここに収められた2作品は近年CDが多くリリースされている注目株なので、ぜひ色々と聞き比べてほしいと思う。
金鳥の渦巻 微煙N 10巻 (防除用医薬部外品)
煙が少なく、臭いも他より少ない為、狭い部屋でも問題無し。虫対策になっているかどうか?は個人の見解が分かれるところだと思うが、私の中で、蚊取り線香と蚊帳は、暑苦しい夏に少なからず安らぎを与えてくれるアイテムである事に間違いは無い。
眠れないほどおもしろい日本神話の物語 (PHP文庫)
今年は伊勢神宮の式年遷宮と出雲大社の六十年遷宮が有り神話等に興味を持ち購入しました。古事記をそのまま読むのは読解力が伴わない為無理ですが、この本は一挙に読破出来ました。
丕緒の鳥 十二国記 (新潮文庫)
読んでいて、「ああ、これは列伝なのだな」と理解しました。
その昔、司馬遷は前漢までの歴史を「史記」にまとめるにあたり、いくつかの形式を用いました。
そのうちのふたつは後の歴史書に引き継がれます。
それが”本紀”(後の”紀”)と”列伝”(後の”伝”)です。
前者は国王の物語であり、木に例えれば、幹を描くことで木を伝えようとするもの。
後者は臣下や庶民の物語であり、木に例えれば、葉を描くことで木を伝えようとするものです。
一枚の葉であっても、それがみずみずしく青々としていれば、人はそこから木の充実ぶりを連想できますし、逆に、水気を失って枯れかけた葉を見れば、人はそこから木の衰退を知ることができる、というわけです。
十二国記にあてはめると、「月の影 影の海」はさしずめ「陽子本紀」であり、本書の表題作などは「丕緒列伝」か、もしくは「羅氏列伝 丕緒の章」ということになります。
著者に、史記の形で、という意思があったかどうかはわかりませんが、少なくとも、頭のすみに意識としてあったのでは、と私は思います。
さて、本書は、いってみれば四つの列伝が収められた短編集です。
個人的には、とりわけ感銘の深かったのは、表題作です。
いやもう、ラストではぽろぽろと泣いてしまいました。
エンジニアとか、ものづくりにたずさわった人ならば、この感銘をわかってもらえると思います。
この物語はつまり”ものづくりバカ”(決して軽蔑しての表現ではありません)が、苦悩の末に作り上げたものが評価される、という、単純といえば単純なお話なのです。
それが丹念に作りこまれ、芳醇な物語となっています。
ハラハラドキドキの”本紀”ももちろんいいですが、こういう渋い”列伝”もまた見逃すてはありません。
ぜひお読みください。
その昔、司馬遷は前漢までの歴史を「史記」にまとめるにあたり、いくつかの形式を用いました。
そのうちのふたつは後の歴史書に引き継がれます。
それが”本紀”(後の”紀”)と”列伝”(後の”伝”)です。
前者は国王の物語であり、木に例えれば、幹を描くことで木を伝えようとするもの。
後者は臣下や庶民の物語であり、木に例えれば、葉を描くことで木を伝えようとするものです。
一枚の葉であっても、それがみずみずしく青々としていれば、人はそこから木の充実ぶりを連想できますし、逆に、水気を失って枯れかけた葉を見れば、人はそこから木の衰退を知ることができる、というわけです。
十二国記にあてはめると、「月の影 影の海」はさしずめ「陽子本紀」であり、本書の表題作などは「丕緒列伝」か、もしくは「羅氏列伝 丕緒の章」ということになります。
著者に、史記の形で、という意思があったかどうかはわかりませんが、少なくとも、頭のすみに意識としてあったのでは、と私は思います。
さて、本書は、いってみれば四つの列伝が収められた短編集です。
個人的には、とりわけ感銘の深かったのは、表題作です。
いやもう、ラストではぽろぽろと泣いてしまいました。
エンジニアとか、ものづくりにたずさわった人ならば、この感銘をわかってもらえると思います。
この物語はつまり”ものづくりバカ”(決して軽蔑しての表現ではありません)が、苦悩の末に作り上げたものが評価される、という、単純といえば単純なお話なのです。
それが丹念に作りこまれ、芳醇な物語となっています。
ハラハラドキドキの”本紀”ももちろんいいですが、こういう渋い”列伝”もまた見逃すてはありません。
ぜひお読みください。