論語物語 (講談社学術文庫)
論語は孔子と弟子達の「話し合い」を綴った書物である。言うまでもなく話し合いにはそれに似合った「背景」が存在する筈で、これが無ければ言葉の意味を正確に伝える事が難しくなる。悲しい事に論語は「子曰く」で始まる章が多く、話し合いだけが収録され背景は途切れている。
本書はその背景を「物語風」という形で補う様に編纂されており、孔子や弟子達の人物像が生き生きと描いている。背景の補い方についても史実に基づいている為なのか誇張表現は一切無い、言わば自然体な形に収まっている。特筆すべきは作者の表現力の深さで、2012年に読んでも表現に全く古くささを感じず、繰り返し繰り返し味わいたくなる内容に仕上がっている。一つあたりの物語が電車の中、病院の待ち時間等のちょっとした空き時間にも読める尺度で描かれているというのも何度も読み返したくなる要因かもしれない。
巷には論語を現代風にマネジメント題材として扱ったり、リーダー学として掘り下げた本が幾つもあるが、それを読むくらいならば本書を読んだ方が得る所は大きいと確信して止まない。
本書はその背景を「物語風」という形で補う様に編纂されており、孔子や弟子達の人物像が生き生きと描いている。背景の補い方についても史実に基づいている為なのか誇張表現は一切無い、言わば自然体な形に収まっている。特筆すべきは作者の表現力の深さで、2012年に読んでも表現に全く古くささを感じず、繰り返し繰り返し味わいたくなる内容に仕上がっている。一つあたりの物語が電車の中、病院の待ち時間等のちょっとした空き時間にも読める尺度で描かれているというのも何度も読み返したくなる要因かもしれない。
巷には論語を現代風にマネジメント題材として扱ったり、リーダー学として掘り下げた本が幾つもあるが、それを読むくらいならば本書を読んだ方が得る所は大きいと確信して止まない。
次郎物語〈上〉 (新潮文庫)
主人公本田次郎は1915(大正4)年に生まれた。彼の青春は5・15事件とか2・26事件という血なまぐさい出来事と重なっている。大正デモクラシーの時代に少年期を過ごしたわけであるが、その時代は奇妙に現代と似ている。彼の実母のような理屈で子育てをしようとする母親は日本中に充満しているし、彼の祖母のようにわが子を分けへだてする親は数知れない。学校の教員の大多数は小説の中の教員の多くと同様凡庸である。そして彼の父親のような、道理のためには生命の危険をも冒す親は少なく、権田原先生や朝倉先生のように立身出世より生徒の実力――上からの命令に忠実に従うのではなく、良心の自由を失わず主体的に行動できる力――を伸ばすことを重んじる教員は稀である。その現代と似た状況はいつのまにか軍人の暴力が政治を壟断することを許し、友愛塾のような自由の精神を養う場を圧殺して報国塾のような全体主義的教育を盛んにして行った。この小説の後半は、私にはまるで未来小説のように見える。