市民科学者であり、原子力問題に多くの著者のあった著者が癌との闘病のなかで、どうしてもこれだけは伝えなければならないと思って著した遺言。
冒頭で本書が刊行された前年(1999年)に起きた茨城県東海村のJCO社のウラン加工施設での臨界事故に触れている。この事故で二人の作業員が亡くなった。95年12月の高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故、97年3月の動燃の東海再処理工場でのアスファルト固化処理施設での火災爆発事故に続くもので大騒ぎになった事故である。
著者は日本で原子力文化、安全文化がその開発の初発から議論も、批判も、思想もなく、その状態が原子力産業の在り方についても同じであったことを告発している。アメリカからのつぎはぎ的導入で、国家まかせの施策として、トップダウンで進められたのが日本の原子力行政であった。
議論が全くないままにいわばなし崩し的に措置されてきたのが原子力開発であり、原子力行政だというわけである。
著者は実際に若いころに日本原子力事業、東京大学原子核研究所で仕事をしていて、上記の指摘はそのなかでの実感なので説得力がある。著者はさらに原子力産業の自己検証能力のなさ、本来の意味でのアカウンタヴィリティの欠如、総じて「自己に甘い体質」(p.142)に言及している。
また、現場で「手触り感」をもたない研究者の存在が、いとも簡単にデータの隠蔽、改竄をおこなっている現状を告発している。
最後に「友へ」というメッセージで高木さんは次のように書いている、「残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばなりましたが、せめて『プルトニウム最後の日』くらいは、目にしたかったです。でも、それはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故から
ロシア原潜事故までのこの一年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物がたれ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです」と(pp.182-183)。
高木仁三郎さんの「原子力神話からの解放」を一気に読んだ。1999年9月30日の東海村JCOの臨界事故を受けて、2000年に書かれた本。高木さんはこの本で9つの神話を取り上げ、その神話に呪縛された結果として、その事故が起こったことを指摘。この神話から解放されない限り、また事故が起こることは自明のことであり、今日のフクシマをそして----を予言している。
当時、僕は何をしていたのか、実は記憶が定かでない。そんな事故があったらしいことは知っているのだが、当時それ程びっくりした訳ではない。でも高木さんはこの事故を決定的なものとして、一気に書きあげたという。すでに神話に呪縛されていた私たちがそこにいたのだ