プールサイド小景・静物 (新潮文庫)
第三の新人と呼ばれた世代の中心人物の短編集.大昔の国語の教科書に氏の「ザボンの花」が載っていましたね.未だに現役と記憶しています.表題作「静物」は隙のない傑作のように思えます.若くしてこのような作品を書いてしまうというのは本当にすごいことです.昔の人の思慮深さを感じます.まさしく国語の授業で勉強するようにゆっくり噛み砕きながら読みたい本です.そのせいか,集中力が必要です.ひとりで(勿論,読書はひとりでするものですが),静かに読みたい作品です.僕の思い入れかも知れませんが,昭和の時代,その時代の家族を感じる作品たちです.昔の小田急沿線の雰囲気ですかね.
「めざましテレビ」AD近田君の驚愕ダイエット術
ダイエットメニューのバリエーションが豊富。ダイエット本にありがちな「●●さえすればいい」ではなく、「僕はあれこれやってるけど、そのダイエットメニューから適当につまみ食いしてみて」というような感じ。パラパラめくって、自分に合いそうなものだけ採用して、合わなそうなものはスルーできるのがいい。「折り目つける」「チェック入れる」のはそういうことか。これならひとつが合わなくても、合いそうなものだけ手をつければ、思いのほか長続きしそう。アプリ版もほしいな。
心ヲナクセ体ヲ残セ (角川文庫)
「主人公のいない場所」という題にまとめられた短編集は、いっぺんが4ページほどのとても短いものが24編。短いながら、生がずっしりと重たい。どこかしら、理不尽で、不条理で、死の臭いがはしばしに漂う。本来、生は常に死を傍らにするものだということを思い出さされる。
「渡鶴詩」「雀遺文」「アズマヤの情事」「ジーンとともに」の中編は、私にもぐっと読みやすいものであり、物語に引き込まれた。
人間が発展の名の下に自然破壊を進める時代の野性に生きる不条理や理不尽は、「渡鶴詩」や「ジーンとともに」で痛切にあらわされる。
しかし、「雀遺文」でも「アズマヤの情事」でも、理性という壊れた本能ではどうにも得心できぬ、あの燃え立つ衝動、自分の中にあるもう一人の自分の声を聞かされることでは共通である。この「雀遺文」が私は好きだ。
確かに単なる擬人化ではない。その上、単なる自然観察報告でもない。人間とはまったく異なる肉体を持ち、精神を持つ存在としての鳥。その異なるという感覚がクリアに体験されるような、不思議な文章だった。
2008年、誰かニジドリを見ただろうか。