『愛のむきだし』で魂を揺さぶられ、ガツンとやられてしまったので本を買ってみました。自分が感銘を受けたもの(=『愛のむきだし』)をつくった人はどんな思考回路なんだろうと、がっついて一気に読みました。結果、なんだかすがすがしい。
奇才と呼ばれベネチアなど国際映画祭の常連とも言える映画監督となった園子温。世間に注目されるまでの人生は、言ってみれば「ひとりよがりのクリエイター(自称)」を地で行くような、破天荒でみじめなもの。認められるためというよりは、表現したいことが先にある感じ。だからこそアンチがわくのもうなずける。しかしクリエイターは、こうでなければ存在し得ない。
「人生は質より量」
「記憶を更新せよ」
「ヤリたければ知性を磨け」
本文の至るところで、自分の生き方を顧みて「いまのおれ、どうなんだ?」と考えさせられた。誰もが知る映画を引き合いに出しながら、後悔しないように生きるための指標というか、キモになることを教わった気がした。やはり日本映画界では、取って代わる存在はいないスペシャルな監督だと思う。「自分に正直な映画を撮るようになってから人生が拓けてきた」という監督のことばどおり、たまにはきちんと自分に向き合って、退屈な人生を楽しみたい。
なんといっても、映画冒頭の集団自殺のシーンがインパクト大きい。
帰宅ラッシュのJR
新宿駅ホームに、制服の女子高生が普通におしゃべりしながらぞろぞろ集まりだし、
みんな手をつないだと思ったら、「せーの」の掛け声で、いきなり入ってくる車両に全員が飛び込んでしまう。
他にもホームに待っている乗客が大勢いる中で突如起きる惨劇は、線路に落ちた女子高生の一人と目が合った
次の瞬間には轢かれて血しぶきが上がるなど、強烈な見せ場になっている。
これを皮切りに、集団自殺の波は日本全国に広がりだす。
ある高校では、日常の学校風景の遊び半分のような様子のまま、校舎屋上からの集団飛び降り自殺になってしまう。
決心のつかなかった学生が、無理やり道連れにされるところがリアルで怖く印象に残る。
前半は、得体の知れない恐怖が、じわじわと蔓延していく怖さが感じられますが、
ここまでは、見方によっては、ただ気色悪い、趣味の悪い映画かも知れません。
しかし、物語後半から、少年が電話で
「あなたは、あなたを殺してもあなたと関係ありますか?」
「あなたはあなたの関係者ですか?」などのメッセージが投げかけます。
ここでスプラッターホラー風のテイストが「人とのかかわり、自分とのかかわり」を問う詩のような作品に変わっていきます。
この展開が、園子温監督の作風ゆえであり、なぜか気になる作品になった理由と思います。
石橋凌,
永瀬正敏が刑事で、さとう珠緒, 宝生舞が看護婦で出演していることで、
普通の映画に踏みとどまっていますが、途中からストーリーは(おそらく意図的に)破綻しており、
かなり毛色の変わった作品になっています。
映画史上最長のプロローグ、それは奇蹟までの
カウントダウン。
「まさにマリア、僕は一瞬で恋をした」のセリフで始まるこの壮絶な愛の物語は、
映画の常識を覆すタイミングで表示される
タイトルバックを経て、
そして、そこから一気に加速していく
プロローグに要した時間はなんと1時間。
プロローグ終盤は延々とボレロが流れる中、主要人物の群像がある1点へと集約されていく。
そして奇蹟が起こり、
タイトルバック。
衝撃が走る。
何ぃ!まだ始まってもいなかったのかっ!?
ここから連なるモノローグのバトンリレーが実に痛快だ。
そして奇蹟の出会いが「勃起」を呼び、それはまさしく「愛」なのであった。
ここまで1時間半・・・真の物語はこの辺から本当に始まる!!!
怒涛の237分はあっという間などという平凡な表現とは一線を画す至福の時間。
約4時間の長尺を短く感じた!のではない。4時間は4時間だったが、もっと観たかったのだ。
終わらないで欲しかったのである。
この作品には6時間バージョンもあるとの話だが、できれば初見でそちらを観たかった。
と、感じさせる何かがある。
主役3人の驚異的表現力に魅了され、
先の読めないストーリー展開に魅了され、
B級感溢れる本格B級演出(←ホメてます)と
陳腐な絵作り(←ゆるやかにホメてます)と
随所に出現する美しすぎるシーン(←もちろんホメてます)の強弱に魅了され、
繰り返され続けるBGMに脳を刺激され、
そして、何よりも怒涛の愛に涙する。
いかレスラーから始まるファントムフィルムの系譜を受け継ぎながら、
楽々と過去作品を凌駕してしまった遺伝子異常的破天荒映画であると共に、
勃起=愛という普遍原則を強引にも鑑賞者に刷り込み、
これから僕達も勃起を恥じない正しい人間であり続けようという幻想をも抱かせてしまいそうになる本作は、
間違いなく傑作なのである。
《蛇足》
満島ひかり、感動の長台詞。新約聖書コリント使徒への手紙第十三章。
最高の道である愛。
たとえ、人間の不思議な言葉、天使の不思議な言葉を話しても、
愛がなければ私は鳴る銅鑼、響くシンバル。
たとえ、予言の賜物があり、あらゆる神秘、あらゆる知識に通じていても、
愛がなければ私は何物でもない。
たとえ、全財産を貧しい人に分け与え、
たとえ、称賛を受ける為に自分の身を引き渡しても、
愛がなければ私には何の益にもならない。愛は寛容なもの。
慈悲深いものは愛。
愛は妬まず高ぶらず誇らない。
見苦しい振る舞いをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人の悪事を数えたてない。
愛は決して滅び去ることはない。
予言の賜物なら廃りもしよう。
不思議な言葉ならば止みもしよう。
知識ならば無用となりもしよう。
我々が知るのは一部分、また予言するのも一部分である故に、
完全なものが到来するときには、部分的なものは廃れさる。
私は幼い子供であった時、幼い子供のように語り、
幼い子供のように考え、幼い子供のように思いを巡らした。
ただ、一人前の者になった時、幼い子供のことは止めにした。
我々が今見ているのは、ぼんやりと鏡に映っているもの。
その時に見るのは顔と顔を合わせてのもの。
私が今知っているのは一部分。
その時には自分が既に完全に知られているように、私は完全に知るようになる。
だから引き続き残るのは信仰、希望、愛、この三つ。
このうち最も優れているのは、愛。
BGMは
ベートーベン交響曲第7番第2楽章。
そう、奇しくもあの「のだめ」のオープニングテーマと同一曲(ちなみにのだめは第1楽章)。
さて、
カラヤン&
ベルリンフィルの名演がyoutubeに落ちているので、
これを聴きながら上の愛の賛歌を絶叫してみましょう。
園監督が最も伝えたかったのはこの曲とこのフレーズだということが実感できることでしょう。
そのための4時間だったのです。