独ソ大戦車戦―クルスク史上最大の激突 (光人社NF文庫)
むかし、サンケイから出ていたバランタイン版戦史の復刻のようです。
1943年、スターリングラード後の南方戦線で、クルスクを中心に突出した部分を巡る戦いです。ドイツが包囲を狙って攻撃する「ツィタデル作戦」と、これを予期するソ連軍が相手に出血を強いつつ、反攻にでるという話です。
ドイツ軍は新型のタイガー、パンテル戦車の生産を待っているうちに攻撃が7月までずれ込みました。ようやく攻勢を開始した直後にシチリアへの英米軍の上陸が始まり、兵力を引き抜かれてしまいます。さらにロシア側の縦深防御に足を取られてしまう。
それでもマンシュタインの指揮したクルスク南部では、ドイツ軍が巧妙に戦い、ソ連軍の防御を危うくする場面もあったようです。
広い戦場に、耳慣れないロシアの地名。ハリコフ、オリョール、ブリャンスク、オボヤン・・・。ドン河、ドネツ河、ドニェプル河などの位置関係、モスクワやクリミア半島などとの位置関係など、地図を手元におかないと、分った気になれませんでした。
最後にウクライナの古都キエフが奪還され、第二次世界大戦は大きな転機を迎えます。
カードダスマスターズ 機動戦士ガンダム ガンダムクロニクル 0083 両雄激突編 BOX
今回のシリーズでやっとデンドロビウムが使える!
やっぱり前回のガンダムシリーズみたいに盾未装備とかみたいなちょっと弱体かしたものなんだろーな、正規版と同等な訳ないだろうし(泣)
でも予約しちゃうますけどね。
PCゲーム「マブラヴ オルタネイティヴ」 オリジナルサウンドトラック vol.1
マブラヴ・オルタネイティヴに、「やられた」者としては、このサウンド・トラックは、宝物のように感じる。
まず、払暁の地平を背景に、蒼天を砕くがごとく進む凄乃皇の威容、それを取り巻く12機の不知火が推進する光‥‥‥既に、このパッケージ自体に、こみ上げてくるものがある。「‥‥‥反則だろう」とさえ言いたくなる。
そして、それぞれの曲に、眼を閉じて想う‥‥‥。
ゲーム・サイズの「未来への咆哮」に、個々の思い描く、その人だけの、オープニング映像が生まれるだろう。
「凄乃皇」には、「オルタネイティヴ」全体の隠しテーマ的な、威厳と、解放の力感が満ちている。
「陽だまり」は、ゲーム作中同様に、何者にも気遣うことなく、微笑むことが許される‥‥‥救いの曲と言えよう。
「戒厳令」は、自分の顔が、どんどん険しくなっていくことを自覚する。高揚とは異なる、ある種の覚悟のようなものか‥‥‥‥。
「殲滅せよ」から、「決断」までは、まさに「怒涛」である。存分に、曲に溺れて良いように思う。
そして、それらを受けて「宿命」が、来る。この宿命に、誰を想うのか‥‥‥‥私は、未だ、その順序をつけられずにいる。いや、順序などつけてはならないのだろう。
「激突」は、「宿命」を受けて、闘志を再点火してくれる。人類逆襲の象徴である。
‥‥‥私はゲームの最中、幾度、キャラクターたちの心情と同化してしまっただろうか‥‥‥。その曲の名は、「生命の炎」。傑作としか表現すべき術を、私は知らない。
「PX」は、もう「京塚のおばちゃんに叩かれたくなる」以外の、感想しか思い浮かばなくて(笑)。
‥‥‥‥これ以降の曲を、あれこれ私の言葉で語るには、冒涜であるように思う。それは、この作品を、いかに受け止めたか、それぞれの、重大な心の分岐点の曲群であったように感じるから‥‥‥。
ともあれ、私は、ゲーム本体と共に、このサントラを、人生の財産としたい。心から、誇りを以って、お薦めする。
動脈列島 [DVD]
「ブラック・サンデー」VS「パニック・イン・スタジアム」、「動脈列島」VS「新幹線大爆破」。さて共通項は? 噂によれば、「ブラック・サンデー」はスタジアム側の全面協力が得られたが、「パニック・イン・スタジアム」はスタジアムでの撮影は難色を示された(従って写っているのはほとんどゲリラ撮影とセットらしい)。一方「新幹線大爆破」には国鉄の協力が得られたが、「動脈列島」はやはり難色を示された――らしい。その理由は、扱った題材のアクチュアリティ=迫真性によるところが大きい。「新幹線―」や「ブラック―」が絵空事ということでもないが、「パニック―」や「動脈列島」は明日にでも起こりうるほどの真実味があるのだ。著名批評誌でその年のベストテンにも入った「新幹線―」に比べて完全に埋没した(興行的にもほとんどしょぼかった)感じの本作だが、鉄道騒音問題という社会派的な視点に犯罪スリラーを絡めた展開は、大映時代に「黒の試走車」を始めとする「黒の―」諸作を量産し、世界でも類例を見ない“企業社会派”作品群ともいうべきジャンルを確立しつつあった故・増村監督の真骨頂と呼べるものだ。現在見ても決して古びない、迫真の映画体験を保証する。
激突! 検察、暴力団、弁護士会……タブーの権力と対峙した弁護士の事件簿
著者は実際に死を意識して書いていたのでしょう。変に飾ることなく、本当に自身の思った通り体験した通り率直に書いているのが伝わってくるような文章が並んでいます。
単に恨み節とも取れるような箇所もなかにはありましたが弁護士、検察官、裁判官などを痛烈に実名批判しているのに加え、ある程度親しい人物でも自らが気に入らないと思うような部分はこれまた実名を上げて指摘しています。また、検察官時代、思いを寄せる既婚者の女性のため懇意の刑事に頼んでその女性の夫が隠していた拳銃を秘密裏に処理したことなどもあけすけに記されており、後先をほとんど考えていないような印象です。さらに、巻末の「おわりに」も自分の人生が完結してしまったような書き方をされておりまるで遺書のようで、読み終わった後どこかもの悲しくなってしまいました。
著者が執筆後すぐに亡くなってしまったので推敲不足なのか若干文章としておかしい部分もありましたが、著者の一貫した信念、生き様を感じることが出来た良い本でした。