永遠の仔〈下〉
長い年月にわたる悲しい物語を丁寧に丹念に描いた物語です。私にもなじみがある高齢者介護の状況や四国(愛媛県)の自然の息吹などを記した箇所からは、綿密な取材の末に紡ぎ上げられた小説だということが見て取れます。ですからこの小説が絵空事という印象を与えず、地に足をつけた現実味を伴って読者に迫ってきます。
最後の一行はとても衝撃的ですが、その一行にもしかなり多くの人が安寧を与えられたのだとしたら、よくよく考えるととても怖い気がします。そんな一言で癒しを与えようとするこの小説が間違っているというのではありません。それほど多くの人々がこの一行に癒やしを得なければならないような世の中というのは、やはりどこか歪んでいるのではないかと思います。今の世の中のほうが間違っていることを、この小説は最後の一行で鋭く問うているのではないでしょうか。そう考えるとこの小説はとても恐ろしい迫力に満ちた作品だと思います。
悼む人〈下〉 (文春文庫)
「生きるということは、今生きている、という事実だけをいうのだろうか。 生きて死ぬことの先にあるものは、誰かの記憶の中に生き続けるということではないのか。」(『茨の木』)
あんなに泣いたのに、それでも逝ってしまった大事な人々をふと忘れたりして、罪悪感に苛まれることがある。苦しくはちきれんばかりまで膨らんだそんな罪悪感に追われるように、主人公静人は悼む旅を続ける。
余命を宣告された者、愛する者を殺めた者、そして他人の死を生活の糧とする者。彼らが、他人の生を心に刻み続ける静人の足跡を追うように、死と向き合うことで生きることの素晴らしさを見出す。
逝きし人々が心の中で生き続けるという理想を綺麗にまとめた作品ではない。その理想に伴う葛藤が、その理想に対する疑念が、その実現に対する妥協の想いが素直に描かれる。自己満足を自己満足と断じ、偽善を偽善と斬るところにこそ深く考えさせられるものがあった。
理想には理想たる所以がある。それを真剣に追うということは、その全てを手に入れようとすることではなく、削り削って本当に譲れないものだけを研ぎ澄ますことなのだろう。そんな行為の積み重ねこそが「懸命に生きる」ということなのだと問うているようでもあった。
永遠の仔 DVD-BOX
過去のレビューにもありましたが
はじめから重い・・重い・・・・内容も映像も・・
私も、あの中の一人とちょっとかぶったような幼少期だったので
ものすごく気持ちが分かりました。
そして凄く泣いたのを覚えています。
子供はなんら悪くないんですよね・・
親になるまえに一度みておくべき。そしたら
こんなことは絶対に出来ない。
人は子供の魂を持ったまま大人になる。
それが永遠の仔という意味ではないか?
と最終回を見た時感じました。(本来は違ってたらすいません。)
永遠の仔〈3〉告白 (幻冬舎文庫)
話の焦点は過去に移る。現在では優希の自宅が焼失してしまった。焼け跡の死体。疑問がつのる中、失踪した聡志。何も分からないまま、ただ過去に何があっただろうか。
帯には「人は救いを求めて罪を重ねる」とある。笙一郎にしても梁平にしても、そして何より優希にしても救いが。優しさが欲しかった。自由が欲しかった。全てはその過去が現在に繋がる。会ってしまった3人。
優希への想いそのままなのか。二人は嫉妬もし合いながら支えていく。過去と現在で似ているようなのはここだろう。優希はその優しさに、いつも支えられていた。だからこその今の存在があるのかも知れない。それでいて「家族狩り」と似たような問題提起も、伺えないことはないが。ずっしりこたえた重さは感じられず読めるあたりが本作の魅力かも知れない。逆にその重さが「家族狩り」の面白さではあった。
事前に起きた殺人事件は優希家の消失と関係はあるのか。そして過去の罪の動機が明らかになってくる。次は11月10日刊行の四巻に続くが、期待するばかり。エンターティンメントとしてなかなか盛り上がってきた。
永遠の仔〈5〉言葉 (幻冬舎文庫)
たった一つの言葉を、
誰かに言ってもらいたい。
でも、
それは、
だれでも言いわけではない。
たった一つの言葉があったから、
生きていくことができる。
大どんでん返しがありました。
予測できないほどの。
でも、
説得力があり、
悲しくなりました。
悲しくて、
悲しい人たちの物語。
ルフィンとモウルとジラウ。
3人の悲しくも、
回復の兆しを感じる結末でした。