何でも見てやろう (講談社文庫)
著者が逝去され、著書を読んだことがなかったのであわてて「この一冊」と言えるものを探した結果、
『何でも見てやろう』を見つけた、いわばミーハー男です。
「一日一ドル」という旅が、今で言うとどのくらいなのかちょっと見当がつかなかったのが、残念と
言えば残念ですが、それでこの本の面白さが損なわれるわけではありません。
また「差別用語では?」と思われる単語がバンバン出てきて、著者のお人柄と当時の時代背景がよく
分かります。
どこの国でもすぐにとけ込み、親しい友人をもうけまくった様子がこれまた痛快。
ちょうと村上春樹氏の『遠い太鼓』を読んだ直後で、今風の満ち足りた旅と、三昔くらい前の超貧乏旅行の
対比がこれまた面白く、でもそれでいて著者がそれぞれ接した国々の人々の特徴はあまり変わっていない
ような印象です。
一流の作家による旅行記は文句なしに面白い、ということがこれでまた一段と確信できる一冊でした。
『何でも見てやろう』を見つけた、いわばミーハー男です。
「一日一ドル」という旅が、今で言うとどのくらいなのかちょっと見当がつかなかったのが、残念と
言えば残念ですが、それでこの本の面白さが損なわれるわけではありません。
また「差別用語では?」と思われる単語がバンバン出てきて、著者のお人柄と当時の時代背景がよく
分かります。
どこの国でもすぐにとけ込み、親しい友人をもうけまくった様子がこれまた痛快。
ちょうと村上春樹氏の『遠い太鼓』を読んだ直後で、今風の満ち足りた旅と、三昔くらい前の超貧乏旅行の
対比がこれまた面白く、でもそれでいて著者がそれぞれ接した国々の人々の特徴はあまり変わっていない
ような印象です。
一流の作家による旅行記は文句なしに面白い、ということがこれでまた一段と確信できる一冊でした。
自己ベスト
皆さんオフコースファンの方が多いらしく、「駄作」や「失敗作」などといった言葉を用いていますが、これは(タイトルにも書きましたが)“小田和正”としての歌を集めたものです。
そういった方々ははじめからオフコースの歌だけを聴いていて下さい。
オフコース時代からの小田さんファンの人には、そういう風に固執する人が多いようですが、
オフコースの歌も今の小田さんの歌も好きな人(自分がそうですが)には、失礼です。
そう感じたから書いているのでしょうが、ただ批判するだけなら別のところに行って下さい。
ここは掲示板ではありません。(今私がやっていることも同じで心苦しいですが)
ご存じない方が多いようですが、小田さんがオフコースを解散してからも1人で活動を続けようとしたのは、「極東のこの場所(日本)からも、世界に誇れる音楽を作りたい」という気持ちがあったからです。
ファー・イースト・クラブを設立させたのも同じ思いです。
小田さんは、『風のようにうたが流れていた』ではこのように語っていました。
オフコース当時は「僕たちの活動はオフコースで完結していた」と。
それを語ったのは、別の理由ですが。
これからの小田さんに、オフコースの頃の歌い方を期待しても、無理な話です。
小田さんが1人でオフコースの歌を“アレンジ”してまで歌をうたう、その身を切られるような思い、判りませんか?
オフコースファンを裏切ってしまうかもしれない…
小田さんがそういった考えを持っていたかは分かりません。
ただし、私はこの自己ベストに収録された歌を、受け入れることが出来ました。
“小田和正”の歌として。
これから小田さんファン、オフコースファンになるかも知れない人達のためにも、偏ったコメントは控えてほしいものです。
私は逆に、この自己ベストに収録された、オフコースとは違う歌い方の『Yes-No』も『緑の日々』もこれからのファンの人達に勧めたいと思います。
そういった方々ははじめからオフコースの歌だけを聴いていて下さい。
オフコース時代からの小田さんファンの人には、そういう風に固執する人が多いようですが、
オフコースの歌も今の小田さんの歌も好きな人(自分がそうですが)には、失礼です。
そう感じたから書いているのでしょうが、ただ批判するだけなら別のところに行って下さい。
ここは掲示板ではありません。(今私がやっていることも同じで心苦しいですが)
ご存じない方が多いようですが、小田さんがオフコースを解散してからも1人で活動を続けようとしたのは、「極東のこの場所(日本)からも、世界に誇れる音楽を作りたい」という気持ちがあったからです。
ファー・イースト・クラブを設立させたのも同じ思いです。
小田さんは、『風のようにうたが流れていた』ではこのように語っていました。
オフコース当時は「僕たちの活動はオフコースで完結していた」と。
それを語ったのは、別の理由ですが。
これからの小田さんに、オフコースの頃の歌い方を期待しても、無理な話です。
小田さんが1人でオフコースの歌を“アレンジ”してまで歌をうたう、その身を切られるような思い、判りませんか?
オフコースファンを裏切ってしまうかもしれない…
小田さんがそういった考えを持っていたかは分かりません。
ただし、私はこの自己ベストに収録された歌を、受け入れることが出来ました。
“小田和正”の歌として。
これから小田さんファン、オフコースファンになるかも知れない人達のためにも、偏ったコメントは控えてほしいものです。
私は逆に、この自己ベストに収録された、オフコースとは違う歌い方の『Yes-No』も『緑の日々』もこれからのファンの人達に勧めたいと思います。
「難死」の思想 (岩波現代文庫)
著者の出発点は、空襲後の焼跡の中で見た大量の黒焦げ死体。自分はその黒焦げ死体でもありえたし、機会に恵まれればその黒焦げ死体を作った加害者でもありえた、という視点を持ち続ける。国家、民主主義、平和、日本国憲法…を教義や主義や理念としての議論で終わらせず、ひとりの人間の生身の現実から考える。黒焦げ死体から考える。著者の言葉は、半世紀近くを経た今でも、新しい。残念ながら。
田原総一朗の遺言 ~藤圭子/ベ平連 小田実~ [DVD]
.
逆境に素直に生き抜いてきた人
順境に素直に伸びてきた人
その道程は異なっても
同じ強さと正しさと聡明さを持つ
ただその境涯に素直に生きるがよい
- - - - - - 松下幸之助 ( 『大切なこと』 )
.
藤圭子、本名は阿部純子、昭和27年7月5日生まれ・・・DVDの中で、コンサートの開始直前のナレーションが歌手の「生い立ちのストーリー」を語る。うつむき加減に、1年遅い誕生日のナレーションを聞きながら、カメラ・フラッシュに一礼するデビューしたての藤圭子さん。
しかし、その笑顔には世間に喧伝されたキャッチ・コピー、 「盲目の母とともに夜の巷を流して歩いた薄幸の美少女」 の陰翳(かげ)は全く見られません。
1970年6月、日比谷野音で武田美由紀さんのインタビューに答える藤圭子さんから 現在の私たちが改めて気付かされるのは、「演歌の星を背負った宿命の少女」・・・薄幸な生い立ちと笑顔を失った人生、といった暗いキャラクター・イメージが、「作られた虚像であった」 という事実です。
DVDを何度見直しても、笑顔が明るい、優しくて相手の気持ちが良く分かる、ウイットに富んだ18才なのです。
伝説とさえ言われる、壮絶な「新人歌手・藤圭子売り出しキャンペーン」は、成功裡に語られることが多く、爆発的なセールス実績から見れば事実その通りであって、その興業上の成果に賞賛を惜しむものではありませんが、
歌い手本人が生来持っている人間性を大切にしたイメージの創造でなければ、それを「演じ続けること」に本人が真面目であればあるほど苦しみ、いつしか心の内側から憔悴してゆくのは、自然な成り行きではないでしょうか。
現在歌碑が建つ、新宿6丁目の 「西向天神社」 からスタートした、新宿25時間立体キャンペーン ( ⇒ 新宿ゴールデン街などの繁華街で、デビュー曲 『新宿の女』 を、ギターを流しながら、一昼夜連続して歌い続ける企画 ) などを通して、藤圭子さんという新人歌手には 「どんな無理をしても」・「生きるために」・「長い下積生活」といったメディアの見出しと共に、「逆境に流され、笑顔を失い、人生の暗渠に沈んだ少女」といった鮮烈なイメージが、容赦なく脚色されました。
そして世間は、美しい圭子さんの、その額に二度と消えることなく刻印された『 虚像 』との ambivalence に瞠目し、圭子さんの濃艶な歌声に、ふつつかに喝采したのです。
決して自ら進んで求めたものではなかった 「流行歌手」 としての浮沈に身を委ねつつ、次々にプロデュースされる「怨歌(えんか)」をあてどなく歌い、移り気な世間に残る滓(おり)のような 虚像 を演じ続ける現実に対して、いつしか『 諦観 』が育まれてゆくのに、聡明な阿部純子さん(⇒本名)にとって、デビューの後、そう長い年月はかからなかったのではないでしょうか。。。
後に、見えないガラスに蔽われた、閉鎖的な社会から 「リセットしたい」 「新しい人生を自分でやり直したい」 と表明し、かねてからの希望であったアメリカという新天地に意を決して旅立っていったのも、明確な自意識に目覚めた、成熟した一人の女性の心の内では、ごく自然な決断であったといえるでしょう。
本来、大変明るく、そして真直ぐな性格の純子さんには、インタビューの中でも 「歌手活動の継続」の質問に対し、「仕事は辛いものだけれど、いいものを作っていきたいと思うし、ここまで育ててくれた人や私の歌を喜んでくれる人のためにも、(歌手は)当分やらなけなければしょうがないでしょう?・・・」と語っているように、既にデビュー当時から「歌手・藤圭子」を客体化して語ることが出来る、確乎とした自己が存在していたように思います。
ドキュメンタリーにおけるインタビューの内容には、司会の水道橋博士さんがコメントしているように「ガールズ・トーク」の側面もあるのですが、何よりも、ショーにおける舞台やTVの歌謡番組では決して見ることの出来ない 「阿部純子さん」の、のびやかで、ほがらかで、人間性ゆたかな『素』の表情が画面一杯に横溢しています。
このDVDを観た後、「歌手・藤圭子」ではなく、阿部純子さんご自身について印象に残るのは、以下3点です。
1.きわめて頭脳明晰であること
・・・会話の展開が非常にテンポよく進んでいるのは、聡明な純子さんの 明敏な洞察力と的確な判断力、そして柔軟な対応力の賜物であると思います。
2.ゆるぎない自己認識を持っていること
・・・収録時、空前のセールスと人気で歌謡界の頂点にあったにも拘らず、全く 「 世評 」 に陶酔することなく、冷静かつ謙虚に自己を見つめています。
3.豊かな「 母性 」の存在
・・・会話の端々に、女性としての 「生きる力」 のたくましさが溢れています。 まるで、純子さんが持つ 「 母性 」 の、深さと安らぎを connote するように。
今もなお 純子さんの歌唱に強く惹きつけられるのは、歌い手の燦爛たる生命力が 永遠の「 母性 」 を私たちに啓示しているからである、と強く感じます。
.
『美』について、極めて犀利な審美眼を持つことで著名であった、 ノーベル賞作家・川端康成先生から激賞された、純子さんの、『美』の含有量が濃密な、胸にしみ入るような美しさについては、DVD中の飾らない 自然なたたずまいの中に余すところなく捉えられており、
又、インタビュアーからの様々な問いかけに対する、「回転の速い、当意即妙な受け答えの素晴らしさ」など、本作品は、芳紀十八歳 自らの境涯に素直に生きる純子さんの、輝く笑顔と、可憐な肉声に触れることが出来る貴重な記録となっています。
あらためて、時代を駆け抜けた一人の女性の「花」を映像として鮮やかに切り取った田原総一朗さんに拍手を送りたいと思います。
その後の歌手活動は、広く知られる通り、所属事務所の移籍等々があり、さらに引退、渡米、再デビュー、ご結婚そして愛娘・光さんの誕生などが続きましたが、幾多の困難にもくじけることなく、何よりもご家庭では、「明るくて、少しだけおっちょこちょいなお母さん」 としてアメリカ・ニューヨークで 愛情たっぷりに光さんを慈しみ 成長を見守った純子さんの、穏やかで、健やかな、今後の幸福な人生を、一人のfanとして、そして一人のsupporterとして、静かに祈っています。
−−−−−−小鳩よ、汝、地上の桎梏より解き放たれ、天高く翔り行くべし
探し求めたる一粒の麦の、愛しき青き芽の生い出でたれば
そも、汝が双つなる翼、今より永久(とわ)に自由にしあれば
.
【後記】
レビュー投稿後 3ヶ月余りとなる本日(8月22日)、 大変残念ながら純子さんの訃報に接しました。
明日が恩師・石坂まさをさんの お別れの会 というこの日に亡くなられた純子さんの心痛を思うとき、
言葉がありません。
真直ぐで、純粋な方だったと思います。
純子さんの魂が、あらゆる桎梏より解き放たれ、天国で安らうことを真摯に祈ります。
合掌 ( 2013.8.22 12:30記 )
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逆境に素直に生き抜いてきた人
順境に素直に伸びてきた人
その道程は異なっても
同じ強さと正しさと聡明さを持つ
ただその境涯に素直に生きるがよい
- - - - - - 松下幸之助 ( 『大切なこと』 )
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藤圭子、本名は阿部純子、昭和27年7月5日生まれ・・・DVDの中で、コンサートの開始直前のナレーションが歌手の「生い立ちのストーリー」を語る。うつむき加減に、1年遅い誕生日のナレーションを聞きながら、カメラ・フラッシュに一礼するデビューしたての藤圭子さん。
しかし、その笑顔には世間に喧伝されたキャッチ・コピー、 「盲目の母とともに夜の巷を流して歩いた薄幸の美少女」 の陰翳(かげ)は全く見られません。
1970年6月、日比谷野音で武田美由紀さんのインタビューに答える藤圭子さんから 現在の私たちが改めて気付かされるのは、「演歌の星を背負った宿命の少女」・・・薄幸な生い立ちと笑顔を失った人生、といった暗いキャラクター・イメージが、「作られた虚像であった」 という事実です。
DVDを何度見直しても、笑顔が明るい、優しくて相手の気持ちが良く分かる、ウイットに富んだ18才なのです。
伝説とさえ言われる、壮絶な「新人歌手・藤圭子売り出しキャンペーン」は、成功裡に語られることが多く、爆発的なセールス実績から見れば事実その通りであって、その興業上の成果に賞賛を惜しむものではありませんが、
歌い手本人が生来持っている人間性を大切にしたイメージの創造でなければ、それを「演じ続けること」に本人が真面目であればあるほど苦しみ、いつしか心の内側から憔悴してゆくのは、自然な成り行きではないでしょうか。
現在歌碑が建つ、新宿6丁目の 「西向天神社」 からスタートした、新宿25時間立体キャンペーン ( ⇒ 新宿ゴールデン街などの繁華街で、デビュー曲 『新宿の女』 を、ギターを流しながら、一昼夜連続して歌い続ける企画 ) などを通して、藤圭子さんという新人歌手には 「どんな無理をしても」・「生きるために」・「長い下積生活」といったメディアの見出しと共に、「逆境に流され、笑顔を失い、人生の暗渠に沈んだ少女」といった鮮烈なイメージが、容赦なく脚色されました。
そして世間は、美しい圭子さんの、その額に二度と消えることなく刻印された『 虚像 』との ambivalence に瞠目し、圭子さんの濃艶な歌声に、ふつつかに喝采したのです。
決して自ら進んで求めたものではなかった 「流行歌手」 としての浮沈に身を委ねつつ、次々にプロデュースされる「怨歌(えんか)」をあてどなく歌い、移り気な世間に残る滓(おり)のような 虚像 を演じ続ける現実に対して、いつしか『 諦観 』が育まれてゆくのに、聡明な阿部純子さん(⇒本名)にとって、デビューの後、そう長い年月はかからなかったのではないでしょうか。。。
後に、見えないガラスに蔽われた、閉鎖的な社会から 「リセットしたい」 「新しい人生を自分でやり直したい」 と表明し、かねてからの希望であったアメリカという新天地に意を決して旅立っていったのも、明確な自意識に目覚めた、成熟した一人の女性の心の内では、ごく自然な決断であったといえるでしょう。
本来、大変明るく、そして真直ぐな性格の純子さんには、インタビューの中でも 「歌手活動の継続」の質問に対し、「仕事は辛いものだけれど、いいものを作っていきたいと思うし、ここまで育ててくれた人や私の歌を喜んでくれる人のためにも、(歌手は)当分やらなけなければしょうがないでしょう?・・・」と語っているように、既にデビュー当時から「歌手・藤圭子」を客体化して語ることが出来る、確乎とした自己が存在していたように思います。
ドキュメンタリーにおけるインタビューの内容には、司会の水道橋博士さんがコメントしているように「ガールズ・トーク」の側面もあるのですが、何よりも、ショーにおける舞台やTVの歌謡番組では決して見ることの出来ない 「阿部純子さん」の、のびやかで、ほがらかで、人間性ゆたかな『素』の表情が画面一杯に横溢しています。
このDVDを観た後、「歌手・藤圭子」ではなく、阿部純子さんご自身について印象に残るのは、以下3点です。
1.きわめて頭脳明晰であること
・・・会話の展開が非常にテンポよく進んでいるのは、聡明な純子さんの 明敏な洞察力と的確な判断力、そして柔軟な対応力の賜物であると思います。
2.ゆるぎない自己認識を持っていること
・・・収録時、空前のセールスと人気で歌謡界の頂点にあったにも拘らず、全く 「 世評 」 に陶酔することなく、冷静かつ謙虚に自己を見つめています。
3.豊かな「 母性 」の存在
・・・会話の端々に、女性としての 「生きる力」 のたくましさが溢れています。 まるで、純子さんが持つ 「 母性 」 の、深さと安らぎを connote するように。
今もなお 純子さんの歌唱に強く惹きつけられるのは、歌い手の燦爛たる生命力が 永遠の「 母性 」 を私たちに啓示しているからである、と強く感じます。
.
『美』について、極めて犀利な審美眼を持つことで著名であった、 ノーベル賞作家・川端康成先生から激賞された、純子さんの、『美』の含有量が濃密な、胸にしみ入るような美しさについては、DVD中の飾らない 自然なたたずまいの中に余すところなく捉えられており、
又、インタビュアーからの様々な問いかけに対する、「回転の速い、当意即妙な受け答えの素晴らしさ」など、本作品は、芳紀十八歳 自らの境涯に素直に生きる純子さんの、輝く笑顔と、可憐な肉声に触れることが出来る貴重な記録となっています。
あらためて、時代を駆け抜けた一人の女性の「花」を映像として鮮やかに切り取った田原総一朗さんに拍手を送りたいと思います。
その後の歌手活動は、広く知られる通り、所属事務所の移籍等々があり、さらに引退、渡米、再デビュー、ご結婚そして愛娘・光さんの誕生などが続きましたが、幾多の困難にもくじけることなく、何よりもご家庭では、「明るくて、少しだけおっちょこちょいなお母さん」 としてアメリカ・ニューヨークで 愛情たっぷりに光さんを慈しみ 成長を見守った純子さんの、穏やかで、健やかな、今後の幸福な人生を、一人のfanとして、そして一人のsupporterとして、静かに祈っています。
−−−−−−小鳩よ、汝、地上の桎梏より解き放たれ、天高く翔り行くべし
探し求めたる一粒の麦の、愛しき青き芽の生い出でたれば
そも、汝が双つなる翼、今より永久(とわ)に自由にしあれば
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【後記】
レビュー投稿後 3ヶ月余りとなる本日(8月22日)、 大変残念ながら純子さんの訃報に接しました。
明日が恩師・石坂まさをさんの お別れの会 というこの日に亡くなられた純子さんの心痛を思うとき、
言葉がありません。
真直ぐで、純粋な方だったと思います。
純子さんの魂が、あらゆる桎梏より解き放たれ、天国で安らうことを真摯に祈ります。
合掌 ( 2013.8.22 12:30記 )
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