![]() 明日への遺言 特別版 [DVD] |
敗戦。
元東海軍司令官・岡田資中将は、戦犯としてその罪を問われた裁判を”法戦”と呼び、 名古屋大空襲時におけるアメリカ軍B29の無差別爆撃に対して、徹底的にその残虐性を問い、法廷の場でアメリカ軍の非道さを追求した。 また、一部の撃墜されたB29の米軍搭乗員処刑の責任は、すべて指示を下した自分にあると主張。 部下を守り、信念を曲げることなくその責務を全うした。 その潔い姿は、演じた藤田まことの姿に十分に乗り移っているように見えた。 自己の信念と、その生き方。 自分は、それだけの信念を持って生きぬくことができるだろうか。 人間は必ず死ぬ。 早いか遅いか。 その時の生きざま。 覚悟。 そんなことを考えさせる映画でした。 これも映画です 映画には本当にいろいろなものがあると思いました。 楽しい映画、ギャグもいいですが、 映画って本当にいいものですね ^^ |
![]() 事件 [DVD] |
監督は野村芳太郎。原作は大岡昇平、脚本は新藤兼人。役者もすべて超一流。これほど豪華な俳優達が一堂に会するとは。
ある時代のよくある話が事件となり、裁判となる。 裁判官は佐分利、検事は芦田、弁護士は丹波。青年は永島、姉は松岡、妹は大竹。姉のひもは渡瀬恒彦。母は音羽。証人には西村、北林、森繁。 すごいでしょう。 話は、あまりにも哀しすぎる。純粋すぎる。 みんな、法廷で真実を語らない。それぞれが秘密を持っている。 法廷とは何か。 かけひきの場。最後まで。 最後のシーンは実に見事。渡瀬と大竹のかけあい。 女は強い。 さわやかな大竹しのぶの姿。 マイリマシタ。 |
![]() 野火 [DVD] |
戦争のむごたらしさが淡々と伝わってきます。
原作に流れるキリスト教的なるものは捨象され、もっぱら日本兵の悲惨さが描写されています。象徴的なことは主人公の田村一等兵が、僚友永松から「猿の肉」を食べさせられる場面です。原作では「肉」の脂肪を味わい、悲しみとともに飲み込んでいます。 映画では「食べた人」と「食べない人」という図式で分かりやすくなっていますが、原作の持つ複雑さとそれゆえの深み、田村の懊悩が失われてしまったかもしれません。 なぜ田村が野火へ向かうのかについても原作と比較してみると興味深いものがあります。 |
![]() 野火 (新潮文庫) |
太平洋戦争で召集され、敵地で捕虜になりながら脱走して復員してきた叔父に戦争中の話を聞かされたことがある。その叔父も故人となり戦争体験を直接話してくれる人も周囲には殆どいなくなった。
政治家や軍人から見れば、避けられなかった戦争かもしれないし、彼らなりに大義名分が有ったのかもしれないが、戦争の進め方、終わらせ方が褒められたものでなかった。 ましてや、召集され、戦地で国家から死を強制された一般の国民にとっては、おきてほしくなかったものだった筈だし、今後も戦争は二度と起きてほしくないものだと思う。 物語は、一兵卒の戦地での絶望的な話だが、薄っぺらなナショナリストたちの被害者・加害者論や、表面的な善悪論などを遥かに超えた、極限状態での人間の精神の普遍性を見事に描ききった貴重な文学作品だと思う。 戦争や飢餓が遥か遠くのものになったと思い込んでいる若者や、好戦的な態度が普通の国家などと主張している自称文化人は、今の時代だからこそ本書を読むべきだと思う。 |
![]() レイテ戦記 (上巻) (中公文庫) |
とにかくすごく調べている本。小説、ってなっているが、明らかに戦記ものだと思う。
「あんまり軍人が出鱈目を書き続け」ているのが執筆の動機らしい。「旧軍人の書いた戦史及び回想は、このように策を加えられたものであることを忘れてはならない」と手厳しく批判し、日米のあらゆる史料を全て調べ上げ、ウソを見抜こうとしている。しかし、あくまでも一兵士としての視点を保ち、死んでいった兵士たちへの鎮魂の想いだけが際だっている。その鎮魂の対象には、米軍の兵士も含まれる。 個人的に面白かったのはいわゆる「栗田艦隊謎の反転」の見解。一般的には「現在でも謎」になっていると思うのだが、「栗田艦隊の戦意不足、レイテ湾に突入の意志の欠如」と結論づけている。ま、疲れていてやる気がなかった、ということなんだけど、なんか身も蓋もない気がする。 |
![]() 俘虜記 (新潮文庫) |
著者は大戦末期の昭和19年にフィリピン・ミンドロ島の戦地へ送られるが
米軍の俘虜となり、収容所で約一年間過ごすことになる。 本書はその収容所での体験記が大部分を占めるが、 そこでは我々がイメージする収容所の過酷さや悲惨さは殆んど無い。 俘虜達は、十分過ぎる量の食事を与えられたために次第に肥えていき、 喫煙しないものにも配給される煙草を賭博に用いたり、 干しブドウから酒を密造したり、米軍の物資を盗んで貯め込んだりしている。 そういった俘虜達の強かさや堕落した姿がシニカルに描かれており、 これはあとがきによれば俘虜収容所の事実をかりて、占領下の社会を諷刺するという意図もあったようである。 著者はフランス文学翻訳家でもあり(著者翻訳によるスタンダール作品に接した人もいると思う) その語学力を買われて収容所では通訳となり肉体労働を免除されたりしている。 また、著者が春本(チャタレイ夫人の恋人を下敷きにしたりした)を書いて 収容所内での流行作家になったエピソードなども非常に興味深い。 |