彼女の他のエッセイの方を先に読んでいたため、この書のことも書名から「下ネタたっぷり、世界の恋愛事情」的な内容とばかり思っていたのだが、堅くまじめ、でも読みやすくて笑える「通訳論」の本でした。
私もすごく昔、「(典型的な)
英語が好きな(かぶれた)中学生」として、通訳もしくは翻訳業に就きたいと思っていたことがある。でも、この本を読むと、単なる「語学好き」じゃ通訳業は務まらないことが分かる。言葉と言葉を一対一で訳しているのではなく、その発言内容の「本質」を瞬時につかみ取り、文化背景等を咀嚼した上で、正しく訳出する…超人的なコミュニケーションスキルが求められる仕事です。。
目指さなくてよかった、あるいは、本気で目指してみれば良かった、と思いながら読みました。面白い。
ロシア語の通訳として名を馳せ、その後手練のエッセイストとして評価の高かった米原さんは、
突然のように逝ってしまったが、
その米原さんが残してくれた、半ば自伝で、小説のように読めるエッセー集。
米原さんは、日本共産党党員であったお父さんの仕事の関係で、
プラハのソビエト学校に、日本で言えば、小学校の終わりから中学ぐらいの5、6年通っていたらしい。
そこで身につけた
ロシア語が生涯の仕事にもなったわけだが、
このエッセーは、当時プラハの学校でクラスメートだった友人3人の話を別々にまとめたものである。
当時の思い出(と呼ぶにはあまりに複雑だったり辛かったりするのだが)と、
その後著者が友人たちと再会を果たす様子などが生き生きと描かれて、ほんとうに小説のようだ。
昔NHKでやっていた『世界こころの旅』のようでもあった。
当時のプラハといえばソ連共産党の主導のもと、国際共産主義の連携の拠点のようになっていたようで、
学校の子どもたちはそうした共産党がらみの親たちの子弟である。
出身国もいろいろで、
3人の友人はギリシア人のリッツァ、
ルーマニア人のアーニャ、そしてユーゴ人のヤスミンカ。
ひとくちに共産主義と言っても国家によっていろいろで、
たとえばユーゴとソ連、中共とソ連、日本共産党とソ連共産党の対立やらある。
時代から言ってもプラハの春やら、その後には東欧及びソ連自体の崩壊があって、
その中を生きて来て、また後半は通訳として関わった米原さんはまさに激動の時代の証人である。
とかく我々にとっての「世界」とは欧米であり、ヨーロッパと言っても西側止まりであるところへ、
こうした生活と生きた感情を伴った記録はとても貴重だと思う。
もちろん語り部としての能力もすばらしい。
その米原さんもほんの数年前、病気で亡くなってしまった。
友人たちはそれを知っているのだろうか。
まだまだ若いし、活躍の真っ最中だっただけに残念である。
本書を読んで、もっと語ってほしかった、という思いがいっそう強い。