ネットからムーブメントになったシンセサイザーソフト『初音ミク』を、評論誌ユリイカが多角的にまとめた感じの本です。
(ユリイカ誌は以前も『ジョジョの奇妙な冒険』などの評論本を発行した事があります)
ボリュームは言う事ないですね。開発者から大物ミュージシャンに至るまで、色々な視点から迫っています。
ソフト『初音ミク』の使い方やアドバイスなどは特になく、時代背景やオタク文化、誕生〜これからやSF論などが主に論じられています。
絵師によるカラー絵があったり、人気曲紹介もあったりと、良く知らない人へのまとめ本としてもいいと思います。
気になった点は、主にニコニコ動画での経緯を扱っているためか、PIAPRO(メーカー運営のサイト。曲や動画などが投稿される)や旧ボーカ
ロイドソフトなどへの言及がほとんどなかった点などでしょうか。
あとは本の性質上しかたないのもあるとは思いますが、「批評専門用語」とでも言うべきか、そういった単語や言い回しが分かりにくかったり、場合によっては鼻につくことがしばしば…。
音楽誌や映画誌などでも日常茶飯事ですが、「そのオーラルなパーソナリティとメタフィクションであることのうんたらかんたら」みたいな…。
もう「すごいよかった!」の一言でいいじゃんめんどくさい、と思います。
SP-2とは、音楽家平沢進氏が1994年から遭遇した、タイのGID(Gender Identity Disorder)たちのことを、被写体にし写真に撮り、テクストで解説された本である。と、同時に、平沢進氏が命名したその存在を指す言葉である。
SP-2たちは、最初、男性という性に生まれ、そして生きゆくなかで、自分たちの本当の性に気づき、その本質に沿って生きるべく、真剣に努力していることを、教えられる。
美しい人というのは、最初から美しいのではなく、限りない困難のなかで、それでも自分を卑しめることなく、美しくたらんと努力し磨かれ、光放つものだと、教えられる。
ただし、的をはずして努力することは滑稽である。真剣になりすぎ自身を追いつめることなく、真剣でありつつも常に問題に対し楽しむ態度も必要であることを、教えられる。
本書のなかで、わたしが一番好きなエピソードはひとりのSP-2、Helenのエピソードだ。
そのエピソードの冒頭には次のようなHelenの言葉がある。
" 私は容姿端麗ではありません。
あなたが今まで美しいSP-2の女性美を撮ってきたのなら、
私を使って人間を撮ってください。化粧もしません。さあ、始めましょう。−Helen(ヘレン)"
そして、エピソードの
タイトルは「Helenの方法」である。
Helenのポリシーは、「理解を得るために、その時できる最善のことをする」「同時にショーのプロとして、楽しんでいない客が居れば、その時できる最善のことをして楽しんでもらう」というふたつであり、そのポリシーが遺憾なく発揮された、ある夜の出来事、平沢進氏が現場に居合わせたひとつの出来事、が、紹介されている。
ごく簡単に書くと、SP-2を差別する白人がツアーでショーを観劇にきて、SP-2のことをその場でひどく非難するのだ。それをステージ上の Helenは見逃さない。堂々と舞台を降りて、その白人のもとにゆき、その人めがけて、白熱の歌唱をくりひろげ、すっかり魅了させるのだ。
ことの顛末の詳細はぜひ本書を読んでほしい。そして、Helenの力強く優しいまなざしをポートレイトで眺めてほしい。
このエピソードは、本当に大好きだ。と、同時に、自分を省みるよい機会を与えられる。
意志をもって、"何者"かになるにはどうしたらよいのか。たとえば、母であるわたし。たとえばキリスト者であるわたし。たとえば人間であるわたし。
人は本質的なところで何らかの性質をもって生まれてついてはいるのだが、人はその立場に置かれたときに、意志をもってはじめて、その性質の何者かになるのだ。たとえば、母になる。たとえばキリスト者になる。たとえば人間になる。
「最善を尽くして」。
本書のなかで繰り返しあらわれるこの言葉。SP-2たちは、不理解のなかで、困難のなかで、けれど、最善を尽くして、良き何者か、すなわち良きSP-2になろうとしている。
わたしは、最善を尽くしているか?そして、その"何者"かとして生きることを幸せに思っているか?"何者"かとしてより良く生きることを意志を持って選択し続けているか?日常の中で、人生の中で。そんな問を投げかけられる。
そして、同時に、その問に対して、優美なワイ、"Yes"であり"はい"であり、存在を肯定する、優美なワイをもって、応答したい。という希望を与えられるのだ。