『中陰の花』は、僧侶である著者でしか描けないテーマだと思います。
「あの世」のことを人は何千年思い描いてきたでしょう。
宗教に携わる人は、それを答える立場にあります。
しかし、主人公の禅僧、則道は、自らの行為をプラクティカルであると言います。
この物語は、
スピリチュアルの本家、僧侶以外の登場人物がいずれも神秘体験をしています。
則道は、それを聞いて修行中の体験を思い出し、あれもそうだったのか、と思いますが、普通の人たちよりも僧侶がプラクティカルという一見逆転したような世界観があり、いや待てよ、本当にそうかと振り返り振り返り読み進んでいきました。
日本では仏教を葬式仏教等と揶揄したりします。
釈尊の教えは、科学文明の前に文化的儀式になりかかっていたように見えましたが、近年仏教は本来の姿を取り戻そうとしている気配を感じています。
僧侶という釈尊の教えを最も強く学んだ人たちとそれ以外の人たち。
宗教とは、どういうものなのか、どこにあるのか、この物語で探そうとされたのではないかと感じています。
臨済宗の僧侶にして
芥川賞作家の玄侑宗久氏による
般若心経の解説書。
般若心経の訳本、解説本は世に多いが、
観音様が舎利子に語りかける、というスタイルが斬新。
さすがは
芥川賞作家である。
おもしろいのは量子論の知見を取り入れながら「空」を説いている点。
量子論は1930年代から東洋思想との共通点が指摘されていて、
それ自体は決して目新しい話ではないが、
物理学者側からの言及はあっても、宗教家側からの言及はあまりなく、
そこは新しいといっていいかもしれない。
とはいえ、量子論自体がわからないし、
本書を読むだけで「空」がわかる、ということはたぶんない。
量子も「空」も人間の直感に反するから、
頭で理解するのにはおそらく限界があるのだろう。
だからこそ、というわけではないが、
声に出して読んでみてほしい、と玄侑宗久氏はいう。
これまで何冊も
般若心経の解説書を読んだが、まだわからない。
だから、ひとつの突破口かもしれない、という気もする。
唱え方のルビもふってあるし、インターネットを探せばお経の録音もたくさんある。
せっかくだから、しばらく実践をしてみようかと思った。