2011年12月4日、CSやニコニコ生放送等で、マキノ雅弘監督の「次郎長
三国志」について、同シリーズの熱狂的ファンである、スタジオ
ジブリの鈴木敏夫プロデューサーと、「北の国から」や「最後の忠臣蔵」の杉田成道監督の対談が実況中継された。
そんな時代劇大好きの鈴木氏は、この対談の中で、「今の日本の俳優は、刀を差しても殺気がないから、時代劇が成り立たなくなっている」と語った。
この言葉通り、現在の時代劇の低迷は、若い視聴者の感覚に合わなくなっただけでなく、本格的時代劇にキャスティングできるような俳優が少なくなったからだろう。確かに、若いアイドルが出演した、最近の気の抜けた時代劇を最後まで観続けるのは辛い。平和らしさを象徴する穏やかな顔つきの若い俳優たちが、刀を差しても全く武士らしい殺気を感じない。
その点、鈴木氏も指摘されているように、2010年の平山秀幸監督作品「必死剣 鳥刺し 」で、
豊川悦司さんが演じた主人公の武士は、寡黙だが目だけは異様に殺気に満ちていた。彼は、本当に時代劇にぴったりの俳優さんである。
この映画は、藤沢周平氏の「隠し剣」シリーズの同名小説が原作で、東北の某藩の権力闘争に翻弄されて、悲惨な最期を遂げた武士の半生が描かれている。後半、中老(岸部一徳さん)にそそのかされて、藩主家と対立する別家の武士(吉川晃司さん)と対決するシーンは、勧善懲悪を超越しており、その意味で現在の観客をも魅了すると思う。でも、ラストの15分間、数十人を敵に回した壮絶な殺陣を演じ切れる若手俳優が今いるだろうか。ラストの殺陣を演出した監督や
美術スタッフは、豊川さんが演じたからこそ、その実力を思う存分発揮する気力が湧いたのだと思う。
『必死剣鳥刺し』の原作を読んだとき、不思議なことに
豊川悦司さんがイメージされました。
まさにはまり役であったと思います。
藤沢作品お馴染みの海坂藩。
藩主がお気に入りの側室の言うがままになっています。
この為、民の生活は困窮し、藩政は不信を極め、側室の意に沿わぬ家臣は切腹までさせられる有様。
兼見三左エ門は、御殿でその側室を斬ります。
しかし、意外なことに斬罪ではなく一年の閉門蟄居、謹慎処分。
家禄は減らされますが、2年後に回復。
この謎が、徐々に解き明かされてゆきます。
まさに、組織の不条理。宮仕えの悲劇が待ち受けています。
太平の世を実現し、戦場での作法を日常生活に置き換え、今日に繋がる日本社会の形式が成立したのは江戸期であったと思われます。
藤沢作品の映画化では、日本独特の生活様式が実に丁寧に再現されるのが嬉しい部分です。
逃亡犯がごく普通の家族を人質にとって立てこもるという事件が実際に起き、それを元にジョセフ・ヘイズが書いた小説・戯曲を映画化したものです。数あるウィリアム・ワイラー監督の名作の中でも、これほど伏線を巧妙にはり、小道具を活用してサスペンスを盛り上げている例はまれだと思います。冒頭、家族が朝食をとっている短いシーンのあと、母親が子どもに「自転車をしまってから学校へ行きなさい」と言います。子どもは「帰ってから片づける」と、そのまま登校してしまうのですが、この「自転車が放置されている」という設定がすぐに大きな意味を持ってきます。さりげない描写が後で生きてくるので、うかうかできません。脚本と演出の呼吸が見事です。出演者もフレドリック・マーチなど一流の人たちがそ!ろっています。ハンフリー・ボガートにとって、晩年の代表作と言えるのではないでしょうか。マイケル・チミノ監督によるリメーク版とは比べものにならないくらい緻密で巧妙な映画です。