本書の主題は,諫早湾の再生であり,更にはこの国の海辺の蘇生をも考えることです.東京湾では浜辺も干潟もなきに等しい.
大阪湾,伊勢湾も同様です.何故そうなったのか,国と地方の行政の不条理がそうさせた,と著者の佐藤正典さんは言いたいのだと私は思います.著者は「底生物学」が専門の学者ですから,筆遣いは当然,底生物学から見た諫早湾になる.行政は海浜の開発と防災を第一義に据え,岸辺に堤防を次々に造って干潟を潰してきた.その結果,干潟の泥のなかにいる沢山の貝,カニ,ゴカイなどは絶滅していく.そう言えば,私は長年ハマグリを食べなくなっています.ハマグリは浜辺の栗,子どもの頃はよく食べていたのに --- .今では寿司屋にもおいていません.日本にはいなくなった? 今はまた国土強靱化計画の下に大規模な堤防が建設中ですから,海辺の生態系破壊はこれからも続きます.本書全編から聞こえてくるのはまるで浜辺絶滅のエレジーでした.
で,諫早湾です.この湾は有明海の最奧部にあり, 広さ35.5平方キロ・メートルに及ぶ日本最大の干潟をもっていました.干潮満潮の水位差も日本最大で6メートルもあった.6メートルという数字は入れ潮,引き潮で干潟が烈しくかき回され,海底の泥が表面近くに巻き上げられることを指します.これは光合成を行う藻類にとって理想的で,藻類は満遍なく光をうけ,繁殖することができます.藻類,とくに硅藻は生態系食物連鎖の土台で,小さな生き物にはこれが餌になります.陸からは窒素やリンなどの栄養素が本明川から流れ込みます.かくして諫早湾の干潟とその周辺には日本中から姿を消した多くの生物たちが生き残っていた.ハゼ科の魚,ムツゴロウはこの干潟の特産です.ところが1986年に諫早湾干拓事業が決定します.干潟に長さ7kmの潮受け堤防をつくり,海水の流入を遮断しようとする計画です.何のためか.干潟を農地に変えたいためです.工事は1989年に始まり,1997年4月に潮止めは完了しました.以後,干潟に海水の流入はなくなり,生き物たちの多くは死に絶えました.間もなく有明海に赤潮が発生し,記録的なノリの不作にもなった.広大な干潟は海水のフィルターの役割をも果たし,有明海の浄化に貢献していたのです.それでも干拓事業は継続し,2007年11月には完工します.総工費は2533億円という巨額の公共工事でした.この間にも有明海の汚染が進行し,2010年12月には福岡高裁は諫早湾の潮受け堤防の5年間開放を国に命じました.国は上告せず,確定です.国は排水門を開放して干潟への海水の流入を図らなければならない.その実施開始期限は去る2013年12月でしたが,明けて2014年1月20日現在,排水門を開けたとするニュースを私は聞きません.もし開放していないのであれば,行政は裁判を無視している.最後に本書末尾にある著者の「ささやかな願い」を紹介します.
今,もうあと一歩で,諫早湾の環境復元が実現するところまで来ています.このチャンスを逸してしまうのはあまりにももったいないことです.諫早湾の美しい干潟がよみがえり,そこでまた絶滅危惧種たちが息を吹き返し,その生態系に支えられた豊かな漁業が復活する.そのような諫早湾の未来を願わずにおれません.絶滅危惧種の立場に立つならば,返して貰いたい干潟は諫早湾だけではありません.東京湾の奧部も伊勢湾の奧部もみんな返して貰いたいところです.でもそれは多分もう無理でしょう.せめて本当に絶滅してしまう前に,有明海の奧部の生息地だけは返して欲しいのです.過去数十年間に日本中の内湾で人間が一体どれだけ沢山の干潟を奪ったかを考えるならば,このささやかな願いは,叶えられていいのではないでしょうか.
私は100%,佐藤正典さんに同意します.それにしても行政って何のためなのか.国民のための行政であるべきなのに,ベクトルは行政に向かっています.つまり行政のための行政だと諫早のケースでは思わざるを得ません.著者の「ささやかな願い」は吾らの真剣な願いです.皆さんも本書を読んで考えて下さい..