原作は読んでいないが、
宮崎あおいの好演をはじめ、
脇役や装置・照明・カメラワーク等の演出が良かった。
どん詰まりの世界観はよく出ていたと思う。
結局、日本自体が大きなムラ社会なのだろう。
ありもしない世間の
相場への無意識の憧れが、
閉塞感と疎外感を産み出して、
自他への攻撃が始まるのである。
ライブという、そんな鬱からのカタルシスも一過性のものに過ぎず、
抑圧された現実がまた始まっていく・・・。
ちまたの青春群像劇と違うのは、
決して見た後の気分は晴れないというところ。
ややおぼつかないギター・ロック・バンドだ。Vo.の秀吉の声は少し頼りなく、決してうまくなんかない。
だからこそ、「秀吉」なんて考え無しみたいなバンド名で「むだい」なんて気の利かない
タイトルにして、おまけにボンヤリメガネの男の子ルックスで歌ったのだね。
ジャケットもイノセントな少年のイラストにしちゃったんだね。
逆転マジックだ。「まだうまくないんですけどギターを抱えて歌い始めたんです、聞いてください、一生懸命歌いました」というメッセージがものすごいベクトルでリスナーの胸を打つ。くっそー、お前ら実は知能犯だな。
心に残るギター・リフや、大多数の心をつかんでしまうような必殺のサビは、まだない。だが、その片鱗は見える。「さざなみ」でシャープなカッティングとリズムによって表現される疾走感。現在の持てる力を総動員して工夫したらしい「夕の魔法」の曲展開とアレンジ変化。
これから伸びようとして今の精一杯を歌う。その未熟さ自体にこんなに魅力を感じたのは、私は初めてかもしれない。
泥の中を必死でかき回し、漸く掬い上げた輝くもの。 磯辺と小梅の間の「恋」は、そんな感じがします。始まりより、終わりを迎えようとするときの方が「純化」されているという、未熟さゆえの残酷な皮肉。この二人のシチュエーションについては、旧い人間なのでけっして良いとは思えません。ただ、矛盾を抱えたザワザワ・モヤモヤ感は恋愛に限らず、この年頃には誰もが経験するものではないかな、と思います。最後の小梅の笑顔が、そういう「季節」が過ぎていくことの象徴として描かれているようで美しく、かつ一抹の寂しさを覚えました。間違いなく、傑作だと思います。