日本選手権7連覇を成し遂げた
神戸製鋼ラグビー部黄金期の歩みを通して、平尾誠二が自身のラグビー哲学を存分に語っています。
試合開始前のじゃんけんで決まった手しか出さず、「負けても、相手がボールと風上のどちらを選択するかによって、相手のその日の戦略をひとつ推測できる」など、彼のラグビー観は独自性に富んでおり、読んでいて非常に楽しい。玉木氏の文章もテンポが良く、最後まで飽きることなく読むことができます。
思えば平尾のラグビー人生は、常にハンディキャップへの挑戦でした。神鋼以前の最強軍団新日鉄釜石に挑んだ同志社大学時代、優秀なFWとプレースキッカーに欠けていた初期神鋼時代、諸外国との体格差・経験差に立ち向った日本代表時代。彼の標榜する「個人が状況判断して塊??開する創造的ラグビー」は、不利な状況下で生まれた必然的産物といえるでしょう。
ゆえに、大学のスターがずらりと加入し、自身もチームも成熟し切った時、神鋼から創造性が失われ、8連覇の夢破れたのもまた必然的帰結だったのでしょう。サントリー戦終盤、キックを多発して試合を切ることに執心するその姿からは、本書で語るような美しいラグビー哲学のかけらも感じられませんでした。神鋼ラグビーの創造性の喪失は、実はV6の頃からその兆候が見え隠れしていました。本書にひとつ苦言を呈するとすれば、その点に触れていないことでしょう。玉木氏に限らず、日本のスポーツジャーナリストには、ある特定の選手に肩入れするきらいがあります(例えば金子達仁と中田英寿)。肩入れしすぎるあまり、その選手のあらゆる言動を肯定的観点で捉えてしまい、本質から遠ざかることがままあります。いかに魅力的な取材対象であれ、一歩距離を置いたクールな視点を保つことが、より骨太のスポーツジャーナリズムを実現するために不可欠なものではないでしょうか。神鋼の結末と本書内容とのギャップからはそう感じずにはいられません。