これは傑作。
身を削って書くタイプの作家はいろいろいるが、山本文緒は、「削り度」が最も高く、その代表選手と言える。
この作品では、主人公が次に何をやらかすか、どんな重大な隠し事をしているか、がキモである。一人称で語りながらこれをやるというのは、犯人が主人公の推理小説と同じであるから、その腕が問われる代わりに、読者の驚きも大きくなるので、効果抜群である。
まだ駆け出しといっていいこのころの山本が、これを
仕上げたのは驚嘆する。
島崎今日子のインタビューにあった、高校時代に女の子を殴ったことがある、という事実から、「やっぱり身を削っていた」と再確認した。
「恋愛中毒」でその場面を読んだときには、「体験か?想像か?」と半信半疑だったが。
ということは、これに限らず他の場面や作品においても、「体験」が形を変え、散りばめられているということだ。そういう意味では身を削った鷺沢萌や昔の林真理子よりもフィクション性が低く、実体験が生かされていると思われる作家である。
この主人公についても、山本の分身度が高いと思われるのだが、その特徴はなにより「突然キレる」である。普通に話していたかと思うと、凶暴な行動に出る。
これが山本の腕にかかると、より話が面白くなるわけだが、「突然キレる」の理由は「不器用だから」である。
「不器用」とは「交渉ができない」である。
おそらく著者本人の特徴でもあるのだろうが、他人に直接要求したり、交換条件を出したり、押したり引いたりコネを使ったりという、ネゴシエイト能力がゼロなのである。
「要求する」という行為が「正当な権利」と思えないところから、こうなる。それで、鬱屈がたまって突然キレる。
もともと「我慢に弱い」タイプの「キレる奴」なのではない。
ネゴシエイト能力の欠如は自己評価の低さによる。
そうした己の眼をそむけたい部分を逆手にとって、傑作を書いた山本は大した女だ。