大正から昭和一ケタ。いわゆるモダニズムのうわついた世相(1=大衆化)と、それへのファシズム的反発の空気(2=純粋化)をとらえた小説です。主人公が「悉皆屋」という、和服の染色仲介業というのがミソ。二種類の時代の空気を冷静に見つめられるポジション(3=媒介する芸術家)。(1)と(2)をともに批判的に見通す(3)。
第二次大戦中に、小説家のポジションを維持しながら書いていたという意味でも(3)です。「時代との距離」の取り方はたしかにおもしろい。
しかし、手代から身代を持つようになりさらに商売から芸術へと目覚める主人公は「上昇」型の典型的小説でもあります。男=論理的、女=感情的であり、女は男の成長の踏み台。
「時代との距離」=時代や女性を踏み台にして「上昇」すること。
そういう意味でも典型的な小説です。「不朽の名作」という帯などの紹介は大仰すぎやしませんか?
芦ノ湖(箱根)の外輪山にたたずむ瀟洒な別荘を舞台に物語が進行する。父が他界し、財産という財産をほとんど奪われた信濃の華族出身の女・雪(木暮実千代)。道楽三昧の養子の夫(柳永二郎)は、愛人を囲って散財をやめようとはしない。そんな夫を憎みながらも別れられない<女の性>を描いた秀作だ。
酒を含んだ口で強引に唇をすわれた雪が壁にもたれかかったその時に一輪挿しの花弁がハラリと落ちたり、本当に愛する男(上原謙)から見捨てられた雪が立寄るホテルの
テラスで、給仕の間にふと姿を消してしまう心憎い演出などが、いかにも溝口流。女を描いた作品に抜群の冴えを見せる溝口ではあるが、濃厚な濡れ場シーンはほとんどといってなく、むしろ大・小道具を利用した演出によって<女の情感>を描くのが非常に上手い映画監督だったような気がする。
得意分野である
京都・祇園をはなれ箱根・芦ノ湖を舞台にした残酷なメロドラマは、ゴテ健のスランプ期にあたる作品として位置づけられるが、日本家屋の構造を知り尽くした抜群の構図や、霧が湖上や野原を覆う耽美な映像が美しい、まぎれもない溝口ワールドを十分堪能できる一本に仕上がっている。