この作品を観ていてとにかく腹がたち、やるせない気持ちになった。それと言うのも主君の命令には絶対服従、自己主張などもってのほかの封建武家社会の理不尽さ、残酷さに苦しむ主人公たちに感情移入してしまったからだ。
その場の都合の良し悪しであらゆるルールを無視して下される命令、いわゆる上意というやつだ。この上意が曲者なのだ!こんなものにしばられて生きねばならない武家社会の悲しさ、愚かさにはなんとも言えない気持ちになってしまう。
しかし、理不尽な命令に断固拒否し我慢せず主君であろうが反抗する侍もいたはずで行動を起こすかどうかは別としても本音としてはあったは
ずである。その本音を代弁するかのように小林正樹監督は、深く掘り下げて描いていく。
抵抗むなしく家族、親友らを犠牲にし、また自らの命までも犠牲にしながら結局、なにも解決しないまま映画は終わる。力作であるがあまりにも重くつらいストーリーだけに爽快感など微塵もなく、忠義とは?武士道とは?何なのか考えさせられてしまった作品でした。
もともとは、1984年に「悪名の旗」の
タイトルで刊行された作品です。
「西の関ヶ原」なる
タイトルは焼き直しでつけられたものであり、
泉下の著者が聞いたら「当方、作品名ヲ変更シテマデノ再版ヲ望マヌモノナリ。」
と、返答されたに違いありません。
作品中の田原紹忍はまさに滝口康彦そのものと言えるでしょう。
自身の本意を知るざる者のそしりを受け、悪名のレッテルを貼られてなお、
主家再興のために自身の名誉は二の次に信ずる道を貫いた紹忍。
また、武将としての戦場での老紹忍の実力も
「これほどのお方だったか」と近習が舌を巻くほどの働きを最後の場面で見せた。
皮肉にも、そんな紹忍の真実に思いをいたしてくれていたのが、
敵将である太田飛騨守であったとは。
この作品は、著者が循環器疾患を患って入院中の病床で著されたものと聞いています。
かならずや、紹忍の姿に自身を重ねておられたことでしょう。
「
疾風に勁草を知る」
著者が書を依頼されたときにしばしばこう書いたそうです。
きっと、逆境においても、滝口康彦の真実を知り、理解してくれる人々に励まされていたのでしょうね。
それは家族であったり、友人であったり、読者であったりしたのでしょうか。
生前、その思想を誤解されたり、作品を正当に評価されなかった著者の不幸。
私自身、滝口作品のすばらしさを後世に伝える勁草でありたいと思っています。
<
疾風に勁草を知る>
困難や試練に直面したときに、はじめてその人の意思の強さや節操の堅固さ、人間としての値打ちがわかること。
強い風が吹いたときに初めて、それに負けない強い草を見分けることができることから。
『後漢書・王覇伝』に「子独り留まりて努力す、
疾風に勁草を知る」とあるのに基づく。
後漢の光武帝が初めて義兵を挙げたとき、旗色が悪くなってくると帝に従っていた者たちは逃亡していき、最後まで残ったのは王覇だけであった。
そのときに帝が王覇に言ったことば。
「切腹」を見たときの衝撃は凄かった。日本映画にも、こんな鬼気迫る演出をする監督がいたのだ、という驚きと、内容の特異な凄さ、シネスコサイズに拡がる白黒映像の芸術的素晴らしさに、ひたすら心を揺さぶられた。特に、靜と動の対比を明確にした映像の、見事な構図の美学!
あと忘れてならないのは、禁欲的とも言える、張りつめた緊張を持続させる映画に、さらなる緊張と不気味さを与える、現代音楽の気鋭、武満徹の音。いや、音楽ではなく、まさに奇抜な音である!
また、すぐれた脚本(橋本忍)があり、優れた役者(
仲代達矢)を起用したことも成功の大きな要素であることは言うまでもない。