タルホロジー
森永ミルクチョコレートを模したデザイン、厚手の紙でしつらえたデジパックに歌詞カードがノートのように綴じられたジャケットが秀逸な、あがた森魚「Taruphology」。
1972年「赤色エレジー」でデビュー以来、35周年を迎えたあがた森魚が、久保田麻琴をプロデューサーに迎え、その全面的なバックアップのもと、2007年にリリースしたアルバムです。バックを務めるのは、細野晴臣、鈴木慶一、武川雅寛など、あがた森魚を語る時にはなくてはならない凄腕のミュージシャンたち。
何でも、過去の曲をピックアップし、新曲、カバー曲なども交えて録音してみたら、あがた森魚の永遠のアイドル「稲垣足穂」の世界が現出したため、タイトルを「Taruphology」にした、とのことです。
「星を売る店」「少年愛の美学」「タルホ=コスモロジー」など、「稲垣足穂」の著作タイトルを見ているだけで、タルホの世界が、あがたの血と骨になっているような気がします。
1曲目の「東京節」は、子供の頃、親父がよく歌って聞かせてくれ、心の奥にしまいこまれていた曲。元唄は、演歌師 添田知道がアメリカの「ジョージア行進曲」に可笑しな歌詞を付け、大正時代に流行した「パイノパイノパイ」です。榎本健一(エノケン)の歌声が私の記憶にも残っており、あがた森魚のみならず、ゲストの細野晴臣、鈴木慶一もそれを意識したような歌いっぷり。
この1曲が、私にとってのキラーチューンとなり、このアルバムにスッと溶け込むことが出来ました。
ベストにも収録されている2曲目「百合コレクション」は、このアルバムでのバージョンが最も良いと思います。
他の注目曲は「ミッキーオの伝説」で特に印象に残った「骨」です。久住昌之:作詞、鈴木慶一:作曲のこの曲を聴くと、アメリカ黒人霊歌の「ドライ・ボーン」、そしてこの曲が最終回で何度も流れた、昔のテレビシリーズ「プリズナーNo.6」のことを何故か思ってしまいます。
選曲も良いし、演奏は極めて上質。不思議な少年「あがた森魚」の世界を満喫できる傑作です。
1972年「赤色エレジー」でデビュー以来、35周年を迎えたあがた森魚が、久保田麻琴をプロデューサーに迎え、その全面的なバックアップのもと、2007年にリリースしたアルバムです。バックを務めるのは、細野晴臣、鈴木慶一、武川雅寛など、あがた森魚を語る時にはなくてはならない凄腕のミュージシャンたち。
何でも、過去の曲をピックアップし、新曲、カバー曲なども交えて録音してみたら、あがた森魚の永遠のアイドル「稲垣足穂」の世界が現出したため、タイトルを「Taruphology」にした、とのことです。
「星を売る店」「少年愛の美学」「タルホ=コスモロジー」など、「稲垣足穂」の著作タイトルを見ているだけで、タルホの世界が、あがたの血と骨になっているような気がします。
1曲目の「東京節」は、子供の頃、親父がよく歌って聞かせてくれ、心の奥にしまいこまれていた曲。元唄は、演歌師 添田知道がアメリカの「ジョージア行進曲」に可笑しな歌詞を付け、大正時代に流行した「パイノパイノパイ」です。榎本健一(エノケン)の歌声が私の記憶にも残っており、あがた森魚のみならず、ゲストの細野晴臣、鈴木慶一もそれを意識したような歌いっぷり。
この1曲が、私にとってのキラーチューンとなり、このアルバムにスッと溶け込むことが出来ました。
ベストにも収録されている2曲目「百合コレクション」は、このアルバムでのバージョンが最も良いと思います。
他の注目曲は「ミッキーオの伝説」で特に印象に残った「骨」です。久住昌之:作詞、鈴木慶一:作曲のこの曲を聴くと、アメリカ黒人霊歌の「ドライ・ボーン」、そしてこの曲が最終回で何度も流れた、昔のテレビシリーズ「プリズナーNo.6」のことを何故か思ってしまいます。
選曲も良いし、演奏は極めて上質。不思議な少年「あがた森魚」の世界を満喫できる傑作です。
STAR☆CRAZY(紙ジャケット仕様)
本作発売当時はアイドル全盛の時代。歌謡ロックというべきミュージシャンが沢山デビューした時期でもあった。
ヴァージンVSは時代に媚びることなく、しかしそれでいて非常にポップなロックを作り出した。コズミック・サイクラーは、うる星やつらのエンディングテーマの別テイクで、とても軽快な隠れた名曲である。
ヴァージンVSは時代に媚びることなく、しかしそれでいて非常にポップなロックを作り出した。コズミック・サイクラーは、うる星やつらのエンディングテーマの別テイクで、とても軽快な隠れた名曲である。
人間人形時代
装丁がすごくきれいです。真ん中にパンチ穴程度の穴が空いているのですが、それをよけて全頁レイアウトしてあります。
また、パラパラマンガのように写真が頁ごとに少しづつ違っていて、本なのに映像を楽しめるというすごいアイデア満載の本です。
また、パラパラマンガのように写真が頁ごとに少しづつ違っていて、本なのに映像を楽しめるというすごいアイデア満載の本です。
COBALT TARPHONIC 音楽文庫 第1~3集
音楽による文学、といえそうな作品。
2000年から2001年に永遠製菓からリリースされた「COBALT TARPHONIC 音楽文庫第1〜3集」を一枚のCDにまとめたものだそうです。
ライオン・メリイ、BIKKEたちによる演奏は、ミニマムで、朗読中心の楽曲は、あがた森魚が内包する演劇性、文学性をよく表していると思います。
最大の聴きものは、やはり「佐藤敬子先生はザンコクな人ですけど」でしょうか?心にキラキラ星を持つ、永遠の少年、山縣 森雄くんの切ない思慕が歌われています(先生は、卒業後、一度も会う機会がないまま、2000年に亡くなられたそうです)。
小学校の音楽教室で、綺麗な先生が、オルガンを弾いている、そんな情景が目に浮かぶようなアルバムです。
2000年から2001年に永遠製菓からリリースされた「COBALT TARPHONIC 音楽文庫第1〜3集」を一枚のCDにまとめたものだそうです。
ライオン・メリイ、BIKKEたちによる演奏は、ミニマムで、朗読中心の楽曲は、あがた森魚が内包する演劇性、文学性をよく表していると思います。
最大の聴きものは、やはり「佐藤敬子先生はザンコクな人ですけど」でしょうか?心にキラキラ星を持つ、永遠の少年、山縣 森雄くんの切ない思慕が歌われています(先生は、卒業後、一度も会う機会がないまま、2000年に亡くなられたそうです)。
小学校の音楽教室で、綺麗な先生が、オルガンを弾いている、そんな情景が目に浮かぶようなアルバムです。
稲垣足穂 [ちくま日本文学016]
童話、小説(現代モノ数篇、時代モノ一篇)、日記、エセー(評論というか思想書)が収録されており、巻末の年表を見ると稲垣足穂を「体感する」にはバランス良く編まれいることが知れた。冒頭の掌編集を読んでいると、星新一を彷彿とさせるような、さりとてハリウッド製カートゥーンを見ているようなとんとん拍子なリズム感、句読点を一切排除した文体(改行を多用している訳ではない)、月と彗星に対するフェティシズムに、時代を超越した(大正や昭和初期に執筆されたとはとても思えない)奇才を思わせたが、読み進むにつれ、私小説的要素のある作品が登場する中盤あたりから、終盤の形而上的芸術論の大爆発に至っては、小生のキャパシティーを凌駕し、鬼才の文章を目で追うのが精一杯で、佐々木マキの解説に登場する若者のように「我慢して読んだけれど、意味がわからなかった」に近い我慢読み必至であった。童話や小説では迸る思いを表現するには限界があって、単刀直入にエセーで嬉々として能弁となる印象を持った。月並みだけれど、「わからないけれど、その凄みは十二分に伝わる!」みたいな。稲垣足穂が語ると20世紀が「ブレード・ランナー」みたいな近未来に思えた。小生が生を受ける前の20世紀の幾年の間は所帯染みたところはなく、非ノスタルジックな、SF世界だったのだ。ひたすらその日に見た星座を書き連ねていく日記も後から振り返ると度肝を抜かれた。つげ義春の「夢日記」以来だな、こんなにぶっ飛んだのは。