あの頃映画 「みな殺しの霊歌」 [DVD]
この映画もユーロスペースでの加藤泰特集上映会で観たが、少年が中年女にレイプされるという反社会的テーマに、佐藤允の独特な雰囲気が相まって、何やら見世物小屋で見てはいけないものを見てしまったような感覚に囚われた。特に殺害場面が凝ったカメラアングルでその特異性を露わにし、非日常性や不安を煽る。備品さえ異様に映り、それらが猟奇的な印象を濃厚にし、コントラストが効いたモノクロ映像が鮮烈な衝撃を与える。
冒頭の殺人で犯人は明白である事から、この映画は殺人捜査のサスペンスを眼目とはしていない。その分、殺害描写を克明に見せる。しかもその手口は残虐で、何をしてそこまで残忍な犯行に及ぶのか不明なのだ。5人の女とは何の接点も無い。犯行動機がレイプされた少年の代理報復としても、個人的怨恨が深くないとあの惨劇には結び付かない。終盤でようやく少年との関係性が明らかになるが、それとて友人と呼べるほどの親密な間柄ではない。名前さえ知らないのだ。
犯人も当初は自殺した16歳の少年に対し、ある種の正義感や道義的な意味合いが存在したはずである。ところが実際目にした中年女を前にしてその殺害意識が変わった。少年を死に追いやって悪びれた様子もなく、楽しんだから同罪よと言わんばかりの態度や、純粋な少年を性欲に飢えた男と同類と見做したその傲慢さにキレた。最後に殺害する女も、命乞いに男の性的本能を利用して籠絡しようとする、その姑息な卑劣さが逆鱗に触れた。人間の尊厳を踏みにじるような言動に逆上したその瞬間、道義的責任などという社会概念は吹き飛んだ。
更に女としての容姿や性格も含めた醜悪さが嫌悪感を募らせたのではないか。中年女の下種な不快感が排除へと作用した。特に菅井きんは “あんた殺されても文句言えないだろ” という暴言も正当化できるようなふてぶてしさが強烈で、女性のイメージを崩壊させる(きんサン御免ね。あくまでも役柄ですよ)。そんな女たちと対照的なのが倍賞千恵子演ずる春ちゃんの存在。以外にも尊属殺人を犯した身でありながらも、ひたむきで懸命に生きる彼女の姿に、実は少年と同じ純粋な美しさを見たのではないか。その純粋な美しさを愛おしく思う気持ちが彼なりに美意識として働き、彼女を慈しむ心情は中年女を唾棄すべき存在へと変えた。
こうしてみると殺害に至った残虐な犯行は狙ったものではなく、現実と向かい合った結果、感情的に誘発されたものであり論理や整合性では説明できない。実際の殺害現場での陰惨さも、その時の当事者の置かれた状況次第で如何様にでも変わりうる。そう思わせるようなリアルな説得力を持つこの映画は全編に渡り陰鬱なムードが漂う異色作であるが、これもまた紛れもなく加藤泰の映画なのだ。
冒頭の殺人で犯人は明白である事から、この映画は殺人捜査のサスペンスを眼目とはしていない。その分、殺害描写を克明に見せる。しかもその手口は残虐で、何をしてそこまで残忍な犯行に及ぶのか不明なのだ。5人の女とは何の接点も無い。犯行動機がレイプされた少年の代理報復としても、個人的怨恨が深くないとあの惨劇には結び付かない。終盤でようやく少年との関係性が明らかになるが、それとて友人と呼べるほどの親密な間柄ではない。名前さえ知らないのだ。
犯人も当初は自殺した16歳の少年に対し、ある種の正義感や道義的な意味合いが存在したはずである。ところが実際目にした中年女を前にしてその殺害意識が変わった。少年を死に追いやって悪びれた様子もなく、楽しんだから同罪よと言わんばかりの態度や、純粋な少年を性欲に飢えた男と同類と見做したその傲慢さにキレた。最後に殺害する女も、命乞いに男の性的本能を利用して籠絡しようとする、その姑息な卑劣さが逆鱗に触れた。人間の尊厳を踏みにじるような言動に逆上したその瞬間、道義的責任などという社会概念は吹き飛んだ。
更に女としての容姿や性格も含めた醜悪さが嫌悪感を募らせたのではないか。中年女の下種な不快感が排除へと作用した。特に菅井きんは “あんた殺されても文句言えないだろ” という暴言も正当化できるようなふてぶてしさが強烈で、女性のイメージを崩壊させる(きんサン御免ね。あくまでも役柄ですよ)。そんな女たちと対照的なのが倍賞千恵子演ずる春ちゃんの存在。以外にも尊属殺人を犯した身でありながらも、ひたむきで懸命に生きる彼女の姿に、実は少年と同じ純粋な美しさを見たのではないか。その純粋な美しさを愛おしく思う気持ちが彼なりに美意識として働き、彼女を慈しむ心情は中年女を唾棄すべき存在へと変えた。
こうしてみると殺害に至った残虐な犯行は狙ったものではなく、現実と向かい合った結果、感情的に誘発されたものであり論理や整合性では説明できない。実際の殺害現場での陰惨さも、その時の当事者の置かれた状況次第で如何様にでも変わりうる。そう思わせるようなリアルな説得力を持つこの映画は全編に渡り陰鬱なムードが漂う異色作であるが、これもまた紛れもなく加藤泰の映画なのだ。
OVA「ひぐらしのなく頃に礼」DVD 初回限定版オヤシロエディション file.05(DVD VIDEO)(特製収納ケース&描き下ろしイラストの抱き枕カバー&ブックレット同梱)
とても良い品です。
抱き枕カバーの羽入はかわいいし、DVDのお話もおもしろい。
ひぐらしファンなら購入をおすすめしますよ。
しかし抱き枕カバーだけなので、抱き枕は別で入手せねばなりません。
そこんところ覚えておきなさい。
抱き枕カバーの羽入はかわいいし、DVDのお話もおもしろい。
ひぐらしファンなら購入をおすすめしますよ。
しかし抱き枕カバーだけなので、抱き枕は別で入手せねばなりません。
そこんところ覚えておきなさい。
ケータイ刑事 銭形零 DVD-BOX II
個人的に宝積有香さんがどの話でどの役をやるのかを注目してました。
今までの監督が総出演する回があるんですが、これはヒドイですね。
やっぱタレント以外はなるべく裏方に徹するべきですね。
零ちゃんの悪夢の回は凄く笑えた。
でもやっぱり二郎さんの存在が柴田さんの存在を薄くさせてる様な・・
とは言え全体的に五代さんが帰って来て、懐かしい作品を見ている感じがして良かったです。
今までの監督が総出演する回があるんですが、これはヒドイですね。
やっぱタレント以外はなるべく裏方に徹するべきですね。
零ちゃんの悪夢の回は凄く笑えた。
でもやっぱり二郎さんの存在が柴田さんの存在を薄くさせてる様な・・
とは言え全体的に五代さんが帰って来て、懐かしい作品を見ている感じがして良かったです。
GO CINEMANIA REEL 4 スクリーミング ア ゴーゴー
昭和のカルトな雰囲気がサイコーな1枚。
表紙ジャケも、石原豪人という挿絵画家をチョイスした所がマニアック!
更に、そのポスターまでオマケで付くとは言うこと無し!
表紙ジャケも、石原豪人という挿絵画家をチョイスした所がマニアック!
更に、そのポスターまでオマケで付くとは言うこと無し!
想い出のフォーク&ニューミュージック 同窓会~あの素晴しい愛をもう一度~
「同窓会」というアルバム・タイトルに惹かれて聴いています。
同窓会が頻繁に行われる年代に差し掛かってきました。集まれば皆で合唱することもあるわけで、本アルバムのコンセプトは十分理解して聴いたつもりですが、最後まで違和感が残りました。
1969年のフォーク・ブームの最中の「風」から1984年発売の中原めいこによるディスコ・サウンドの「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。」の間に15年の歳月が流れているわけですから、これらの全ての曲群を聴いて自分達の同窓会に相応しい曲群だと思える世代はまずいません。広すぎます。
出来れば5年間くらいの幅で選曲し、収録すれば同窓会的な雰囲気は伝わってきたのですが。企画コンセプトは面白いのですが、現実とそぐわないという結果になったようです。
加藤和彦と北山 修の「あの素晴しい愛をもう一度」はある意味、フォーク世代の一番の愛唱歌と言える曲ですので、それが冒頭を飾るのは理解しています。
本アルバムのリーフレットには、富澤一誠氏の選曲と解説が施してあり、この「あの素晴しい愛をもう一度」は1971年4月のリリースとのこと。フォーク・ブームの中、この曲は実に多くの人々に愛されたのは言うまでもありません。
2曲目の赤い鳥「翼をください」も1971年2月5日にリリースされ、3曲目のはしだのりひことシューベルツの「風」は、1969年1月リリースですから、学園紛争真っ只中に歌われた曲です。
解説でも「『風』は学園闘争に敗れ、挫折し疲れはてた若者たちの心の中を吹き抜けました。」と書いています。その捉え方は必ずしも正しいとは思いませんが、プロテスト・ソング的なフォークの曲とは一線を画した曲作りが新鮮でした。
はしだのりひこは、フォーク・クルセダーズ解散の翌1969年に杉田二郎も参加したシューベルツを結成し、この「風」で再び音楽シーンに踊り出てきました。北山修作詞、はしだのりひこ作曲というコンビの生んだ永遠の名曲です。2番の歌詞♪プラタナスの枯葉舞う冬の道で プラタナスの散る音に振り返る♪と歌っていたベースの井上博は、スマートでルックスも良かったのですが、翌年不幸にも腎臓病で亡くなられました。その夭折の翌月にシューベルツは解散しています。京都の街路樹であったプラタナスの描写は当時京都で学生時代を過ごした人には懐かしい風景のはずです。その意味では本アルバム・コンセプトの「同窓会」に相応しい曲かもしれません。
同窓会が頻繁に行われる年代に差し掛かってきました。集まれば皆で合唱することもあるわけで、本アルバムのコンセプトは十分理解して聴いたつもりですが、最後まで違和感が残りました。
1969年のフォーク・ブームの最中の「風」から1984年発売の中原めいこによるディスコ・サウンドの「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。」の間に15年の歳月が流れているわけですから、これらの全ての曲群を聴いて自分達の同窓会に相応しい曲群だと思える世代はまずいません。広すぎます。
出来れば5年間くらいの幅で選曲し、収録すれば同窓会的な雰囲気は伝わってきたのですが。企画コンセプトは面白いのですが、現実とそぐわないという結果になったようです。
加藤和彦と北山 修の「あの素晴しい愛をもう一度」はある意味、フォーク世代の一番の愛唱歌と言える曲ですので、それが冒頭を飾るのは理解しています。
本アルバムのリーフレットには、富澤一誠氏の選曲と解説が施してあり、この「あの素晴しい愛をもう一度」は1971年4月のリリースとのこと。フォーク・ブームの中、この曲は実に多くの人々に愛されたのは言うまでもありません。
2曲目の赤い鳥「翼をください」も1971年2月5日にリリースされ、3曲目のはしだのりひことシューベルツの「風」は、1969年1月リリースですから、学園紛争真っ只中に歌われた曲です。
解説でも「『風』は学園闘争に敗れ、挫折し疲れはてた若者たちの心の中を吹き抜けました。」と書いています。その捉え方は必ずしも正しいとは思いませんが、プロテスト・ソング的なフォークの曲とは一線を画した曲作りが新鮮でした。
はしだのりひこは、フォーク・クルセダーズ解散の翌1969年に杉田二郎も参加したシューベルツを結成し、この「風」で再び音楽シーンに踊り出てきました。北山修作詞、はしだのりひこ作曲というコンビの生んだ永遠の名曲です。2番の歌詞♪プラタナスの枯葉舞う冬の道で プラタナスの散る音に振り返る♪と歌っていたベースの井上博は、スマートでルックスも良かったのですが、翌年不幸にも腎臓病で亡くなられました。その夭折の翌月にシューベルツは解散しています。京都の街路樹であったプラタナスの描写は当時京都で学生時代を過ごした人には懐かしい風景のはずです。その意味では本アルバム・コンセプトの「同窓会」に相応しい曲かもしれません。