先日リサイクルショップで売っていたので、つい懐かしさのあまり購入してしまいました。
当時は、ゲームセンターのゲームがどんどんファミコンに移植されましたが、ほとんどのゲームがゲームセンター版とかけはなれた出来でした。それはファミコンの性能がゆえ仕方ないのですが、「あのゲームが家で遊べる!!」という期待を相当な確率で裏切られ続けてきました(笑)。
このドラゴンスピリットも、ゲームセンターで人気を博し、そしてPCエンジンに移植されました。PCエンジンのドラスピはやはり容量の制約からカットされた部分もありましたが、それでも非常にすばらしい移植で、「これを家で遊べれば十分!」という出来でした。
そして、しばらくして発売された「ファミコン版」。なんだかサブ
タイトルに「新たなる伝説」なるものがついていて、当時の自分は、すぐに「あぁ、アーケード版とは違うんだな、、、」とがっかりしたおぼえがあります。
しかし、、、プレーしてびっくり!!!アーケード版(PCエンジン版も同じ)の最終ステージからストーリーが始まるのですが、
最終ステージの音楽、そしてザウエル(ボス)のBGMともに渾身!ともいえるくらいすばらしいものでした。
その後は、アーケード版のステージを基本とした構成になり、BGMもオープニングで力を出し切ったか!?と思うくらいになりますが(とはいっても当時のファミコンにしては十分すばらしい楽曲でした)、ゲーム本編はグラフィックこそファミコンレベルですが、ゲーム内容は多機種と遜色なく、かつファミコン版だけのアレンジ(ステージ間でライフが回復したり)もあり、難易度も易しめになっています。
今遊ぶと、当時のこのゲームを作った方たちの工夫、努力がすごく伝わってきました。
昔遊んで余裕でクリアできたゲームを今遊ぶと1面や2面で終わってしまいますが、このゲームは25年後の今でも5面まで行けました。
思い出補完も当然ありますが、今遊んでも楽しかったです。
ビデオゲームグラフィティのシリーズはこういうジャンルって事もあって早々に見なくなってしまう
物が多い中、長々とレコード屋さんに並んでいた(=増産されていた)名盤です。
また、1980年代のFM音源全盛期を知る上でも重要度の高いアルバム。
嫁や彼女の手を振り払ってでも買うべき1枚です。
1.ドラゴンスピリット(作曲:細江慎治)
この頃のFM音源曲の中でも5本の指に入りそうな程、人気度抜群の曲です。
FM音源の良さ、独特の音を存分に活かした「いかにもFM音源」という楽曲。
オープニングからエンディング、ネームエントリー、未使用曲と全てが堪能できますが、残念
ながら1トラックになってしまっているので編集してトラック分割して聴く事をオススメします。
2.トイポップ(作曲:小沢純子)
かわいく、ポップで、楽しい、古き良き時代のナムコサウンドです。
メドレーでゲームスタートからゲームオーバー、ネームエントリーまで全て入ってます。
後半、ゲーム中の効果音も入っていますがあまり気になりません。
むしろゲームサウンドである事を思い出させ、場面を思い浮かべる助けとなり良い感じです。
3.ブレイザー(作曲:桜井誠一)
結構地味というかマニアックな存在のゲームですが、曲も渋い感じです。
ゲームOPで味方が一気に倒され、独立行軍を余儀なくされる展開なので孤独と緊張感、不安感
を演出する音楽になっています。
4.ワンダーモモ(作曲・作詞:弓達公雄、編曲:米光亮 )
歌付きのアレンジバージョンです。これは必聴です!
変身前のモモと変身後のワンダーモモの代わりばえも楽しめ、最後のデュエット部分は
感涙ものです。
ある意味、このアルバムの目玉かもしれません。
5.サンダーセプター(作曲:中潟憲雄、編曲:米光亮)
これもアレンジバージョンです。
めちゃくちゃカッコイイ曲で、僕はこれを生で聴きたくてゲームをしました。
6.
妖怪道中記(作曲:川田宏行、編曲:米光亮)
元々和風のゲームですが、生音和楽器なアレンジに仕上がってます。
出来が良いので移植作で使ってもらいたい程です。
オマケにブックレットにはドラゴンスピリット1面の楽譜も収録です。
個人的には穴はブレイザーくらいです。(やった事が少ないし)
でもドラゴンスピリットだけでもCD3枚分くらいの価値はあるので、誰にでも薦めたいアルバムです。
時空を超えていけるという方が書かれたというので興味を持って読みました。やはり幼少のころから不思議経験をされていたということでそういう素質があったんですね。また小学1年生の時に朝顔の発芽観察の授業で「そういうのじゃなくて、朝顔が地球で最初にどうやってできたが、どういう状態で朝顔が始まったかを知りたい」と直訴して先生にひどく怒られたというエピソードからも霊的にすでに成熟の域に達していることが伺えます。地球や宇宙という神秘、存在や生命の神秘への感性がすごくて、これだけの質問が出来る子供ってなかなかいないと思います。先生がひどく叱ったというのはかなり解せないです。そのあと種を植えたふりをして「わざと芽が出ない状況をつくった」のに、なんと朝顔が生えてしまったという。著者は「植物の中にはそうやって何もないところから咲くものもあるんだ」と理解します。雑草でも試してみたそうです。ただ、今これを書きながら、朝顔の種は、蒔いていないことに気づいただれか(子供もしくは先生)がご親切にこっそり埋めたのかもしれないし、偶然ほかの子供のが混じってしまったのかもしれないし、雑草の種は小さすぎて完璧に選別するのは難しいだろうし、なにぶんにも小さい子供の側からの記憶なので果たして真実なのだろうか?という問いも浮かびます。が、それにしても種のテレポーテーションを連想させるこの話は、その後の著者の体験そのものを暗示しているようなエピソードには間違いないと思います。その他にも類似の記述がいくつかあります。
そう考えると、今生で時空を超えるという体験をするのも、ある意味運命的なものがあると思いました。こういう方々というのは、やはり前世からの積み重ねが極まって、あともう一歩という段階で生まれてくるのでしょうか。そんな気がします。
宇宙人と遭遇したり伝説の聖者と会ったりしたかと思うと、古代日本のカタカムナ文献の平十字さんや古代の身体感覚の話があったり、とても面白いです。
これを読んでも時空を超えたりなどは出来ませんが、古代の身体感覚を取り戻してみたい、もっとゆるんで生きてもいいのかな〜と思えました。広い世の中こういう人がいるんですねえ。ババジや平さんとの交流がいい感じで伝わってきます。