今巻のヒロインは眼鏡っ娘でした。
みためは一昔前の優等生委員長、
中身は育ちのいいお嬢様系、
キャラクターはちゃんと立っていましたが、
思ったより影が薄かったのは、彼女の父親役の
尺八郎のせいでしょう。
相変わらず読み易い文体と
安定したストーリー展開にぶれないキャラ、
それに個人的には三巻に出てこなかった
猫耳真央ちゃんが登場したのが嬉しかったかと。
ただ、だいぶイロモノに近い扱いに
なっていたのが気がかりですが…。
尺八郎は、愛すべきホモオヤジですが、
たまとの離別の原因と、その後の行動が
ちょっと違和感を感じるというか、
まあコメディだと考えればいいのでしょうけれど、
正直それってちょっとどうなのと思ってしまいました。
なので‐1で星4つです。
著者は元
外科医で数多くの延命治療に携わった経歴を持ち、その治療に疑問を抱いてメスを置き、在宅緩和ケアの医師として看取り医療を実践している。
おそらくほとんどの人が在宅緩和ケアという言葉も良く知らないであろう。
外科医時代に行ってきた(当時は良い治療だと信じて疑わなかった)数多くの延命治療に対する後悔を示し、在宅緩和ケアの医師となった今との考え方の違いを平易な文で解りやすく解説してくれている。
「病院の医師は治療を受けた患者さんがどうなったかは知っていても、治療を受けなかった人や治療をやめた人がどうなったかは知らない」のだと初めて聞いてなるほどと考えさせられた。病院の医師は病気を治す事を第一に考えているし、それ自体は悪いことではないが、患者さんの希望とずれている場合に不幸な結果をもたらす場合があることを我々も知っていた方が良いと気付かされる。
「チューブにつながれながら死を待つのではなく、治療をやめて自分らしく生きてほしい」なんて言う医師が世の中にどれだけいるのだろうか?
「死を認めれば、死は苦しくなく、むしろ少し長く生きられる。死を認めなければ、死は苦しく、命は短くなる。」との一文に著者の言いたいことが込められているように思う。
自分の親類や親の死のみならず、自分の死についても考えさせられた。自分だったらどのように死にたいかを良く考えて、自分の親や友人、自分の死に直面した時に思い出したい事がいっぱい詰まった1冊である。