調査のため
ソラリスの
宇宙ステーションへとやってきたクリスの前に、10年前夫婦喧嘩の末に自殺した妻のハリーが突然現れる。
ソラリスの海はどうやら人間の意識の一部を選んで物質化させてしまうらしい。記憶が不完全なハリーの複製は「私、自分のことが何一つ分からないの」と、クリスに悲しみを訴える。
宇宙ステーションという逃げ場のない閉ざされた空間で、自己の罪悪感、道徳心との対峙を促される内省的なSFドラマ。複製を愛してしまう主人公の苦渋もいいが、やはり心をとらえるのは自身が複製であることに対する自覚が深まり、静かに流れ落ちていくハリーの涙の切なさだ。『ブレードランナー』にも継がれたこの感情が、とても憐れで美しい。
スコープサイズでの収録。タルコフスキーの超俗的な観念がゆっくりひたひたとオーディエンスの心理に染み込んでくるような柔和な画像。粒子感は強めだが、デジタル調のつるつるした画が嫌いな方にとってはこれもまた味わいの一つだろう。浮き気味のコントラストは機器の調整で黒側へ沈めてやると何とかなるはず。HDらしい解像感はあるが、高画質というよりは好画質といった印象。音ではスコアや効果音が語りすぎる映画ではないため台詞に強い存在感がある。古びてはいるが声の表情が生々しい。
封入リーフレットはテキストのある部分が6ページ。特典映像は字幕付きで、ハリー役のナターリヤ・ボンダルチュクと、撮影のワジーム・ユーソフへのインタビューを収録。時間は32分+34分。どちらのインタビューも特典にありがちな賞讃などではなく、タルコフスキーや本作についての興味深い話しとなっている。とくにボンダルチュクの内容がよい。
20世紀のSFの最高傑作の1つにあげられているこの作品ですが、私には、やはり難解でした。読後の雰囲気は、アーサー=C=クラークの「2001年宇宙の旅」を初めて読んだ時や映画で見た時、ブレードランナーを初めて映画で見た時に似ている感じです。
なんとなく惹かれるけど、よくわからない不思議な雰囲気...
この小説の主題は、「異なる生命体とのコンタクト」。そのコンタクトは、必ずしも、人間が理解できるものであるとは限らない... ということが主題のようです。(解説によれば)
でも読んでみて、やはりドキドキして、早く次の展開が知りたいと思ったのは、些細なことで喧嘩別れした恋人が直後に自殺したという主人公の心の闇を惑星
ソラリスの「海」が感知して、なんとかつての恋人のコピーを作り出してよこす部分です。
主人公は、恋人の自殺にショックを受け、なぜ些細なことで喧嘩別れしてしまったのか、ずっと悔いてきました。ただ、突如現れたコピーにどう接していいか、悩みます。彼女は、主人公の恋人であるということ以外は、何も覚えていないのですが、やがて彼女自身も自分が人間ではないことに気がつきます。
主人公が、彼女を地球に連れて帰ろうと決意した時、哀しくも愛おしい形で物語が終了します。
人間ではないことに気がついた彼女が見せた、人間らしい愛。
読後感としては、これに惹かれるのです。作者は、このような読み方はあまり好んでいないそうですが...
ジョージ=クルーニー主演の映画も見てみようかなと思いました。映画「
ソラリス」は愛の物語にしぼって描いているらしく、私の感覚に合っていそうです。
2001年宇宙の旅に並ぶ、SF映画の金字塔だ。
タルコフスキーはやはり凄いんです。
音楽ないのがいい。
宇宙空間はいたって静寂。
ソラリスが語り掛けてくる謎は、まるで
スフィンクスの謎のようだ。
タルコフスキーはいつも哲学的で深い。
そして、人の愚かさと、そんな脆弱さを包む深い洞察。
ヴィスコンティなら愛で包むが、タルコフスキーは知性で包む。
芸術家と哲学者の違いがあるが、やはり2人とも巨匠だろう。
30年近く前に読んだ名作。
当時ではこの作品、斬新かつ前衛的で、イメージが頭の中に溢れかえる新しいSFでしたが、今や堂々の古典作品であす。
地球に住む我々以外の命や知性を考えるとき、それまでのSFは地球に捕らわれた発想が主でしたが、作者は異なる存在を創造し、後々に大きな足跡を残したと私は思います。
最近公開されたジョージ・クルーニー主演の「
ソラリス」は残念ながらレムの著書のテイストを充分には描くことができなかった。
やはり、読者一人一人が、活字を通じて
ソラリスへ旅する必要があると確信します。
私は、
ソラリスを抜きにSFを語ることはできません。