1976年からスタートした『ロッキー』シリーズの影響を受けているところはあるが、『レイジング・ブル』は流石にシリーズ化はしなかったね。
試合のできはそれほど迫力はなかったけど、あれだけ流血するシーンはカラーでは撮れないね。この辺は白黒だからできるところだ。
ジョ・ぺシとデ・ニーロの初共演作であるが、2人の度迫力の会話シーンはかなり暴力的で子供には見せたくないところだ。また、女性に対するDVが非常に気になる作品でもあった。
全体的には、
ニューヨーク出身の役者を多く起用し、
イタリア系アメリカイズムがプンプン匂ってくるデ・ニーロ独特の仕上がりになっている。音楽もシナトラ、キング・コール、エラ・フィッツジェラルドなどが歌う多くの名曲がその時代を盛り上げていて良かった。
この映画は『ロッキー』の原点そのもの。
ロバート・デ・ニロ の若い肉体が見える。
ロバート・デ・ニロのファンは必見。
アメリカにおける
イタリア人の居住地は、豊かではない。そこで生活している主人公、彼はチャンピオンをめざす。だが、ボクシングをとりしきり、時に八百長を強要する親分衆がいる。
ボクシング場面は、白黒、ドキュメント
タッチで生々しい。
妻への嫉妬妄想に苦しむチャンピオンは痛々しい。チャンピオンをおりた主人公は異なる世界で生きていく。
やせたり、太ったり、役者というのはこんなに肉体を酷使する仕事かとあらためて感動。
主人公は真面目な生活をいとなみ、ストイックな生き方をしている。
イタリア人で現実に生きている主人公を敬愛してしまう。
1940-50年代に活躍した実在のプロボクサー、ジェイク・ラモッタのボクサー時代から引退後の生活をラモッタの自伝を下に映画化したもの。ラモッタは1921年生まれで現在も存命で、ボクサー時代の映像はいくつか白黒で残っている。この映画は白黒で撮影されたが、当時の雰囲気を出すのには成功している。ラモッタを演じたデ・ニーロの
体重の増減は有名だが、実在のラモッタのボクサー時代の体型と比べても遜色がないことがわかる。絶賛されている映画ではあるが以下のように多少の問題もあり、鑑賞は中学生以上からということになる。まず、映画の冒頭で妻帯者のラモッタは、15歳の少女(将来の妻)と関係を持つようになるが、これは現在のアメリカの法律では犯罪となる。また、会話は終始、汚い
英語が話されている。リアルなボクシングシーンとして喧伝されているが、アップとスローモーションと血糊を必要以上に使って、実際のボクシングの試合より、より凄惨なイメージにしている。この映画にあるような顔のアップや超スローモーションはスポーツ中継ではない。映画に描かれている伝説のチャンピョンのシュガー・レイ・ロビンソンとの最後の対戦は全試合経過の映像が残っているが、実際の試合は、“セントバレンタインデーの虐殺“と名前がついているものの、この映画に描かれているほど凄惨な試合ではない。試合は、前半はロビンソンの、中盤はラモッタの反撃が見られ、攻守の入れ替わる好試合で、名ボクサーのロビンソンと互角の勝負をしたラモッタには、自ずとボクサーとしての尊敬が生まれる内容。これに比較し、映画では、(実際は、スマートで華麗なファイトの)ロビンソンは悪魔のような形相で、ロレッタのファイトも陰惨な暴力にしか見えない。映画にでてくるラモッタの八百長は事実であるが、ロビンソンはマフィアとの関係を断っていた名チャンピョン。ボクシングのイメージということでは、マイナスとなる映画。