被災地に4回ボランテアで行きましたので聴くたびに胸に響きます。
イラストと詩という、ちょっと変わったスタイルの作品です。ストーリー漫画をイメージして買うと、確かにあれ?って感じ。 でも主人公のニワトリ君が奥さんを探してるというのは一貫してるので物語は感じます。 震災ですが悲しみや苦しみの感情を強く押し出すわけではなく時にギャグや皮肉も挟みながら、それでも優しさにあふれた視点は他の人にはないこうの史代さんならではのものだと思います。 辛くても日常を生きなければならない、でもふと愛しい人を思い出す。震災後の被災地のある意味リアルな姿に思えました。
60年前、父の家は、広島のほぼ爆心地にあった。 祖父や伯父がどのように死んだか 父や祖母が原爆症でどんな状態になったか、 幼いころから聞いている。 資料館には何度も行ったし、本も山ほど読んだ。
でも、やっぱ分らないんだよね。 赤むけになり、ふくれあがって死んだであろう祖父が、 どんなに苦しかったろうとか。 原爆症で尻から血を流しながら、台風の雨にうたれた父が、 どれほど大変だったろうとか。 想像はするけど、分らない。
一番身近な人間である父の、決定的な何かを、 決して理解できない、もどかしさと寂しさ。 どうにも居心地の悪い苛立たしさ。 そして、生き抜いて私を作ってくれた父を誇りに思う気持ち。 そんなものがないまぜになってる。
そんな私の気持ちは、みんな、この漫画にあった気がする。 原爆にずっと感じてきた距離感と、それでも分りたいという気持ちが この漫画には凝縮されている。 ヒロシマを知らない私たちのヒロシマを、 形にしてくれたような気がする。
子どもが小さかった頃、毎晩寝る前に本を読んだ。子どもが選び、一緒に布団に入って読む。大抵は途中で眠ってしまい、私はそっと布団を出る。寒い日は小さな足が冷たかったから、私の横腹に押し当てて暖めた。
一番のお気に入りは北田卓史「ちちんぷいのぷい」(金の星社: 絶版?)だった。
「けんちゃん、見て。いいものがあるよ」 「誰のだろう」 「ここに何か書いてあるよ」
拾ったのは、絵にひと吹きすると本物になるスプレーだった。但し8時間経つと消える。これを使って、けんちゃんと友達のイヌとが一泊二日の冒険をするお話。一時期、この本ばかりを毎日読んだ。
「しろくまちゃんのほっとけーき」では、私が作者名を読もうとすると必ず大声で「ダメー!」と言う。それが楽しかった。「こんとあき」ほか、林明子さんの本は、絵が上品で可愛くてどれも好きだった。「おさるのジョージ」は、読む立場からは長かったなあ。「だるまちゃんとてんぐちゃん」、これは「だるちゃんてんちゃん」の通称で今でも通る。数年前、二人(?)のぬいぐるみを、私は自分のために買ってきた。あの頃の、小さかった子どもの思い出に、である。
こうの史代さんの四コマまんがを読みたくて買った本である。なぜ主人公が「ときこ」さんなんだろう、と思って表紙を眺めていたら、そうか、『あの「ときこ」の「本」』なんだ、と気付いた。ときこさん。本好きでのんびり屋の素敵な女子高生。コミカルで少しシュールな、しかし心暖まるいつもながらの「こうのワールド」だ。一方、エッセイは予想通り玉石混淆。子どもの心を失ってしまった、才走った大人の屁理屈もある。それが絵本作家の文章だったりすると、そういえばこの人の本、子どもは見向きもしなかったなあ、と思い出す。でも何度か、私の目は涙で曇った。もう、子どもに本を読むことはない。
たくさんの絵本に出会い、子どもと時間を共有した。あれは、かけがえのない時間だったのだ。
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