<窓>をめぐる小品集である。
エッセーのようでもあり、掌篇小説のようでもあり、ちょっとした考察のようでもある……いっぷう変わった味わいのある本だ。
タイトル「戸惑う窓」には、「とマドうマド」と、「窓」がふたつ、のぞいている。
窓は部屋の内側に属しているのか、それとも外へ通じるものなのか――著者もさまざまな考察を加えているが、じっさい、窓とは不思議な<装置>ではないか。
映画や絵画、写真や小説、エッセーや詩……などを素材にして、いろいろな<窓の物語>25篇が編まれているが、わたしが興味深かったのは、やはり著者自身の体験が語られている箇所であった。
・ヨーロッパの旧市街の狭い小路で、窓に押しつぶされるような感じを受けた……という1篇(「胸をかきむしるほど透明な窓」)
・メグレ警部シリーズの作者が、なぜ「シメノン」と表記されたのか……頭をひねりながら、「シムノン」の作品『イール氏の婚約』に出てくる窓を語った1篇(「闇だけが広がっていた」)
・数年ぶりに訪れた
パリのホテルの窓の外の風景が妙に歪んで見えたことを伝える、違和感に充ちた1篇(「エスカルゴの臭う部屋」)
さまざまな<窓>を前にして、どこか不安定に揺れ動く著者の感性が全篇にわたって広がっている……。
そうして語られる「とマドい」が本書の魅力だといえよう。
そういえば――著者は引いていないが――安部公房に「魔法のチョーク」という短篇があった。
貧しい画家が、壁に赤いチョークで窓を描くと窓ができあがるが、世界は真っ暗だ。
窓だけ描いても、だめなのだ。
外の景色も描かなければ、窓は窓にならないのである……。
その意味では、窓とは、自分で新しい世界を築く機縁となる、そんな<装置>なのかもしれない。
堀江氏の作品は初めて読みました。『熊の敷石』という本を前から見ていて、変な題名だなあと思っていました。『雪沼とその周辺』という題名も、まるで何かの
調査書の題目か、でなければ、エッセイを思わせますね。ところが、内容はすごくいいんです。まあ個人的な好みの問題かもしれないけど、連作短編の形で6編の話が互いにゆるく繋がりあいながら、進んでいきます。雪沼という山あいの小さな町に暮らす人々とそこで起こる静かな出来事。でも暗くはない。懐かしいような、何か臭いというか香りがする感じ。古くもない。人々の、息遣いが感じられて、ほっとする。好きなのは「スタンス・ドット」の閉店することになった
ボーリング場の主人の話と、「イラクサの庭」の女主人と、最後の「緩斜面」。特に、「緩斜面」でたこを飛ばして遊ぶ場面で、「イラクサの庭」にでてくる
フランス料理屋が下の方に見えたりするところは、映像が目に浮かぶようで、雰囲気たっぷりです。読了後は感嘆のため息でした。
堀江氏は、じつに繊細な感性をもっている。
日常のなにげない出来事や、ふと触れたモノに目を止め、そしてそこから意外な<気づき>をつむぎだしてゆく。
そうした<目>は、処女作『郊外へ』(白水Uブックス)から一貫している。
「婦人公論」に連載され、そして読売文学賞を受賞した本書は、モノに触発されたエッセー集『もののはずみ』(角川文庫)と一脈通じ、いろいろなモノが登場して、それに沿って著者の思考が延びてゆく。
電波の強弱を示す波型の<オシロスコープ>、本書を読むまですっかり忘れていた<地球独楽>、著者をつまずかせる<階段>、そのなかに苦いクスリを包んで'まされた<オブラート>、男性用のものにはポケットがついている<
パジャマ>の不思議、よほど注意しないと気づかない上昇気流を生み出す<焚き火>……。
ふだん目にしているのだけれど、スッとその前を通りすぎてしまう出来事・事物に視線を止め、記憶を甦らせたり、連想の翼をひろげたりしてゆく堀江氏のペンは自由自在だ。
任意の一例:「野帳友の会」(54〜57ページ)
街なかで手帳を取り出し、なにかをメモしている人を見かけると、堀江氏は《心底うらやましく思う》。
同じことを実践しようとしたこともあるが、なかなかうまくいかなかったからだ。
そんなある日、土地の測量をしている人が、立ったまま《細長い手帳になにやら書き込んでいる》。
《艶のある固そうな緑色の表紙で、しかも薄い。手のなかでとても安定しているような雰囲気だ》。
そこで、《思い切って声をかけると、そんなこときかれたのははじめてだ》といいながら、教えてくれたのは、それが<野帳>だということ。
《LEVEL BOOKと金文字の打たれた、コクヨのセ−Y1番》。
《正式には測量野帳。つまり、フィールドノート》だ。
《頭のなかを再測量し、言葉のレベルを測るために、私は測量野帳を、店頭にあるだけ買い占めることにした》。
――現代版の『徒然草』を読んでいるようでもあれば、上質の
フランスふうコント(小噺)に接しているようでもあり、けっして陰惨ではない<私小説>の世界に浸っているようでもあり……その趣きは『雪沼とその周辺』や『河岸忘日抄』(ともに
新潮文庫)に通底している。
ただし、「婦人公論」の連載エッセーと、軽く見てはならない。
かなり骨のある文章だから、読み応えがあります。