シリーズ前半は、『さて、これからどうなる!』という期待が持てる展開だったが、わたしくしの頭がついていけなかったのか、後半は『ふ〜ん?』、という展開だった。ただし、まだ一度しか鑑賞していないうえの講評なので、何度もリピートして観れば、気づきがあると思う。
久々に当たりの漫画に巡り合いました。
童夢、AKIRAのペン
タッチ、アクション、そして滑り降りていくような心地いいテンポを味わうことができました。
読んでない方、是非。
無差別犯罪、模倣犯、中学生による覚醒剤使用など現代の社会問題を盛り込んだホラー。精神的な恐怖を感じるしくみ。ただあまりにもいろいろ盛り込みすぎて「んなあほな・・・」な部分もあり。しかし隣人が犯罪者かも、という現代においてあり得るかもしれない設定だけに面白みはありました。
今敏監督がお亡くなりになってちょうど1年めの8月24日に、今まで待ち望んでいたこの作品のBD-Boxがリリースされるのは、人生の幕を美しく華々しく引いてしまった監督のカーテンコールのようでもあり、タイミングを考えつくしてこの世に残した置き土産のようでもあり、また熱いものが胸に込み上げてきます。
あらかじめ用意されたお別れの挨拶を公式ブログでアップロードする前、今監督が
ツイッターに残した生前最後の言葉は、古さや古い価値観への憧れに関するものでした。自分は、偶然今監督が亡くなる数日前に今監督が呟いていらっしゃることを知ってフォローしていたのですが、遺言とは別に「古さ」に言及してブツ切りのように遺されたこの言葉はそれ以来ずっと気にかかっています。過ぎ去ってしまったもの、遠い昔に置き忘れてしまったもの、そういう過去にとらわれていては人間は前に進めないと良く言われていますが、今監督は本作品で、少年バット事件を追跡しているうちに自身の過去の迷路に迷い込んでしまった猪狩刑事に仮託して、それでもその過去にも「自分はいた」のであり、自分の過去を否定し捨て去ることは出来ないということを、ひょっとしたら語りたかったのはないかと、
ツイッターの最後の言葉からはそんなことを考えさせられました。過去の肯定、自分が自分であることを受け入れること、それが今監督の『パーフェクト ブルー』から遺作の『パプリカ』を越えて、最後のご挨拶に至るまで一貫して送られていたメッセージだったような気がします。本作品は、たぶんそのメッセージをテレビアニメという形で多彩な人物に仮託して描いているわけですが、その底に据えられたメッセージはさまざまなギミックを施した『パプリカ』や『東京ゴッドファーザーズ』よりもストレートに訴えられているように感じられました。
今年の夏は、回顧展や東京国立近代
美術館フィルムセンターで『パーフェクト ブルー』が上映されるなど、一周忌に相応しい盛り上がりを見せています。でも、できればもうひと押しして今監督が死の直前まで情熱を注いでいた『夢みる機械』も何とか日の目を見てほしいものです。未完成でも良いから、今監督の最後の情熱、最後の足跡を見ておきたいというのは、ファンの勝手なわがままかも知れませんが、いつか今監督の正真正銘の最後の作品が見られる日が来ることを願っています。