夫婦善哉 (新潮文庫)
大阪は道修町の化粧品問屋の跡取り息子「維康柳吉」は三十一歳の妻子持ち。お人よしのボンボンだが、金さえあれば飲んでまわる放蕩息子だった。 一方、曾根崎新地の芸者「蝶子」は小学校を出ると、あちこち女中奉公に出て、十七歳の時、自分で希望して芸者になった。陽気で声自慢、座持ちがうまかったので、たちまち売れっ子になった。その蝶子が柳吉にぞっこん惚れた。惚れた身には柳吉のどもるしやべり方にも誠実さを感じた。勘当になった柳吉を 蝶子はヤトナ(芸も見せる出張仲居)までして、二人の生活をささえたが、柳吉は安カフェーへ出かけて、女給を口説いたりする始末だった。 作者が「大阪の市井という魂の故郷を再発見しよう」と意気ごんで書いたこの作品は、大阪下町の男女を通して、大阪人の生活感覚をユーモラスに描いているが、単なる風俗小税ではない。 暗い時代背景の中で、しっかり者の蝶子とだらしない柳吉のコントラストがかもす雰囲気が秀逸。 織田作之助は五人姉弟で、姉が三人、妹が一人いた。この「夫婦善哉」のモデルは、次姉と、その夫だと言われている。長姉の竹中たつは、作之助が世に出るまで、夫婦仲が険悪になるほど物質的援助を惜しまなかった。 「夫婦善哉」」は昭和三十年東宝で映画化されている。
夫婦善哉 [DVD]
欲得抜きで惚れた男に尽くす女、男が女に対して描くある種の理想形態である。
多くの場合幻想に終わるけれど、、、。
それを具現した元祖無頼派、織田作之助原作の同名小説を映画化したものだ。
「昭和七年頃」という字幕で始まるこの映画、男に尽くすことを生きがいにした女の物語、おそらく現代においては成立し得ない男女関係が徹底した男側の目線から描かれる。
大阪船場の老舗化粧品店の長男、いわゆる「ええ氏のボンボン」柳吉は妻子ある身でありながら芸者蝶子といい仲になり、熱海に駆け落ちする。
地震にあってほうほうの体で大阪に逃げ帰るが親からは勘当されてしまう。
惚れた男に不自由な思いをさせまいと水商売に戻り必死で働く蝶子だったが、彼女の思いを知ってか知らずか散財を繰り返す柳吉に愛想を尽かしとうとう家を追い出してしまう。
しかし行くあてとてなく、結局は蝶子のもとに舞い戻ってくる柳吉であった。
蝶子を愛しているのだが滅多にそれを口にしない柳吉。
柳吉の父の死、葬式への参列を巡り蝶子の立場をおもんばかろうとしない彼の態度に絶望し、ついに蝶子は自殺を図る。
森繁がほんとに巧い。
痛む体をさすってくれと子供のようにダダをこねたり、「(色町で)遊んでおいで」と蝶子に言われ、「ほんまにええか?」と蝶子の顔をうかがいながらいそいそと支度を始める様子など、巧いとしか言いようが無い。
「芸者あがり」の蝶子、淡島千景がこれまたいい。
柳吉の実家の大店に乗り込んで妹婿への直談判、決裂し啖呵を切って店を去る場面など小気味良く爽快だ。
が、同時に彼女の困窮とのギャップに暗然とさせられる場面でもある。
森繁との息もピッタリ、二人の痴話ゲンカのやりとりなどは微笑ましいほどだ。
蝶子の両親をはじめ多様な登場人物一人ひとりがそれぞれ丁寧に描かれ、積み上げられた人間模様が物語に厚みを与えている。
エンドシーン、一緒に甘味屋で善哉を食べる二人、無一文から再出発を期する姿が健気で潔い。
オールセットで再現された法善寺横丁やミナミの情景も懐かしい。
「昭和は遠くなりにけり」、男女関係もまたしかりである。
わが町 [DVD]
待ってましたー!!待望の「わが町」DVD発売です。
とある映画館のサヨナラ上映で観て以来”ベンゲットのたーやん”が忘れられず
ビデオ化もされてないようだったので上映がある度に映画館へ出かけてました。
いわゆる川島雄三的な作品ではないですが…名作です!
ボロボロになりながらも車を引いて、娘を、孫を、男手ひとつで育てあげる
たーやんの生き様に凄まじいパワーを感じます。
またそれを温かく見守る長屋の人達、今は聞く事のない美しい大阪弁。
人は死ぬまで”一生懸命に生きなければいけない”と教えてくれる映画だと思います。
日本文化私観 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)
「日本文化私観」は、日本文化と日本人のあり方についてさらりと述べた随想です。
フランス人はパリが第三帝国に攻められたとき、ルーヴル美術館所蔵の作品を避難させることを優先させ、
それはフランスの運命を変えてしまったという。フランス人よりフランス文化の保全を選んだのであった。
このことを考えるに、日本人はあくまで日本国の文化を守るべきなのだろうか、
それとも日本国の民の生活やその利便を守るべきなのだろうか。
という話から始まります。
この書籍の表題は「日本文化私観」ですが、併録されている他のエッセイも面白いです。
織田作之助の死に寄せて書かれた大阪論である「大阪の反逆」は、
織田作之助の「可能性の文学」への返答にもなっています。
「デカダン文学論」に見える凄まじい夏目漱石批判も読み応えがあります。
目次
I.
ピエロ伝道者
FARCEに就て
長島の死
神童でなかったラムボオの詩
牧野さんの死
スタンダアルの文体
フロオベエル雑感
かげろう談義
茶番に寄せて
文学のふるさと
日本文化私観
青春論
II.
処女作前後の想い出
堕落論
欲望について
デカダン文学論
続堕落論
花田清輝論
二合五勺に関する愛国的考察
私は誰?
恋愛論
大阪の反逆
名短篇ほりだしもの (ちくま文庫)
『とっておき名短篇 (ちくま文庫)』に続く姉妹篇のアンソロジー。収録作品全体の面白さという点では『とっておき名短篇』と比べて落ちる気がしましたけれど、本文庫には嬉しい出会いと、「えっ!」という驚きがありました。
嬉しい出会いというのは、このアンソロジーで初めて読んだ伊藤人譽(いとう ひとよ)の作品を読めたこと。「穴の底」「落ちてくる!」の二篇が収められているんですが、いずれも、絶体絶命の状況下にある主人公の焦り、不安が、作品のテーマになっています。ウィリアム・アイリッシュ(コーネル・ウールリッチ)の短編小説を、幻想、ホラー風に仕立てたらこうもあろうか、というような味わいの短篇。なかでも、窮地から逃れようと必死になる主人公の男の行動と心理に、ぞくぞくするサスペンスを感じた「穴の底」が出色の逸品。いやあ、ここで読まなければ、おそらく一生出会うことはなかっただろう作品。紹介してくださった北村薫さんに感謝です!
片や、「えっ!」という驚きを味わったのは、宮部みゆきさんとの解説対談の席上、作品の謎に絡む北村さんの発言に触れた時でした。作品は、石川桂郎(いしかわ けいろう)の「少年」。この短篇のある謎をめぐって、宮部さんと北村さんが違う受け止め方をしている。私は、宮部さんとおんなじことを考えていた。でも、北村さんの解釈を聞くと、「そう推測したほうが、この作品の奥行きは深くなるかも」と、そう思ったですね。果たして、作者はどう考えてこの謎を提出したのか。北村さんの解釈が合っているかどうか、この作品からだけでは判断できません。謎は謎のまま残る。でも、こんなふうに解釈すると、作品に違った側面が生まれ、深みが増すと知って、何か得をした気持ちになりました。
本文庫の収録作品は、以下のとおり。
宮沢章夫「だめに向かって」
宮沢章夫「探さないでください」
片岡義男「吹いていく風のバラッド」より『12』『16』
中村正常(まさつね)「日曜日のホテルの電話」
中村正常「幸福な結婚」
中村正常「三人のウルトラ・マダム」
石川桂郎「剃刀日記」より『序』『蝶』『炭』『薔薇』『指輪』
石川桂郎「少年」
芥川龍之介「カルメン」
志賀直哉「イヅク川」
内田百けん「亀鳴くや」
里見とん「小坪の漁師」
久野(くの)豊彦「虎に化ける」
尾崎士郎「中村遊廓」
伊藤人譽「穴の底」
伊藤人譽「落ちてくる!」
織田作之助「探し人」
織田作之助「人情噺」
織田作之助「天衣無縫」
おしまいに、編者の北村薫、宮部みゆきの解説対談「過呼吸になりそうなほど怖かった!」(於 山の上ホテル 2010.9.28)