大山倍達役を
千葉真一が見事に演じている。
特に山篭りのシーンは人間離れした大山氏の肉体が千葉氏によって見事に演じられている。
後半はヤクザ映画のようなシーンが多いが、空手を極めた大山氏の作品であるだけに、現実離れしていても許せてしまうところが大山氏の偉大な点かもしれない。
かなり古い作品であるが、今でも色あせ感が少なくお薦め。
JJサニー千葉(元
千葉真一)の幼少時から体操の選手として東京五輪を目指すが、怪我で断念し、東映の俳優になり、アクション俳優として大成しと、
ハリウッドの拠点を置く今までを駆け足で振り返っている。リスペクトした深作欣二、高倉健、大山倍達、そして弟子筋の
真田広之、志穂美悦子、
伊原剛志、
堤真一らとの交流もさらりと書いている。
著者が一番ページを割いたのは、意外にも新渡戸稲造の「武士道」についてだった。更に、この「武士道」を翻案して
ハリウッドで映画化したいと希望を書くまで、のめり込んでいる。活動の場所をアメリカに移したJJサニー千葉にとっては、「武士道」に自己の日本人としてのアイデンティティを見つけ出したようだ。
ただ、日本国内に住んでいると、そこまで「日本人」としてのアイデンティティは必要とされないので、我々からみると多少上滑りしている感はいがめない。
当時の東映の裏話や「キーハンター」の裏話はそんなにないので、そちらが好きな方はご遠慮された方がいいと思います。
私が子供の頃、学校の休み時間に、男子生徒たちが、熱心に語り合ったことは、次の様な内容である。
「ゴジラ」と「ガメラ」、ガチで戦ったら、本当に強えのはどっちだ?
「アントニオ猪木」と「ジャイアント馬場」、ガチで戦ったら、本当に強えのはどっちだ?
「北の湖」と「輪島」、ガチで戦ったら、本当に強えのはどっちだ?
男子として生まれたからには、
世界で一番強い男になりたい、それは雄としての当然の欲求であり、本能でもある。
しかし、ある日、気付いてしまうのだ、気付かされてしまうのだ。
「自分が、世界最強の男ではない」ことを。
ならば、次の欲求として、世界最強の男をこの目で見届けたい。その強さを目の当たりにしたい。
本作品では、
「
宮本武蔵」と「柳生十兵衛」、ガチで戦ったら、本当に強えのはどっちだ?
「柳生宗矩」と「柳生十兵衛」、ガチで戦ったら、本当に強えのはどっちだ?
を描いている。
圧巻なのは、
紅蓮の炎の中での柳生親子対決であり、もっと有体にいえば、柳生宗矩(若山富三郎)の鬼気迫る演技なのだ。
柳生宗矩は人間としての命を失い、「魔人」として転生している。
この世にあってはならない「魔人」ゆえ、
紅蓮の炎の中の立ち合いにあっても、瞬きもせず、一滴の汗もかかない。
この「魔人」と相対して、柳生十兵衛(
千葉真一)は、如何に戦うか。
『「神」におうては「神」を斬り、「魔」におうては「魔」を斬る』妖刀村正を構え、全身に「耳なし芳一」の如く、魔除けの梵字を描く。
つまり、「ハッタリ」と「外連味」で相対する他はないのだ。
勝負の行方は、勿論書かないが、
戸田流 星川生之助の言葉を借りるなら、
『これは「手合い違い」にござる』
の、一言に尽きる。
戦中・戦後の混乱期にあって、「正義をともなわない力は暴力なり。力をともなわない正義は無力なり」との理念を貫いていく拳士の姿を、
千葉真一が熱演している。
予告編には宗道臣本人も登場するのだが、そこに入るテロップは「日本のゴッドファーザー 宗道臣」。また「実録の東映」という文字も踊り、完全に実録やくざ映画路線のノリで制作されたことが伺える。
実際、拳法者VSやくざ者の集団抗争というべきストーリーが展開する。
あくまでも娯楽映画であり、少林寺拳法の「拳禅一如」「力愛不二」の精神が伝わってくる作品だとは言いがたい。
もっとも、
千葉真一主演というだけで、すでにノンフィクションではなく、かなり無茶な映画だと百も承知、という立場で観るなら、文句無く星5つである。