夏葉社さんの書籍に対する愛情が伝わってきて、装丁を見ただけで少し感動しました。ずっと大切にしたい一冊になりました。内容はまだ読んでいない状態でレビュー書いてますけど、ゆっくり味わいながら読みたいです。
精神を病んだ妻を聖ヨハネ病院に見舞った日々が、いつもの緻密な筆致で記されている。
心を病んだ妻について書いた島尾敏雄の「死の刺」が、どうしても連想される。島尾の妻が狂った原因は島尾の浮気であった。上林の妻については、何となく似たような原因ではないかと想像されるのだが、この作品の中で明確にされているわけではない。妻には非常に察しの良いところがあり、それが心の病の遠因ともなっているという記述から類推されるだけである。
島尾夫婦の間であったような激しい諍いは、聖ヨハネ病院における上林夫妻の中には既に見られない。上林夫人は精神を病んでいる上に、肉体的にも衰えていて、死が近づいている状況になっていた。夫は長く夫人を顧みなかった罪滅ぼしの意味もあって、病院に泊り込んで妻の看護に当たっていた。ただ、全面的に犠牲的精神に突き動かされてそうなったわけでもない。戦時下という特殊な時代背景があり、病院で妻を看護するという単純明快な目的を持った生活と場所は、上林には、混沌と不安の日常よりも、かえって安らぎを与えてくれるのではないかという期待すら抱かせたようである。
純粋に無私な気持ちは、少なくとも自分にはなくて、常に何らかの下心が存在するとして、上林はありのままの自分を記述する。妻の心には、まだ少しは、かつての夫の行為へのわだかまりがあるようだが、夫の看護には慰安を覚えているようだ、だが時として、訳の分からない強情さを示したり、自分に与えられるべき食物を夫が横取りしたように、疑ったりする。食欲は彼女に残された強い欲望なのだ。ところが、自分に与えられた食べ物を、夫のためにとって置いたりすることもしばしばある。激しい諍いが消えた後には、矛盾だらけの妻が辛うじて残っていたというわけである。さすがに、この妻と病室で相対しているのには息苦しくなって、上林は中庭に出て、ベンチで煙草を喫うことで深い開放感を味わうのだった。
死を間近に控えた妻とその夫の病院での日常には、特筆すべきことは何もない比較的平穏な毎日だった。この小説は平穏な日々が継続しているところで、さりげなく終わっている。いかにも上林暁らしい終わり方だ。
余禄: 「死の刺」以下、島尾敏雄と妻の葛藤を描いた諸作品を読み返したくなった。中でも島尾一家が小岩にいた頃を描いた作品の印象が忘れられない。(題名すら覚えていないのだが)
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